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太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由 [【再掲載】]

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 映画「朝日のあたる家」

 太田隆文監督インタビュー(LAのジャパンフィルム・フェスティバル時)


 Q. 太田監督の思いをこの映画に託していると感じましたが、どうしてこの重いテーマを映画にしたのでしょうか?

僕の映画のテーマは「親子につたえる大切なこと」―今の時代、いろんな問題があり昔のように簡単に答えが見つからない。だから何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。

 興味を持ち、いろいろと調べて行くとマスコミの伝えない過酷な状況、特に子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり死んでいきました。日本ではそこに目を向けずに「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。なぜ、危険性を認めようとしないのか? そこに疑問を持ちました。

Q. 政府や関係者が危険性をひた隠しにしている訳は?


 つづきはこちら=>

 http://josei-bigaku.jp/lifestyle/asahinoataruie35145/ 


 2013-07-27-26

 



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「HEROSE REBORN」後半戦ー盛り上がりに欠ける残念な展開。キャラの魅力が不足? [映画感想]

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 本日は書き出し大会。編集が終了したデータを書き出す。そのあとにDVDを焼く。これが結構面倒。パソコンが使えなくなるので、その間に他の仕事はできない。

 ということで、先日スタートした「ヒーローズ リボーン」の続きをレンタルDVDで見る。ヒロとノアが過去に行く前後編のエピソードでかなり盛り上がるが、その後また停滞。いろいろ考えながら見るが、やはりキャラクターが弱いのではないか?

 特に終盤になり、ノアが行方不明になり、ミコが消え、ヒロが出て来ないともうダメ。トミーだけではとても持たない。結局、最後まで見てもクレアは再登場せず。かなり厳しい展開となった。キャラクターの弱さもあるが、役者の魅力も関係するだろう。何が一番ダメか? なかなか、分かりづらい。

 その辺を徹底して考えるのが仕事なのだが、むずかしい。僕の作品。基本的にいつも好評なのだが、一度だけ自主映画時代の1本が大不評だった。自分で見ていても盛り上がらず。それから30年ほど反省を続けて、同じ失敗を繰り替えさないようにしているのだが、そのときは俳優の魅力に欠けるのが第一。でも、もし、別の俳優でやればよかったのか?と言われると、別の人でも厳しかったかもしれない。

 物語のキャラクターとストーリーも弱かったからだ。その辺。とてもむずかしい。「リボーン」に当てはめるとどうなのか? ヒロを魅力的にしたはやはりマシオカの力か?それともヒロという日本人キャラが魅力的だったのか?でも、あの役を真田広之が演じてもダメ。あれはやはりダメな日本人青年でないと。

 そう考えると、キャラと俳優。両方大事ということだろう。刀ガールのミコも同じ理由で魅力的。彼女の最後の戦いは泣きそうになる。ストーリーがいかにおもしろくても、キャラが魅力的でないと乗れない。その意味で、今回の悪役。女ボスがその両方がダメだと感じる。むずかしい。

 しかし、この盛り上がりのなさで、第2シーズンに続くのか。。。














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夢を語ると止めにくる人たち③ 戦後教育がオウム信者と変わりない多くの日本人を育てた? [my opinion]

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 前回は日本の教育が日本人の「考える力」を育てていない

という話を書いた。その背景に、与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育てるという目的がある。そのためには上からの命令に逆らわない。疑問を持たない大人であることも重要。

 従順で、文句を言わない、反抗しない、命令通りに動くまさにサラリーマン・ロボットを作り上げることが日本の教育の目的。育てたロボット人間を優秀な者から大手企業は採用。日本は経済大国となる。企業は採用者たちの生活の安定を保証した。その選別のために必要なのが受験システム。その安定に惹かれ母親たちは我が子の将来を心配せずに済むように、子供たちを受験戦争に送り込んだのである。

 それは強固な社会システムとなり、

その体制や流れに反抗する者。つまり「会社員にはなりたくない。僕は俳優になりたい」とかいう若者。歌手。小説家。芸術家になりたいと受験や教育を否定する者が出て来ると、本来はいろんな道があるのだから、それはひとつの生き方。だが、先のような夢を語ると、多くの大人たちがよってたかって、その夢を諦めるように説得する。

 「世の中甘くない」「現実を見ろ」「お前才能あるのか?」と、何がもらえる訳でもないのに熱心に否定や批判をする。「皆、本人とため」と思っているが、それは結果、サラリーマン・ロボットを育てる教育システムからはみ出そうとすると、説得して連れ戻し、国が決めた通りの生き方をするように強制するのだ。


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 ここが非常に気持ち悪いところで、

彼らは役人でも、教育システム推進を仕事をする人たちではない。なのに、他の人たちと同じように決められた教育を受けることを強制してくる。ここに日本人の気質が見える。「皆と同じであること」「はみ出さないこと」「協調性を持つ事」それらを大切に考える日本人の考え方が、結果として、サラリーマン・ロボット育成教育を推進。そこから出ようとするものを連れ戻す役割を果たしているのだ。

 その日本人の気質が太平洋戦争で暴走した。「お国のために死ぬ」その発想のもと。母親たちは子供たちを戦地に送り、多くを死なせてしまった。「戦争反対」「何か間違っている」と云おうものなら、近所の人が集まり「非国民!」となじられただろう。国の定める目標に逆らう者は国が対応する前に、国民が、市民が、近所の人たちが定められた生き方、考え方に連れ戻そう、押し込もうとするのである。

 太平洋戦争も受験戦争も同じ構図であり、

どちらも国策。間違ったことであっても押し進められ、多くの人々は疑いもせずに従い、まわりの人たちにも強要する。それが日本人気質であり、さらに考える力を持たない、言われたことだけをする大人に育ててきたのが戦後の教育なのである。

 オウム真理教でも、高学歴の信者がたくさんいて「なぜ、あんな賢い人たちが麻原彰晃なんかに騙されてサリン撒いたりしたのか?」と当時、多くの人が疑問に思った。が、日本の教育は「考える」大人を育てるのではなく、上から与えられたことを確実に実行する人間を育てること。信者たちは麻原尊師という上からの指示に従い、応えたのだ。そう考えると学歴がいくら高くても「考える」力が育っている訳ではないことが理解できる。それが日本の教育なのだ。前回はそこまで書いた。

 最近はネットの普及により様々な情報が流れる事で、その辺に疑問を持つ人も出て来た。が、まだまだ多くの人は上から言われることを素直に受け入れてしまう。「戦争法」と言われる「集団自衛権」も一部の人は反対したが、多くは政府の説明通りに「あれは戦争を止める法案」と思い込んでいた。ちょっと意味を考えると、矛盾だらけ。国会中継やニュース番組を見れば、その説明があまりにも筋の通らぬものだと分かるのに、気付かない人が多い。

 そんなふうに考える力が弱い国民なので、

ニュースで嘘を流しても信じてしまう。「テレビが言ってるんだから本当だ」と思う。それに目を付けたのがあの政権である。自分たちを批判するテレビ番組、キャスター。コメンテーターがいると、局に圧力をかけて降板される。そして、自分たちに都合のいいことを言う存在を後がまに持ってくる。


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 キャスターどころか、局のトップに手下を配置することまでしている。「政府が右というもの左とはいえない」と、報道機関とは思えぬことをテレビカメラの前で言うような人。でも、そうやって、政府に都合の悪い報道や批判をできないようにして、「政府はがんばっています」「支持率は高いですよ」と実際とは違う情報をテレビ、新聞、報道番組から流す事で、考える力が育っていない大人たちは、何の疑いもなしに受け入れ、信じてしまう。自分たちが搾取され、税金が無駄に使われ、弱い人たちを踏みつける政策が進んで行くのだ。

 戦後の教育は優秀なサラリーマン・ロボットを

育てるというのが目的であったが、ここまで来ると政府が国民を支配しやすい、操る事が簡単。逆らわない、従順な国民を育てることも目的だったのではないか? と思えてしまう。日本人にとって重要な法案や危険な原発の問題より、多くの国民は芸能人の不倫や人気アイドルの解散に興味が行くのも、考える力が育っていないから。目先のことをしか見えない大人たちであることの証明だと思える。

 「夢を語ると止めに来る人たち」はなぜ、そんなことをするのか?というところからスタートした今回の問題。その背景に大きく歪んだ教育システムと国策を見つけた。さらに、そのことが様々な問題に繋がっており、見せかけての政治家がトップ当選したり、政府が国民を踏みつけにする政策を続けても多くが気づかず、むしろ賞賛するのも背景は同じだと分かる。

 では、次に考えるべきは、「だったら、どーすればいいか?」になってくる。先にも紹介したが、その答えはまさにSoftBankの会長・孫正義が言った言葉だ。

 「日本人は考える教育をしないと、金輪際、アジアの企業には勝てない」

 彼の発言はここまで紹介してきた日本の戦後教育の現実を踏まえてのものである。では、考える力を持つにはどうすればいいのか? 考える力が育っていない大人はどうするべきか? 子供たちはどうすればいいのか? それは別の機会にまた考えたい。






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「境界性パーソナリティ障害」の記事へのコメント紹介。「悪魔のような病気、病気と言う異常者」 [パーソナリティ障害]

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「境界性パーソナリティ障害」の記事に対して、
ある方からこのブログに経験談を頂いたので紹介させて頂く。

(匿名の方より)

 一昨日別れた親友がまさにボーダーライン人格です。私は今思い返せば洗脳されていたような、支配され操られていた感覚です。 10年の間、

(19歳)から彼女のドラマティックな、(私には2人の霊がいるの、でも私の体を治していなくなった、悲しい。私は小説家になる、あなたのためだけの物語をかく。夢に向かって頑張る→いつの間にか違う仕事→男。意味不明な嘘たが、何故か疑わない)

 虚言、狂言に振り回され、10年の間に何度も別れを告げられました。その度に行かないでと泣きすがりました。そして彼女はどんどん私の中で教祖と化しました。 まるで彼女がいないと生きていけないかのような。 LINE前は夜中の電話、メール返信の自由なんてなく、自分の感情等必要なく彼女の機嫌取りでした。 2年前には副腎疲労を発症。

 でも、自分の何がストレスかもわからない状態。自分がわからない。彼女は私の体調不良に喜んでましたね。 半年前にやっと彼女の異常なことに気づき始めました。でも、彼女を攻める事は出来ません。教祖を責められない感じです。攻めたら私は生きれない。彼女しか周りにいませんから。肉体、友人関係壊されました。

 でも、彼女と離れました。連絡を少しづつ返さなくしました。 そしたら、世界が一変しました。自分を否定されないことに感激の涙の日に溢れました。友人は戻りませんが、新たな友人と出会いやすらぎ始めます。 でも、肉体はまだ彼女の恐怖で熱。体は彼女を拒絶していたのに心は彼女を責めない。彼女からの電話には出ない。自分がわからない状態が二ヶ月。 最後に彼女の方からさよならを言われ、私もそれに答えました。

 はじめて教祖に自分の考えを伝えました。教祖に意見した体は最後の力でした。苦しみ、病院へ母に担がれました。 彼女はそのさよならに戸惑ったのでしょう。長文を送り付けました。ただ、行かないででは言わないです。私に言わせようとしますね。次は詩を送り付けましたね。世界は美しい、涙で潤んでいても。頭の異常さがひしひしと。 今まで何でこんなやつに振り回されたんだ!そう思ったら二年苦しんだ副腎疲労はその日に治り、開放感で満ち満ちてました。

  10年を棒に振りました。ボーダーライン人格とわからなかった自分が悔しい。時間、精神、お金、友人、、返して欲しい。長くなりました。悪魔のような病気、、病気と言う異常者です。この記事の通り、次のターゲットに彼女は向かってます。私は無くしたものだらけなのですが、これから自尊心とか自信を取り戻していきます。


 注)境界性パーソナリティ障害は「ボーダーライン人格障害」ともいいます。






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夢を語ると止めにくる人たち② サラリーマン・ロボットを育てる日本の教育? [my opinion]

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 「日本人はなぜ夢を否定したがるのか?」

 について先の記事で書いた。それで思い出したが、日本の教育方針というのは、戦後アメリカによって決められたものだという。国が経済的成功を収めるための人材教育としての実験として行なわれたものだと聞く。もし、そうであれば大成功。焼け野原となった国土から立ち直り、一時は世界ナンバー1の経済大国にまでなったのである。

 日本の教育システムはこうだ。真面目に勉強し、成績を上げる。いい大学に入り、いい会社に就職する。そうすれば、定年まで勤められ、定年後は年金や退職金で生活ができる。一生安泰というシステムだ。よりいい成績を上げることで、よりいい大学に合格でき、よりいい会社に入社できる。それはより高給をもらうことでき、より安定し、より豊かな生活ができるというシステムでもある。

 国としても、成績優秀な者を役人として採用。国家一種試験に合格すれば、エリートコースを約束した。企業も一流大学から採用。成績優秀な人材が大手企業で、第1線で働く事となる。日本の教育は与えられたことを、いかに確実にこなすか?を訓練するもの。そんな優秀な人材が第一線で働くことで、企業は大成長。経済大国へと育ったのである。


 そのシステムに一番、乗っかったのが世の母親

だと思える。勉強さえすれば、成績さえ良ければ、一生安泰。我が子は苦労することなく、食いっぱぐれることなく生活を送れる。なので、子供たちを勉強させた。家庭教師をつけ、塾に通わせて、勉強させるようになる。

 ただ、問題がある。その教育は「暗記」が中心。「考える」は少しだけ。これは意味がある。つまり、全てについて優秀な人材を育てるのではなく、「与えられたことを正確にこなす能力」が秀でた者を育てるという教育。何かというと、上からの指示に疑問を持たない。指示に逆らわない。あれこれ背景を考えないという大人を育てるということだ。まさに、サラリーマン・ロボット。今の代表的な日本人の姿でもある。


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 上から言われればおとなしく仕事をする。

反抗しない。「その仕事は何の意味があるのか?」考えない。つまり、上の人間がとても使いやすい存在を育てて来た。従順で、疑問を持たず、逆らわない。ちょっとやそっと酷い目に遭っても我慢して働く。上からだけではなく、テレビや政府が何かを伝えれば、疑うことなく、信じ込んで従う。


 これは16年に渡って、暗記中心で、考えるという訓練をしない教育によって、自分でものごとを把握し、判断することができない大人が数多く育ったからだ。原発問題にしても、9条改憲にしても、秘密保護法にしても同じ。あの程度の誤摩化しで信じてしまう人が多いのは、やはり教育の成果だろう。

 その代わりに、指示に逆らわず、

身を粉にして働くサラリーマン・ロボットの力で、日本は経済大国となった。ただ、バブル崩壊後に混迷の時代に入り、日本は低迷する。同じ手法でサラリーマン・ロボットを育てて来た韓国、中国に追い抜かれたのである。技術で追いつかれた上に、人件費が安い国には敵わない。SoftBankの孫社長はいう

 「考える教育をしなければ、日本は金輪際、アジアで勝てない」

 まさに、その通りだ。言われたことしかできないサラリーマン・ロボットは言われたことしかできない。上の指示が間違っても、気付かずにそれを続ける。臨機横柄、自分で考えて行動することができない。こうして、日本は経済大国の座を追われ、没落の一途を辿っている。バブル崩壊後、絶対に安心と思われた銀行等の大手企業まで倒産。リストラも大量に行なわれた。今や企業は社員より自己保身のために、正社員を減らし、いつでも切れる契約社員を増やす。ブラック企業と呼ばれるところは、社員が自殺するまで働かせる。社員の生活安定より社の生き残りを優先としている。


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 いい大学を出て、いい会社に入れば安泰!

といわれた会社神話は崩壊した。にも関わらず、世の母親たちは今も子供たちを「暗記中心」の教育を受けさせ、その偏った世界の中でいい成績を取ることを望み、よりいい大学に合格させようとしている。もう、崩壊しているエリートコースの我が子を乗せようとしているのだ。

 なぜか? その母親たちこそ(僕らの世代だが)考える教育を受けずに、与えられることをするだけの教育で育てられたので、一度刷り込まれた「一流大学」=>「一流企業」のエリートコースを未だに信じているのだ。これって、サリン事件を起こして正体が分かったしまったオウム真理教を今も信じて、「麻原尊師は素晴らしい」という信者と大差ないように思える。

 もちろん、今でも一流大学を出て、一流会社に就職できれば、しばらくは大丈夫だ。大手企業に入ればそこそこ安定するだろう。でも、今年、大手電気メーカーであるシャープが台湾の会社に買収された。あのSONYでさえ厳しい経営をしている。今、世界でナンバーワンの電気メーカーはSONYでもPanasonicでもなく、韓国メーカーである。

 子供たちが大学を出て就職。

その5年後、10年後はもっと酷い状況になっているかもしれない。大手企業がさらなるリストラをして行くだろう。まして、二流大学を出て、入った二流企業はどうか? 危険がいっぱい。なのに、母親たちは子供たちに「暗記」中心の教育を未だに受けさせ、大学を目指すことを望んでいる。

 今、大切なのは大人なったときに、本当に役に立つ知識や技術ではないか? 自分の目と耳で現実を判断できる能力ではないか?なのに、考えることをあえてしない。与えられたことをするだけのサラリーマン・ロボットになる教育を母親たちは今も信じ続けている。

 戦時中と同じ構図だと思える。「進め一億、火の玉だ」当時のキャッチフレーズを思い出す。反対する者は「非国民」。もう、どうがんばっても勝てない戦いになっているのに、竹槍を配り。「本土決戦だ!」と叫ぶ。その敗戦間際の日本を見るようである。成績を上げることをいいことだと信じて、子供を受験戦争に送り込む親たち。「お国のために」と子供たちを戦争に送り込む戦時中の親と同じように思える....。



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 ここに日本人の特性が見えて来た。

皆がひとつの方向に向かうと、誰もがその方向に向かう。疑問を持たない。それどころか、疑問を持つ人を糾弾する。戦時中は「非国民」現代は「落ちこぼれ」。そして、国が推奨する以外のコースを選ぼうとすると....そう、「俳優になりたい。歌手になりたい。映画監督になりたい!」というと、多くの人が誰から言われた訳でもないのに、集まってきていう。

 「現実は甘くない」「無理に決まっている」「現実逃避をするな」

 そういって否定。相手が間違っていることを諭す。そして受験戦争に連れ戻そうとするのだ。これも戦時中と同じ。「こんな戦争は無意味だ」と云おうものなら近所の人たちが「非国民」と糾弾した。今も同じ。「何が子供たちにプラスか?」を考えるのではなく、政府の押す教育方針を信じ込んでいるだけ。

 今の教育では昔のような安定した人生はもう送れない。それはハッキリしている。にも関わらず、親たちは、子供を昔と同じ、無意味な教育を受けさせようとしている。でも、考える力を持たない親たちには、その努力が無意味だと今も気付いていない。

 ここで二点。確認できる。

①親たちもまた、考える力が育っていないので、良かれと信じて子供たちを崩壊した教育システムに委ねる

②日本人は一方に走り出すと、誰もが同じ方向に走り出す。
 その流れから出ようとすると、誰に言われなくても、粛正し、流れに連れ戻そうとする。

 
 この2つが日本が無意味な戦争を続け敗戦となった理由であり、「受験戦争」を加熱させた理由でもある。そう考えると、前回の疑問。「なぜ、夢を語ると否定する人が出てくるのか?」の理由も分かる。それも上記の2つなのである。

 そうなると、夢を語るときに、否定、説教するのは、「優しさ」というより、村社会を維持するためと思える。その否定、批判は誰かに指示されなくても行われる。個々が意識せずに「相手のため...」と思い込んで、夢を止めよう、国の方針に従わせようとする。気持ち悪い資質と思えて来る...。









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「ヒーローズ リボーン」5−10話まで見る [映画感想]

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 「ヒーローズ リボーン」3、4、5巻を見る。

 出だしは低調で、もう、ギブアップしようかと思いながら見る。

 やはり、以前のシリーズと比べるとキャラクターが弱く。

 共感したり、応援したりという思いがしない。

 印象的なのは、刀ガールのミコ。オリジナルメンバーのクレア・パパ。

 アイスクリームが好きな少年くらいで

 メキシコ人も、能力者殺しの夫婦も、魅力に欠ける。

 と思っていると、ついにヒロが登場。俄然、盛り上がる。

 そして、何と1年前にタイムスリップ

 ここまでまた、自前の物語と重なる話が。。。。

 この辺から「ヒーローズ」パターンとなり、面白い。

 ノアがノアと出会い止める話。時空を移動できなくなったヒロが取った行動?

 ピーターのママも登場。

 「どうなっちゃうのー」というあのノリになる。

 少年とヒロの別れのシーンなど感動場面も....

 その1年前の前後編で、これまでの謎が全て解けるという構成
 
 これは見事だ。

 が、現代に戻ってまたダウン。

ここまで来たら、残りも見てしまおう!








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なぜ、夢を語ると否定してくる人が多いのか①その裏にある日本の教育システムー軍国主義と同じ構図? [my opinion]

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 このところ、考えていることがある。

 答えを探すために、その思いを文章にしてみる....。このところ気になっているのが「facebook問題」と「地域のコミュニケーション」の共通点だ。「心のオアシス・喫茶Facebook」の記事にも書いた話。その先を考えて行くとある種の答えが見えて来るような気がするので、まずは高校時代の話から考える。

 高校時代。映画監督になる!というと、あらゆる人たちが反対した。親、親戚、教師、友人、近所の人。だから、なるべく彼らとは話さないようにしていたのだが、あれこれ言われた。「世の中甘くない」「夢はしょせん夢だ」「そんな簡単に行かない」「才能あるのか?」「無理に決まっている」等々。

 しかし、あとで考えると、その大人たちの中で映画界で働いたことがある人は誰もいなかった。友人が映画の世界で仕事していたという人もいない。つまり、自分たちが知らない世界のことをあれこれ、「厳しい」とか、「才能が必要」とか、「甘くない」とか想像で言っているだけだったのだ。

 反対されながらも、僕は高校卒業後、

 チャンスを掴み、映画の世界で仕事をするようになる。そのときに「映画監督を目指している」といっても反対する人はいなかった。まわりにいる多くは皆、監督になることが目標だからだ。もちろん、監督になるのは簡単じゃない。運もあるし。ということを言う人はいたが、皆、その世界の人たちであり、経験等に裏打ちされた助言だった。知らないことを言っている訳ではない。

 ところが、僕が「自分で製作費を集めて監督になる!」というと多くの人が反対した。「Pもやったことないのに無理」「誰がお前に金を出すんだ?」「前例がない」「世の中甘くない」というのだ。確かに、監督経験も、P経験もない奴が製作費を集め、映画を自分で監督するなんて話は聞いたことがない。僕自身、簡単なことだとは思っていないかった。

 が、このときも、自分でPをやったことがない人。監督経験もない人。製作費を集めたことがない人たちが、あれこれ忠告して来た。ん? 同じ構図。毎回、あれこれ説教したり、忠告したり、アドバイス....というより批判する人は自身の経験のないことを、想像で「簡単ではない」と判断して、「やめた方がいい」と注意、助言して来るのだ。

 高校時代も同じ。

 要は「諦めろ」「やめておけ」といいたい人ばかりだった。いずれにしても自身がやったことがないこと。経験のないことなのに、あれこれ注意、忠告してくるのだ。なぜ、何ら根拠のない、経験もないことをアドバイスしたがるのか? もうひとつ言えば、ほとんどが、こちらから相談した訳ではない。聞いてもいないのに先方から、あれこれ言っていることが多いのも特徴。

 その背景は以前の記事で書いたが、友人や後輩。或は子供たちを「応援したい」「役に立ちたい」「酷い目に遭わせたくない」という本来、優しさから忠告したり、アドバイスしている。傷ついたり、人生を台無しにしたり、辛い生活を送ってほしくないという願いからの言動だ。


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 だとしたら、なぜ、自分の知らない世界。或は経験のないことを「簡単じゃない」「世の中甘くない」と決めつけて、相手の夢を否定したがるのか? 自分がよく知る世界で、こんな問題がある。こんな厳しい側面があるというのなら分かる。知らない世界を、経験のないことを「やめた方がいい」と諭すのはどういうことか?

 当初は知らない世界だから不安であり、

 何が起こるか? どうなるか?分からないという不安や恐怖から止める側面もあるだろうと考えた。が、映画界で仕事をするようになってからも、自分たちの経験のないこと。見聞きしたことがない行動を取ると反対する人が多かった。「無理だ」「不可能だ」「前例がない」と否定。やめることを求めた。

 なぜ、人はこのように自分の知らないこと、経験のないことをする人を止めるのだろう? そのことで何らかの被害が及ぶ訳ではないのに、あれこれ口を出してくる。相談してないのに、あれこれ言って来る。もちろん、先に上げた「役に立ちたい」「心配だ」「応援したいからこそ」という優しい思いが底辺にはあるだろう。

 だが、それは、その人の思いを抑制し、押さえつけているという意味でもある。何ら、迷惑がかかる訳でもないのに、自分の経験のなこと。知らないことに挑戦しようとすると、頼まれてもいないのに止めようとする。事実上の邪魔をする。それを「親切心」だけで理解するのは厳しいものがある。

 本当の親切とは、自分ができることで応援する。

 知っていることを伝える。危険な部分を教えるということであり、知らないこと。経験のないことを忠告することではない。それは横暴であり、本人からすれば邪魔されているだけと思える。

 結果的に僕は、自分で製作費を集めて監督するという目標を達成する。高校時代から、あれこれ言われたが、語った夢を実現した。無理ではなかった。すると、不思議なことが起きる。反対していた人に結果を伝えると、こういうのだ。「よかったじゃん!」はあ? あれほど反対していたのに何それ?

 つまり、その先輩は「絶対に無理」「止めた方がいい」「前例がない」と僕の行動を何度も止めようとしていた。なのに前例のないことをやり遂げた。その場合のリアクションはこうだろう。

 ①嘘だろ。できる訳ないよ。

 ②マジかよ。すげーなー。まさかやり遂げるとは思わなかったよ。

 ③たまたま運がよかっただけだよ。次はそう簡単に行かないよ

 この3つが想像できる。なのに先輩は「よかったじゃん!」の一言。あれほど反対していたのに、何だそれは?と思えた。このリアクションから言えることは、先輩はそれほど真剣に僕のことを考えてなかった。真剣に止めようとはしていなかったのだと思える。(或は悔しいので、受け流しているのかもしれないが、そうとは思えないことが多い)だから、軽いノリの答えなのだ。


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 この種のことはよくある。

 「絶対無理!」「止めろ!」と言った人が、それがうまく行ったと報告すれば「よかったね」というようなことをいう。なぜ、そこで悔しがらない。驚かない。だって「前例がない!」とまで言っている。「世の中甘くない!」とも言われた。それを実現したのだから、「世の中甘い!」ということなる。前例を作った訳だ。だが、彼らは驚かない。後悔もしない。「いろいろ言ったけど、凄いな〜」と評価もしない。

 ここから言えること。「前例がない」とか「世の中厳しい」とか偉そうに説教している人は、それほど真剣に相手のことを考えている訳ではないということだ。先に、忠告、アドバイスの背景として「応援したい」「傷ついて欲しくない」という優しさを上げたが、それほど深い優しさとかではないのだろう。たぶん、「優しさ」というより、「御節介」という方が近いだろう。

 だが、その種の人たちのアドバイスや忠告を無視すると、

 ときには相手を怒らせてしまうことがある。「こんなに心配しているのに!」「だったら勝手にしろ」「親切で言っているのに」大きなお世話であれこれ言っておいて、なぜ怒り出すのか? もちろん、いろんなタイプはいる。本当に真剣に忠告している人もいるだろう。でも、その人は経験がないこと、自分の知らない世界のことを想像で語っているだけ。また、それを成し遂げても、先の先輩のように「よかったじゃん」程度かもしれない。

 では、その種のお節介な人たちは、どんな人に御節介するのか? 考えたい。これは以前の記事で書いた。Facebookでいえばプライベートが分かり、がんばっている人。応援したくなる人に対して、多くの人は声援を送る。それが次第に、御節介になり、忠告になり、説教になる。

 僕も子供の頃。誰だか分からないオヤジに説教された。ま、先方は僕のことを知っているんだろうが、正月にしか会わない親戚を僕は覚えてはいない。先方も幼い頃から知っている子供だから、あれこれいう。自分が知らない世界のことを想像だけで断定して説教する。そんな大人が昔から嫌いだった。が、大人になってからも、映画界で仕事をするようになってからも、その種の大人はいた。

 何かに挑戦しようとすると、

 相談もしていないのに、あれこれ忠告して来る。「お前のためだと思っていうんだけどな〜」と言い出す。「だったら言わなくてもいい!」と拒否したこともある。そうすると「親切で言ってんだぞー!」と怒り出した。これは何なのか? たぶん、人の習性と思えて来た。

 人は「自分が役立つ存在」と思いたい。よく知った人が困っていると助けたくなる。これはいいこと。優しさだ。でも、自分が役立つ存在だと思いたいので、自分の経験にないこと。知識のないことまで努力して助けようとする。気持ちは麗しいが、実際は役に立たない。それどころか、やる気を削いだり、邪魔していることになる。相手が拒否すると「親切で言っているのに!」と怒り出す。理由は自分の好意を否定されるからだ。

 ただ、そのメカニズムで、誰も悪意がある人がいないのに、もめ事になりトラブるが起こる。憎しみ合いことにもなる。そもそも、出来もしないことを忠告したり、説教したりする方が悪いのだが、そのような人はとても多い。そして悪意はなく、「優しさ」を背景とした行動。「自分は人の邪魔をしている。大きなお世話だ」とは気付きにくい。しかし、それが人なのだ。


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 では、どーすれば問題が起きないか? 

 僕の場合でいうと、高校時代に「将来、映画監督になる!」なんて言い出さなければよかったのだ。そうすれば大人たちが「世の中甘くないぞ!」とか「才能あるのか?」とか説教を始めなかった。まじめに受験勉強をし、大学に進学していれば、大人たちは応援し、喜んでくれたのだ。

 映画界で仕事をしてからも「自分で製作費を集めて監督する」なんて言い出さずに、当時やっていた助監督やADの仕事を続け、チャンスが来たときに監督をすればよかったのだ。そうすれば、あれこれ言う人はなく、監督デビューしたときは、祝ってくれたはずだ。

 つまり、人がやらないことをやると、大人たちは、あれこれ言って邪魔をする。何なのか? たぶん、それが日本の社会の本質だろう。 まわりの人がしないこと。「映画監督になりたい」とか「自分で製作費を集める」とか、人がしないことをすると、何ら迷惑がかかる訳でもないのに、親でも先輩でもない人たちまで、あれこれ意見し、止めようとする。

 なぜか? 心情は先ほど説明した通りに「優しさ」から来ているが、非常にネガティブな行動であり、新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとするものだ。別のいい方でいうと、これが「村社会」ではないか? 人と違うことをする。新しいことを始めると、毛嫌いし、排除しようとする。一見「親切」からスタートしたように見える「お節介」というのは、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのではないか?

 実際、アメリカ留学中にも、

 同じ発言をしたことがある。「将来は映画監督になりたい」そのときの反応は日本とは180度違うものだった。「凄い」「いいぞ」「がんばれ」「応援する」「ハリウッドの友人を紹介するよ」誰もが前向き、忠告したり、説教する人は誰もいなかった。そのことから、日本のそれは、非常に日本的な背景から来るものと痛感した。

 同時にそれは村という社会を守るための、力にもなっていることも感じる。村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。だから、始める前に止める。新しいことを始める奴がいると、それを真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。村の調和が乱れる。だから、潰す。そういうメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず、「本人のため」と思い説教する。見事な言い換えであるが、危険な発想だ。

 オウム真理教で、教団の邪魔になる者を

 「殺す」とは言わず「ポワする」と言い換えて実際は殺す。それも命を奪うのではなく、相手を解放するとか、功徳を積ますという発想に置き換えてしまう。だから、悪いことをしている訳ではないという考え方。でも、実際は都合の悪い人間を排除するということ。これに似たようなもの感じる。

 では、日本人はなぜ、意識せずに、そんなことをするのか? ひとつは江戸時代から村社会の習慣。それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識を持っているからだろう。

 その結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、あれこれ忠告や説教をして、その行動を止め、潰し、排除しようとするのではないか? 本来の目的である「村社会の維持」を意識せずに、本人のために忠告していると思い込む。それが背景であり、メカニズムだと思える。とすると、なぜ、日本の教育はそんな形となったのか?気になる。もしかすると、そんな閉鎖的な日本人を育てるのが目的のひとつではないだろうか?

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 誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する村社会システム。その背景には教育がある。では、その教育はどのようなものか? 上から与えれたことを疑わず、ひたすらその作業をするというのが日本の教育である。暗記中心。考える力はあまり要求されない。つまり、与えられたことを高い精度でこなす優秀なサラリーマンを育成するものだ。その成果が上がり、日本は経済大国になったが、与えられたことしか出来ないので、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれてしまったのだ。

 つまり、勉強をしていい成績を取る。

 そしていい大学に行き、いい会社に就職する。それが日本という村社会で推奨された生き方だっだ。その中で人とは違う生き方をする。自分なりの夢を追い掛ける者が現れると、昔の村社会のように秩序を乱す、間違っているという意識が生まれ、あれこれ忠告し、止めようとする者が出て来る。「役者や歌手になるなんてダメだ。真面目に勉強して会社員になれ」結局、そう言いたい訳だ。

 その意味するところは「国が決めた教育通りの生き方をしろ」「優秀なサラリーマンを目指せ」ということなのだろう。軍国主義時代と同じ。「お国のために死ね」それが尊いこと。「戦争に行って死ぬ」それが国が国民に求めたこと。でも、国民はそれを信じ、それこそが日本人の姿だと思い「戦争反対」とかいうと「非国民」といって、憲兵が来る前に国民が自らの手でその人を糾弾した。それと同じ構図ではないだろうか?

 別の角度から考えると分かりやすい。

 例えば「俳優になる!」ではなく「早稲田大学を受験する!」と言う。かなり入学がむずかしい大学だ。その子の学力を知る人が聞けば「無理じゃないの?」というかもしれないが、多くの大人は「そうか、がんばれ!」という。なぜ、反対しないのか? 近所に芸能人がいないので、芸能界がよく分からないというのと同じで、近所に早稲田出身の人がたくさんいる訳ではない。

 これも先と背景が同じ。「映画界の大変さを知らない」=「早稲田に合格する大変さを知らない」なのに一方は「やめろ」といい、一方は「がんばれ」と応援する。なぜか? 大学に進学することは村社会のあり方に沿っているからだろう。俳優になる。歌手になる。映画監督になるという行為は、教育が求めるものではない。求められるのは、与えられた勉強して、いい大学に行き、いい会社に入る。それに逆らった生き方をしようとすると、誰が命令する訳でもないのに、よってたかって否定し、従来の生き方をするように指導するのだ。

 ここまで来ると、もうひとつの答えを追加できる。

「なぜ、夢を語ると多くの人が否定しにくるのか?」同じ高校生だとする。「俺は俳優になりたい」と夢を語ると、同世代はこう思う。「僕だって夢はある。でも、現実は厳しい。だから、真面目に勉強している。スキでやっている訳じゃない。なのに、こいつは何、気楽なことを言ってんだ? 現実を知らないんじゃないか?一言言ってやれ」と思うのだ。

 そして大人は「俺たちだって嫌々、勉強して大学に行って、今は会社員やってる。好き勝手できない。それが現実だ。この子はそれが分かってない。勉強をしたくないから、俳優になるなんて言っているんだ。現実逃避だ。これは説教してやらないと、将来のためにも良くない」と考える。

 だから、俳優だ。歌手だ。映画監督だと言われると腹が立つ。世の中嘗めていると思う。「その種のことが出来るのは、もの凄い才能のある特別な人だ。その辺の連中ができることじゃない」と思い込んでいる。夢を語られるとイラつく。「俺だって我慢して生きてんだよ。働いてんだよ!」と感じる。それを押さえて「世間知らずな、こいつのためだ...」「これは優しさだ」と思って忠告。説教するのだろう。つまり、

 「世の中は真面目に勉強して、少しでもいい大学に行き、少しでもいい会社に入り、嫌な仕事も我慢して働く。それが安定に繋がる。それが大人の考え方。人の生き方なのだ」

 と考えているのだ。だが、彼らは間違っている。それは国の政策であり、教育方針でしかない。「大人の考え方」や「人の生き方」ではない。考え方はいろいろあるし、生き方も多種多様。国の政策を全面的に受け入れているだけなのだ。それを「大人」「人の生き方」と考え、絶対的なものだと信じ込んでいる。だから、他人に「現実を見ろ」とか「甘い」とかいうのである。


 やはり、軍国主義と同じ。

 戦争反対という人を「非国民」と批判する。「戦地で玉砕することがお国のため!」と信じ込む。或は「違う」と思っても言えなかった時代。それと同じ構図なのだ。それが今の日本という国なのだと感じる。つまり、優秀なサラリーマンを育てるのが国策。それに逆らうと、多くの人が粛正。皆、同じ目標を持ち、同じ生き方をしようとする。他人と歩調を合わせる。それが多くの日本人の生き方なのだろう。何だかSF 映画のようだが、いろいろ突き詰めて行くと、それが日本の教育であり、システムであるように思える。そのベースが村社会なのだ。

 さ、ここで2つの問題が出て来た。1つは、そんな村社会の中で行きて行くにはどうすればいいか?ということ。もう一つは、そんな村社会が嫌な者はどうすればいいか?という2点である。それは次の章で考えたい。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-08-24-2






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3年前の今日は、豊橋で「朝日のあたる家」のイベント! [思い出物語]

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 3年前の今日は、豊橋で「朝日のあたる家」のイベント

 まず、上映してくれる映画館を見に行き。

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 ポスターを確認。

 ライバル映画は「ガッチャマン」と知る。

 (同じ頃公開だったけど、先に終わった)

 そして、夜に豊橋のライブハウスでイベント。

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 夏から秋。冬まで。宣伝キャンペーンが続きました。

 宣伝は交通費や宿泊費は配給会社から出ますが

 ノーギャラ。厳しいけど、映画を多くの人に知ってもらうのも

 監督の仕事なのだ。。。






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