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本日の線量! [2015]


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中野区・外

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中野区・中



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「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」ー「平和のために戦う!」と人類を危機に陥れる悪役が誰かみたい? [映画感想]

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今回の敵はロボット軍団。何だか「ターミネーター」とダブって来て、敵のボスはスカイネット?とか思ってしまうが、今回ももの凄い製作費をかけて、オールスターヒーローズで見せる。日本でいうと、仮面ライダーキカイダー、009、009の1、イナズマンが集まって戦う映画のようなものか?

今回、一番興味深かったのは敵のボスともいえるブライキング・ボスのようなロボットがいう台詞。これまで悪役は「世界を支配する!」とか「世界を滅ぼす」とかいっていたのに、このボスは「平和のために戦う」といって、人類を絶滅しようとがんばってしまう。

ここが非常に今日的。今、どこかの国もそうだが、「戦争したい!」と言わずに「平和のため」とか「積極的平和主義」とかいって戦争に参加しようとしている。そんなトレンド(?)がこの映画でも表現されている。そう、一番危ないのは「平和のため」という人だ!いうのが今回のテーマかな?

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自分の価値観を押し付ける人たち。なぜ、人はそれぞれ違うことを認めないのか? [my opinion]

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映画撮影を終えると、お世話になった方々に挨拶まわりをする。本来、それは監督の仕事ではなく、製作担当がするのだが、僕の場合はスタッフが集まる前に、1人でロケ地に乗り込み。いろんな人を訪ね、応援を求める。そんなことを1−2年続ける。だから、本来、製作担当が行くべき挨拶まわりに僕も同行する。感謝の気持ちと無事撮影終了を伝えるためだ。ただ、スタッフから言われる。

「監督は早く東京に戻り、編集作業を始めるべき。そして少しでも早く完成させて、応援してもらった人たちに見てもらうことこそが大事。最初は監督と出会ったことで、応援してくれた方々でも、その後、製作担当に引き継がれた仕事。それを監督が何十人もの人を何日もかけて訪ねるのはどうか? 建築業でも、ビルを建てたからと、社長が関係者を訪ね挨拶をしてまわったりはしない。それは現場担当がやるじゃないですか?」

確かに、その通りだ。が、僕は1人1人の顔も名前を知っているし、何度もごちそうになったり、いろんなことを教えてもらったりしたので、感謝の気持ちを伝えたくて、お礼参り(?)をしているのだ。が、いくつもの町で映画を作りをすると、あれ?と思うことも出て来る。

ある街での撮影後、いつものように地元の方と製作担当と、僕の3人でお礼参りツアーをした。その中で、ある弁当工場を訪ねることになる。そこは大量のお弁当をもの凄く安い値段で提供してくれた。お礼を言わなければならない。

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そのとき地元の方はいった。「俳優とスタッフ全員でお礼に伺いましょう。監督と製作担当さんだけでは失礼ですよ」ん?ちょっと待ってください。弁当を扱うのは製作担当。だから、本来は彼のみが挨拶に行く。僕も本来なら行かない。が、その工場の社長とは何度かお会いしているし、感謝の気持ちを伝えたかった。なのに、地元の方はスタッフ&キャスト総出で行ってほしいという。

「俳優もスタッフも弁当を食べたんだから、お礼に行くのは当たり前だろ!」

何でそうなるのだろう? まず、映画の世界では、俳優&スタッフに弁当を出すのは製作サイドとして当然のこと。それが映画界の決まり。ただ、製作担当者としては、超破格の値段にしてもらえたことで、製作費を節約大助かりだった。だから、製作担当者がお礼に行く。僕も感謝を伝える。

しかし、その地元の方の考えはこうだ。何かをごちそうになったら本人がお礼をいうべきだ。という一般的な発想なのだ。確かに、地元の家に呼ばれて、夕飯をごちそうになれば、呼ばれた客はお礼をいうのが当然。

ただ、映画撮影にその構図は当てはまらない。例えるなら、農家がある社員食堂に超破格で野菜を卸した。その食堂で社員が食事をした。お礼に行くのは社員食堂の担当者だ。食事をした社員はいつもと同じにご飯を食べただけ。なのに、社員も全員、お礼に行けというのと同じになる。

そして、もし、それを実行すれば、バスをチャーターして、1日スケジュールを空けて、皆でお弁当工場に行かねばならない。宿泊費も1日分プラス。当然、俳優事務所はクレームを付けるだろう。

「なぜ、うちの俳優に挨拶まわりをさせるのか! それはスタッフの仕事だろ?」

弁当を出すのは製作サイドの義務。演技以外のことをさせるなら、追加ギャラを寄越せというところも出てくる。結果、全員で行くことで、せっかく破格の値段にしてもらったのに、相当の出費をせねばならない。だったら、通常の業者から弁当を買った方が安上がり。

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でも、その地元の人は映画界の事情が分からない。できれば、先の社員食堂の構図を想像してくれればいいが、スタッフもキャストも皆、撮影隊のメンバーとひとくくりにしているので、全員でお礼をいいに行ってほしいと主張するのだ。事情を説明すると、無理であることは理解してくれた。「じゃあ、監督と製作さんだけでいいよ」といい、彼は弁当工場の社長に平謝りしていた。

挨拶まわりを全て終えて、帰京しても、あとからクレームが来ることがある。「撮影終了から1ヶ月。なぜ、挨拶に来ない。あれだけ応援したのに失礼な!」と言われたこともある。なんで1ヶ月? と思ったのだが、その人の業界では1ヶ月後にあらためてお礼をするのが習わしなのだそうだ。

だが、こちらは編集の真っ最中。その上、製作担当はすでにプロジェクトを離れて、別の仕事をしている。おまけに、別の業界のしきたりを映画作りに押しつけられても困る。こちらは撮影終了。完成。公開。を区切りに挨拶に行っているのだ。もちろん、先方には先方の習わしがあるのだが、それを映画作りにも当てはめて、怒られても困る。

宗教の違いで戦争をする国がある。同じ反原発を訴えながら、些細な違いで互いを批判しあう人たちがいる。推進派を攻撃するなら分かるが、反原発を主張する同士が中傷し合う。どの分野も自分の価値観を絶対だと信じ、それを押し付けようとする。方法論が違えば、自分なりのやり方で進めばいい。違う相手を否定する必要はない。自分の価値観を相手に押し付ける必要はないのだ。

このブログでも、自分と意見が違うからと長々と批判コメントして来る人がいる。が、それは自分のブログで書けばいいこと。なぜ、人は他人に意見や価値観を押し付けるのか? そんなことをときどき考えてしまう。


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本日のランチ [2015]

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 本日のランチ

 暑いのでしっかり食べる

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新装版「怪獣使いと少年」読んでいるところです。 [2015]

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新装版、読んでいます。

思い起こせば、この本。

僕が監督デビューする前、脚本家デビューのその前、雑誌ライターをやっていた頃に出版され、

作者の切通理作さんにインタビューさせてもらった。

本当に嬉しい内容だったので、とても思い出に残っている。

それまで怪獣ものは子供向けと思われていたのを

この本がウルトラシリーズを文化に高めたと思える。

僕にとっても革命的な1冊。

記事は「週刊プレイボーイ」に掲載された。

その後、切通さんは「朝まで生テレビ」に出るなど大活躍。

インタビューから20年ほどして、

僕の監督作「朝日のあたる家」のトークショーゲストで来て頂き、感動した。

その「怪獣使いと少年」の新装版が今年発売。

改めて読ませてもらっている。

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【「永遠の0」をようやく見たけど....作者の思惑を感じて首を捻る】 [映画感想]

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(昨夜「永遠の0」がテレビ放映されたらしいので、以前に書いた僕の感想を再掲載)

 劇場でも大ヒット。多くの観客が涙を流したという映画「永遠の0」しかし、同時に批判も多く、公開後に原作者がとんでも発言を連発したことで、さらなる批判が噴出。「どんな映画なんだ?」と興味を持って見た。

 最初に断っておくが、僕は戦争映画は好きではない。「男たちの大和」もどこがウケたのか分からない。そもそもアメリカ映画は「悪の帝国ドイツを倒す! アメリカは正義だ!」という単純化した構図で描くことが多いし。日本映画はなぜか?「私たちは犠牲者だ!」という形で描く。加害者であることを描く作品は少ない。もちろん、その両方を描かないと不公平だなんてことは言わない。映画は全てを描く必要がないからだ。

 ただ、戦争ということを考えたとき。一部だけを描くことで、特定の思いを強調、特別なメッセージが生まれてしまうのも事実(それを双方から描いたイーストウッドは画期的!)特にアメリカ映画は偏った描き方が強い。「トップガン」は戦争映画ではないが、事故で友人が死ぬと、主人公は悲しむ。が、敵(名前は出て来ないが明らかにソ連)の戦闘機を撃ち落とし撃退すると、大喜びする。

 当然、ソ連のパイロットは死んでおり、彼にも友人も家族もいて、悲しんでいるはずなのに、そちらは描かない。アメリカの映画館で見たが、観客は大喜び。敵の戦闘機が爆発すると拍手が起きた。最近のアメリカ映画はそこまで酷くはないが、基本、あの国の発想は自分が正義。他国の人がいくら死んでも平気という面がある。

 その逆が日本だ。太平洋戦争では多くの人が死んでおり、戦争を始めたのは(アメリカに嵌められたとはいえ)日本側であるのに、なぜか「我々は犠牲者だ...」と描くことが多い。それによって「戦争はいけない」というテーマに繋げているので、その構図がいけないとは言わない。が、「永遠の0」は少し違う。監督がどこまでの思いがあり、原作をどこまで踏襲しているかは分からないが、基本、特攻隊を賛美している作品だと思える。

 主人公の孫がコンパで議論するシーンにそれがよく現れている。「特攻隊は自爆テロとは違う。自爆テロは人を傷つけるのを目的にしているが、特攻は兵器である戦艦を狙ったものであり、全然違う」と力説する。ここがたぶん、作家のいいたいところだと思えるのだが、では、戦艦の乗組員はどうなるのだ? 戦艦だけ沈めて、乗員は傷つけないことが特攻の目的だったのだろうか?

 もちろん、日本を守るために死んで行った人たちを悼むことは大切だ。でも、それを賛美するのは違うと思える。さらに、当時は「お国ために死ぬ」という今では共感しにくい思想だったのを「生きて帰る。家族の元に帰る」という現代的な発想の主人公を配置、共感を呼ぶ物語にすることで、特攻隊を美化しようとする作家の思惑が感じられる。

 もし、「お国のために」といって死んだなら、観客は「バカだな」と思うところを「生きて帰る」と言い続けた主人公が死ぬのなら「こんな人が特攻隊にもいたんだ。すばらしい!」という思いを持つのではないか? 

 しかし、ラストで主人公が笑顔で特攻するアメリカの戦艦にも、多くの乗務員がいる。その人たちも「生きて帰る。家族のもとへ帰る」と思っている訳で、その戦艦にラスト、笑顔で突っ込んで行く主人公は何なのか? 家族のもとへ帰りたい主人公が、敵とはいえ、家族の元に帰れなくしてしまう攻撃をする。
 もし、主人公がそう考えていたなら、笑顔で特攻することはできない。では、あの笑顔は何なのか? 何だかアメリカ映画の「トップガン」と同じで、仲間が死ぬと嘆くが、敵が死ぬのは問題視していないように思える。

 そして物語自体が「少年H」の原作が批判されたのと同じように、現代から見て都合のいい解釈して書いた物語ではないか?と思える。(「少年H」は作者の自伝といいながら、その後の歴史を知らないと言えないはずのことを主人公が発言する等、作為的な記述が多く。批判が続出した)
 特別な思いのある作家が、その「思い」が多くの人にも伝わるように、特別な設定を持ち込み、涙と感動で見せる。まさに、コンパのシーンでの台詞を全編を通じて描いているのではないか? 原作者がツイートでこんなことを書いていた。

「百田尚樹@hyakutanaoki すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。 そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。 もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」

 これは皮肉であり。9条があっても攻められたら終わり。やはり軍隊が必要と主張しているのだろう。その言葉の背景にあるもの。それがまさに「永遠の0」という物語だと思える。

 涙と感動を織り交ぜて作ってあるので、表面だけ見ると美しく悲しい物語だが、「特攻隊は素晴らしい!」という思い、その背景には「軍隊は必要」「家族を守る戦争は美しい」というような思いが込められた映画であり、「反戦」がテーマではないように思えた...。


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国会前デモ。警官が大量動員されている理由。 [2015]

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 国会前デモ。警官が大量動員されている理由?

 反原発デモでの官邸前のような写真を、撮られたくないから。

 歩道に人を押し込めて、列を細く長くすることで

 集まった人の数を少なく見せたい。

 「人がいっぱいなので、これ以上前には行けません」

 といって歩道をブロックするのも同じ理由。

 こんな写真撮られたら、

 「おーー安保法案にこんな多くの人が反対しているんだ〜」

 と日本中の人に思われてしまい、

 世論によってさらに追いつめられるから。

 だよね?

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