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映画作ったのに「何で監督料を取るの!失望した」と批判する人たち? [【再掲載】]

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 ブログのコメント等でも、よくこんなことが書き込まれる。

 「今度、うちの町で映画祭をします。太田監督の作品も上映します。ぜひ、来てください」

 映画祭の主催者ではなく、一般の観客からのコメントだ。好意的であり、応援してくれている人だ。が、真面目に考えると奇妙なところがある。通常、主催者からは招待されることはある。その場合は、交通費と宿泊費が出る。ギャラは出ないことが多い。食事代も出ないのが普通。結構、キツい。でも、自分の映画が上映され、多くの人が見に来てくれる。監督が行くことで観客が喜んでくれればいいと思い、お邪魔する。

 が、先のコメントの場合はどう捉えればいいのか? 

 交通費、宿泊費は自腹だろう。主催者も呼んでいない。それで映画祭に行って何をすればいいのか? トークショーがある訳でもなし。入場料も払わなければならないだろう。そこで自分の映画を観て。どーすればいい? たぶん、コメントをくれた方は舞台挨拶とか、トークショーをすることを期待している。映画の話を一緒にすることを楽しみにしているのだろう。


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 それなら、僕ではなく、主催者に進言するべきことだ。そして映画祭のプログラムにイベントを組み入れて、観客との対話する時間やトークを企画する。それでこそ、観客と接する場がもてる。僕が個人で参加しても意味がない。以前、そんなコメントをする人に直接訊いたことがある。なぜ、来てほしいとコメントをしたのか?

 「ブログを読んでいると、監督はいい人だし、優しいし、お願いすればきっと来てくれると思えたんです。ブログの記事も面白いし、映画の裏話とか、観客が聞けば喜ぶと思ったんです」

 気持ちはとってもよく分かる。ありがたいことだ。でも、それを僕にいっても実現しない。例え自腹でその映画祭に伺っても、その人の思う展開にはならない。その前に僕が映画祭主催者に連絡して「時間とってほしい。トークイベントをしたい」と告げなければならない。が、たいていの場合。スケジュールはすでに出来ていて、急に言われても変更できない。結局、個人で行ってもあまり意味がない。交通費も宿泊費もなしで。理由は「いい人だから、来てくれると思った」ーーこれは違うと思う。

 同じようにFacebookのコメントやメッセンジャーで相談や意見を求めてくる方もいる。それに応える余裕がない。本業の催促が来ている状態で、お返事したり、相談に乗ったりすることはできない。


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 なのに、返事をしないと「裏切られた!」

「優しい人だと思っていたのに!」とあちこちで悪口を書いて回る人がいた。これも勝手に期待しておいて、こちらは多忙で対応できないと、「無視された」「スルーされた」と怒り、批判してくるのである。ただ、その種の人は特に問題を抱えた人というのではなく、ごく一般な人が多い。そう思っていてあるtweetを見た。

 「若手女優の***。ファンで応援していた。この間、ある店で見かけたので手を振ったが無視された。お高くとまっていて幻滅。もう、応援しない!」

 なるほど。これと同じ構図なんだ。女優の***さん。とても好感触で、会えば凄く愛想よく応えてくれそうなイメージがある。芸能人ということを自慢する感じがない。が、だからといって、会ったこともない人に手を振られて、それもプライベートな時間に、笑顔で手を振り返す必要はないのだ。でも、コメントした人は、絶対に笑顔で手を振ってくれると期待した。だから「裏切られた」と思ったのだ。

 勝手にイメージして、それが崩れたから「幻滅」されたのでは溜まらない。もちろん、それでも手を振ってくれる芸能人もいるだろう。でも、それは本人次第。同じように僕も「スピーチのために、ノーギャラで来てくれるだろう」と思われていたのだろう。だが、それは寿司屋の大将に「うちの街まで来て、寿司をタダで握ってください」というのに等しい。「だって、あの大将。いい人だもん!」では理由にならない。

 だが、そこで「交通費なしではいけない」と答えると

「結局、金かよ!失望したよ」と言われたこともある。しかし、交通費も払わずに来てほしいというのなら「金も払わずに、タダ働きさせるのか?」と言われてもおかしくない。けど、そんな発想はまず出て来ない。有名ミュージシャンがボランティアで被災地コンサートをするのと同じ発想でいる。映画監督業がどれだけ貧しいか? 分からないというのも誤解を生む背景のひとつだが...。ある街で映画を撮ったときも

「監督は映画撮れたんだから、ギャラもらわなくてもいいよね」

という地元の方がいて驚かされた。街に公園を作った土建屋さんに「公園作れたんだから、工事費いらないよね?」とは言わないだろう。それも映画=趣味の延長という発想なのだろう。好きでやってるんだからいいよね? でも、映画作りに1年近く専念して、そのあとどうやって生活して行くのか? それを想像せず、「好きなことをやっている」=「お金なくてもやるはず」と思われることが多い。

 いろいろ考えて行くと、映画&芸能関係に対する誤解。経済的に恵まれた人という錯覚。「いい人だから分かってくれる」という思い込み。そんなことがいくつも重なって、まったく悪意のない人たちが無理なリクエストや頼み事をしてくるのだろう。だが、ストレートに説明すると、ほとんどが「失望した」「裏切られた」という。それを少しでも傷付けないようにどう説明すればいいか? でも、それを説明するだけでも時間を取られる。

 そんな訳でFacebookやブログへのコメントひとつひとつにはお答えできないといつも書く。本業だけでも、時間が足りず、いつも返事が遅れて迷惑をかけるのに、その種の対応にまで手が回らないのが一番の理由だが、なかなかむずかしい。友人は「有名税」というが、僕は有名ではない。だったら、何の税だ? と思える。





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「誰が都政を殺したか?」上杉隆著ー読み終わりました。 オリンピック利権。よく分かります。 [2017]

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「誰が都政を殺したか?」上杉隆著ー読み終わりました。

オリンピック利権。よく分かります。

オリンピックという名の印籠で一部の人達が大儲け。

開催はもう返上した方がいいかも?



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僕の監督作品ー沖縄のTSUTAYAでもレンタル中! [2017]

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沖縄TSUTAYAでもレンタル中!】

「向日葵の丘」「青い青い空」「朝日のあたる家」DVDは

レンタル中とのこと。

情報ありがとうございました!



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「世の中甘くない」と訳知り顔でいう大人たちの背景? [【再掲載】]

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 昔からよく「変わり者」だと言われた。が、決して、酒乱だったり、喧嘩して暴れたり、不思議なものを収集していたり「神様はいます」と説教したりはしていない。なのに「太田は変わっている」とよく言われた。

 だから映画監督というような仕事をするようになったのかもしれないが、そのせいで最近は「変わり者」と呼ばれることが少なくなった。映画監督=芸術家と思われるからだ。芸術家はもともと変わっている。岡本太郎さんもかなりユニークだった。ミュージシャンはよく(?)ドラッグで捕まる。高名な小説家は自殺する。普通ではない。と思われるので、映画監督業も変わっていて当然!と理解されるのだろう。

 Facebook問題を考えていて気づいたのだが、子供の頃からあれこれ言われるのが嫌いだった。なぜ、嫌いか? ワガママだから? それもあると思うが、別の理由もあった。例えば大人たちが「今時、大学くらい出るのは当然だ」という。「学生の本分は勉強だ。いい成績を取るのは当然のことだ」といったとする。実際、そんなことをいう大人。親戚、教師はいっぱいいた。

 僕自身の成績が悪いから反発したというのもあるだろう。でも、実は中学時代までは成績はよかった。学年でも30位以内に入ったこともある。高校も進学校だ。なのに、あるときから「こんな勉強をして何になる?」と思えて来た。英語教師なのに英会話ができない。微分積分や集合が将来役に立つのか? 漢文を習って何のプラスがある? そんなことを考え始めたのだ。


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 要は大人たちは絶対的な価値観を感じて「いい大学に行け!」とか「いい成績を取れ!」という。映画の仕事をしたいというと「世の中甘くない!」「もっと現実を見ろ!」「現実逃避だ」と説教する。しかし、そんなことをいう大人たちは誰1人として、映画界で仕事をしたことはなかった。友人が映画の仕事をしているという人もいない。

 つまり、自分の知らないことを偉そうに、上から断じているだけ。知識も経験もなく、一般論を振りかざしているだけなのだ。「俺は難しいと思うよ?」とか「良く知らないが、簡単じゃないぞ?」というのなら分かるが、ほとんどの大人は「世の中甘くないんだ!」「出来る訳がない!」と断言していた。その背景にあるのは、当時の僕より、彼ら彼女らは少しばかり長生きしている大人というだけのことなのだ。

 今考えると、それらの大人たちはせいぜい40代。教師たちは20代というのもいた。今の僕は50代。もし、大人というだけのことで、偉そうに人生を語るのなら、タイムマシーンで当時に戻り、彼らを説教してやろうか?と思ってしまう。それができないのが残念だが。つまり、大人たちは何ら根拠がある訳でもないのに、子供たちに貧しい人生経験で「世の中甘くない」「夢なんて適わない」と忠告していたのである。

 当時から、何か違う....と思いながら反論できなくて、悔しい思いをしていた。今だから、その発言の根拠がないことに気づくのだが、10代ではそこまで分からない。ただ、当時も「本当にそうだろうか?」「この大人が言っていることは正しいのだろうか?」「もっと、別の考え方もあるんじゃないか?」「なのに、なぜ、この人は自分の意見が絶対であるような言い方をするのか?」そんな疑問は感じていた。

 やがて、あれこれ人生について語る大人たち。親戚。教師というのは大きな問題があると思えて来た。この人たちの言いなりになりになっていたら大変なことになる....。似たようなことは誰しも10代の頃に感じたことがあるだろう。感じ方は違っても「うるせーなー!」という思い。その背景にあるのは、単に嫌なことを強要されるからだけではなく、時代の流れに敏感な10代が言葉にはできなくなくても、「何かが違う」と感じるからではないか?


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 それを言葉にしたのが尾崎豊というアーティストだったのだろう。だから、若い世代にもの凄く支持された。それほど若い頃は自分の気持ちをうまく伝えられないし、自分で自分の思いを把握できないことが多い。僕も当時は「何かが違う」と感じていはいたが、大人たちの言葉に明確に反論できないでいた。が、彼らのいうことは毎度同じ。それなら話を聞いても無駄だな?と思えて来た。

 親も、親戚も、教師も、そして訳知り顔の同級生も、あれこれ人の行動について、発言について、そして夢や人生について、あれこれいう人たちのほとんどは、経験もなく、知識もなく、聞きかじったことを鵜呑みにして「絶対的な事実」として断言することを感じた。そんな人たちと話をしても無駄。そう思えて来た。

 高校を卒業後、横浜時代に住み、映画監督を目指す同世代と出会った。皆夢を語ったが、次第にその難しさを痛感。いつしか夢を語ることはなくなり、そのための努力もしなくなり、1人2人と去って行った。この頃になり、僕は気づくのだが、そんな彼らのほとんどは何ら足掻こうともせず、夢を語るだけで、戦おうとはせず、世の中に失望して行っただけだった。そして、こう言い残す。

 「世の中、甘くない...」

 夢見る仲間たちが、あの日の大人にダブった。そして、あの大人たちがなぜ、あんなことを言ったか?その理由が分かった。そう、多くの大人は夢を見るだけで、行動しようとはせず、やがて夢破れて「現実は甘くない」というのではないか? その思いを子供たちに押し付ける。それが、あの日の大人たちではないか? そんなふうに思えて来る....。






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「双極性障害を勉強中。学んだことを書き出してみる」② [【再掲載】]

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「双極性障害を勉強中。学んだことを書き出してみる」②

専門家の本から引用する。

「同じ仕事をしている仲間が双極性障害になるというのは、どういうことでしょう?(中略)より大きな問題になりやすいのは、やはりうつ状態よりも躁状態です。今まで何の問題もなく仕事をこなし、信頼や信用を得ていた人も、躁状態になると気が大きくなり、会社のお金を使い込んでしまったり、必要のないものを買い込んでしまったりすることがあります」

「会社にとって躁状態の患者さんは社会的に、或いは法的に問題を引き起こすリスクになる可能性があるのです。躁状態を放っておくと、患者さんは会社に多大な迷惑をかけ、自分自身も社会的信用をうしない、社会復帰の足がかりもなくしてしまいます」

「双極性障害ー躁うつ病への対処と治療」(著・加藤忠史、ちくま新書)より







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「双極性障害を勉強中。学んだことを書き出してみる」① [【再掲載】]

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「双極性障害を勉強中。学んだことを書き出してみる」①

まず、双極性障害とはいわゆる「躁鬱病」である。が、その印象のまま理解すると、本質は分からない。そこで専門家の本より、分かりやすい記述を引用する。

「大きな問題となるのは躁状態です。患者さんが躁状態になると、とにかく口数が多くなり、休む間もなくしゃべり続け、その上、家族が言うことを聞かないと怒り出したりします。そのとき患者さんがいうことは統合失調症のような精神病状態とは違い、ある程度筋が通っていることです。

躁状態の患者さんがいうことは、事実と違っているわけではなく、病気だからとすませることもできないような内容が特徴なのです。家族にとっては、非常に腹が立ち、また傷つくことをばかり休みなく言い続け、家族を責め立てます。家族はときには一睡もできず、疲れ切ってしまい、精神的にも追い込まれ、憔悴しきってしまいます。

その上、激しい言動のせいで仕事を失ってしまい、一家の収入が減ってしまうこともあります。さらに、躁状態になるとお金使いが荒くなってしまい、何百万円、場合によっては何千万円という借金を背負ってしまったりすることがあります」

「双極性障害ー躁うつ病への対処と治療」(著・加藤忠史、ちくま新書)より





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【これからの時代を生きるために必要なことって何だろう?】 [【再掲載】]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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マスコミは真実を伝えない、巨額な広告料をくれる企業のために報道? [【再掲載】]

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「原発再稼働」「集団自衛権」「消費税アップ」「秘密保護法」きっと、ネットを使っている方はすでにご存知のことばかりと思う。が、同世代の友人に訊くと、ほとんどが答えられず40−50代の男性ヤバいぜよ。

そして彼らが特別ではなく、多くの日本人が同じだと思える。だから、大事な問題を置き去りにして「景気をよくしてほしい」なんてことにこだわってしまう。が、何とかミクスでは、景気もよくならないどころか、金持ちと大企業だけが肥え太り、庶民は長時間働いても、生活はよくならず。原発は再稼働。また事故が起きたら日本全滅か? あるいは福島と同じように、税金で何十年もかかり収束作業をすることなる。

子供たちは戦争に行かされて、武器輸出で大企業がまたまた大儲けとなるだろう。と書くと「そんな大げさなことにはならないよ〜」という人が必ずいるが、ぜひ、このシリーズのバックナンバーを読んでほしい。今の日本は確実にそちらの方向に進んいる。それと、もうひとつ。なぜ、それに気づかない人が多くいるか?それを書かねばならない。マスコミの存在である。

マスコミというのは、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、情報を伝えるメディア。多くの人はそれらは「真実」を伝えていると思っているだろう。が、そうではない。311でそれがバレてしまった。原発問題を探ると、その辺もわかりやすくなるのだが、要はテレビも新聞もスポンサーというものがある。テレビならCM。新聞なら広告。それらの企業はマスコミにとっては、お得意様。大手スポンサーの都合の悪い情報は流さない。

だから、原発は安全と言い続けた。だって年間800億円以上の広告費。ダントツ1位の大金をもらっていれば、ちょっとやそっとの事故は報道しない。そして、これからも、そんな大金がもらえるなら、早く再稼働できるように、「事故は収束した」「被害は少なかった」「放射能は危険ではない」と思えるニュースを平気で流してしまう。だって、企業の目的は金儲けなんだから。

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僕らは長年それに気づかず、ニュース番組は中立公正で「真実」を報道するものと思い込んでいたのだ。それと同じことが今、同じ構図で、マスコミを歪めている。そもそもマスコミは国や政治を監視し、問題を指摘し、それを国民に伝える役割を担っているはずなのに、最近は国のいうことをそのまま伝える御用メディアに成り下がっているところが多い。

某放送局の会長などは「国が右ということを左とはいえない」と記者会見で公言する。本来は「国が右」といっても「それは違うのではないか?」と指摘するのがマスコミの仕事。いや、御用メディどころか、国が進める危険な法案について解説、批判をしないことが多い。そして、福島第一原発の事故。直後は多くの報道があったが、最近はめったいに見ない。事故は収束。被災者は皆、家に帰れたのか? いやいや、まだ14万人が帰宅できず、多くが仮設住宅でこの瞬間も生活している。

なのに、マスコミはそれをしっかりと報道しないことが多い。「原発事故のことはもう忘れてほしいう」といいたいかのようだ。その結果、視聴者の多くは、あれほど「原発は危険!再稼働は反対」と盛り上がっていたのに、今は「景気が大切」といい出した。まんまとマスコミに乗せられているということだ。そのマスコミにそんな指示を出しているのが、もちろんあの党。マスコミ関係のトップと次々に会食。友好を深めている。

そして、マスコミは彼らに都合のいい情報を流し、都合の悪いものを止める。それに従わない局に対しては「公正な報道をするように」と圧力をかける。切り札はテレビ放送権を取り上げること。こうして、今日本は戦時中のように大本営発表の国になった。太平洋戦争当時。日本軍は各地で敗退していたにも関わらず、国内の新聞、ラジオは連戦連勝の報道をしていた。それと同じ。

「景気がよくなった実感がない」というインタビューを番組内で流せば、ゲストだった総理があの人が逆上してクレーム。あとで党から圧力もかける。キャスターを降板される。もう、戦時中と同じ構図。が、多くの人はそれに気づかず、日本が戦争に参加することなんてなく、言論の自由は保障され、これから景気がよくなると信じているのだ。

だが、マスコミが伝えずとも、ここしばらく国会で提案された法案や閣議決定されたものを見ると、とてもそうは思えない。本来、マスコミがそれを指摘すべきだが、ほとんど無視。あるいは推進している。批判する局は別の理由で叩かれ、信頼を落とされる。それが今のマスコミの状態。もちろん、最後の上げた局はがんばっている。が、今、物凄い圧力を受けているはずだ。そして多くの日本人はそれを知らず。安穏としている。

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そろそろ気づいた方がいい。今の日本は一部の金持ちと大企業だけが大儲けして、庶民はより貧しく。苦しめられる国になっている。マスコミを使い、嘘の情報を流し、本当のことは秘密! あの党を支持するということは、「原発事故で故郷を失ってもいい、子供を戦争に送り出してもいい、高い消費税に苦しんでもいい、一部の金持ちと大企業のために犠牲になりま〜す」!という表明でもある。それらが現実になったとき「えー、こんなはずではなかった!」「騙された!」といっても、もう遅い。マスコミを信じてはいけない。報道ではなく政府の広報なのだから。


2014-12-08の記事

 つづきはこちら=> http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2014-12-04-3



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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想/福島から避難した方からのお便り [【再掲載】]

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感想/福島から避難した方からのお便り

 昨日京都みなみ会館で見た「朝日のあたる家」の感想というか、

 感じたままを連ツイしてみる。

1)「朝日のあたる家」は予想以上でも予想以下でもなかった。たぶんそれは太田監督がこの映画で表現したかったことと私が震災以降に通過した経験や気持ちが同じだからではないかと思う。

2)映画を観る前から自分がバラバラになっていくのを感じた。映画を観る自分と映画を観ている自分を見ている自分、そして震災直後の自分。観ている内にだんだん3つ目の自分が幅をきかせ、最後に二つ目の自分が色々問うた。ていた。福島県人が見るには覚悟のいる映画だよ。

3)「おだやかな日常」を観た時は、正直、鼻で受け流すような部分が大きかった。勝手にやっててちょうだい。福島から比べりゃあさあ~みたいな…。(決してバカにしているわけではないですよ)この映画の舞台が福島そのものでなかったことは一つのポイントだな。

4)当時小6だった娘と高2だった息子のことが頭を過りっぱなし。そしてわが夫が映画の中のお父さんみたいでなくて本当によかったと改めて思った。夫や義父は今もいわきにいるわけだけれど。映画を観たあとメールした。そして今日は義父にも電話した。おだやかな会話。

5)子どもは親(もしくは親の役割を果たす人)でしか守れない。いや、親であっても守れないことさえあるのだ。特に緊急事態には、親の漠然とした愛情だけでは子どもは守れない。親の考え方、知恵、決断、経済力、行動力で子どもの運命が決まる。今は原子力緊急事態宣言発令中だ。

5)夫の弟は高校2年で白血病を発病し、21歳で亡くなった。「乳幼児期にレントゲンを沢山撮るとか放射線をたくさん浴びるようなことがありましたか?」福島県立医大で聞かれたそうだ。36年前のことだ。「何が悪かったんべかね。」義母は亡くなる前までつぶやき続けた。

6)義母の実家は原発から近い警戒区域だった町で、1号機の送電開始時に義弟は10歳。毎年夏休みには遊びに行って遊んだり泳いだりしていたそうだ。震災後、義父は「万一思い当たるとしたらそのことくらいだ。」と話した。

7)そんな家族背景があったから、子ども達だけでも先に避難させるという選択を夫も義父も賛成してくれた。転勤族(福島県内のみだけど)の家であったことも幸いした。

8)次男を亡くすという不幸を経験している義父は「みんな万一なんてことがないと思ってんだろうな。自分の子が自分より先に逝くなんてこと、万一起きたら…。」と。息子夫婦にもそんな悲劇が万が一でも訪れない最善を尽くさせてくれた。

9)「拳銃が重い。自分の子も救えなかったのに。」福島県警の警察官だった義父は次男を亡くし、定年まであと1年足らずで退職したんだと義母から聞いている。

10)「朝日のあたる家」を見て、改めて義父に感謝している。孫溺愛型の義父なんだけれども、自分や先祖のために孫をそばに置いておくという選択ではなく、孫の将来を考えて辛い選択をしてくれた。孫達もそのことはよ~くわかっているから、おじいちゃんにも優しい。

10)「故郷、「その場を離れたくない」は取りも直さず、その場での生活がいかに幸せだったかの証じゃないか。諦めきれないは強欲じゃないか。「朝日のあたる家」のお父さんに語りかけていた。

11)自分や家族の身を守るため、緊急事態に入手できる情報は一際大切だ。福島でも情報の入手先で決断は大きく分かれたと思う。また、遠方からの客観的情報も大切。山本太郎扮する叔父さんのように、心配して情報やアドバイスをくれる人がいるかどうか、そして、それをどう受け止めるか。

12)「直ちに人体、健康に影響はありません。政府は責任回避の余地を残してこう言うんだろう。私は「将来あぶないかもよ。あとで文句言うような人は、今の内に逃げる準備して逃げて下さいよ~」と解釈したんだ。

13)我が家は福島第一原子力発電所から45㎞。自主的避難地域であり、子ども達は3月13日の夜中にいわきを出て14日から姫路で暮らしている。私は幼稚園と病院の託児室の園長という職柄離れられないと考え、いわきに残り1年後に子ども達の元へ。

14)長男のセンター試験の時でさえ、傍にいてやれなかった。あの時くらいは休みを取って姫路へ行けばよかったと悔やんでいる。震災から二週間後、長女の姫路の中学校の入学式に出た時「地震がきた時、責任者がいなくてどうするのですか?」と職員に詰め寄られた記憶が邪魔をした。

15)もちろん園児のことは心配だったけれど、自分がいたからってどうにもならないことが多いんだ。いや、残留活動をしているようにさえ、感じていたんだ。結局は人目を気にしていたに過ぎない。園長の代わりはいても、母親の代わりになれる人はいない。

16)二人だけで避難して1年間過ごした息子や娘のことを考えると今でも胸が痛み、目頭が熱くなる。放射能による健康被害を避けるために、子ども達に精神的被害を負わせてしまうのではないかという心配。なかったわけではないが、この子達なら大丈夫だと思い、まず守るべきは何かを考え、避難、転校させた。

17)「ママ、私がメンタル強い子でよかったね。弱くて登校拒否起こすようだったら、避難させなかった?」「寂しかったと言うより、帰りたかった...。」つい先日の娘の言葉。小学校ランドセルを置いたまま避難して、友達に挨拶もできないまま、姫路の中学校に入学した。

18)志望大学を落ちた時、浪人を勧めたら「もうこれ以上自分の存在場所がはっきりしない生活はいやだ。」と長男は言った。来春は成人式だ。「成人式はいわきで出たいんだ。で、トンボ返りで戻って来て、姫路の高3時のクラス会にも出たい。」姫路の高校に転校し、今は京都の大学に通う長男の言葉。辛い反面、ほっとした。

19)元々兄妹仲が良かったのだけれど、今は私が入っていけないくらい益々仲の良い二人。「だって、戦友だもんな。」兄の言葉。いちごを独り占めすることはないと思う(笑)。

20)先月も夫が姫路に来て、家族4人揃った。「家族が一緒にいる」そんな当たり前そうなことに心底幸せを感じた。

21)「ご主人が一番辛いでしょう。もし、そこで気持ちを共有できないと益々辛い。」震災半年後『百人百話』のインタビューを受けた後の岩上安身さんのことば。この言葉のおかげで、私は気持ちを共有する努力をし始めた。そして、今、もしかしたら、一緒に暮らしていた頃より仲がいいかもしれない。岩上さん、ありがとう。

22)福島県内の転勤族だった義父の関係で夫も県内を転々とし、転校も4回経験したらしい。子ども達にそんな経験をさせたくないと、大手企業からいわきの地元企業に転職した夫。避難転校した子ども達の辛さも私以上にわかっているだろうし、転校させることは無念だったに違いない。

23)私は地球上、どこに住んでもいいじゃない。」と軽く思っていたのだけれど、そうもいかないこと、そうはいかない人がいることを福島で驚くほど味わった。「朝日のあたる家」のお父さんみたいな人が多勢。

19)人間が住めなくなるような場所を人間が作ってはあかんわな。もう福島では作ってしまった。まだ、作るつもりか!?そうそう、あの原発兄ちゃんには、もうちょっと頑張ってほしかったな。

23)終の住処と決めていわきに家を建てたのは2003年。まさか、こんなことで離れるなんてね。悔しいけれど、人あってこその家。

終わりに)まずは子どもを、自分の家族を守ろう。家族が元気で心身寄り添い暮らせる幸せに勝るものはないよ。そのためにもっと社会を知ろう。幸せに生きる権利を守ろう。地球上に住めなくなる場所を作るなんて、とてつもない罪悪だ。取り返しのつかない罪を重ねてはならない。

経済成長ありきで騙されていないか。本当の豊かさ、幸せってなんだろう。それは、誰かの犠牲の上に成り立つものではないはず

一生懸命生きるその懸命さの視線、もう少し後ろに引いて見てみようよ、考えてみようよ。「朝日のあたる家」はそのきっかけになる映画だと思う。





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「朝日のあたる家」=感想/家族が2時間だけ一時帰宅をする場面で私は泣き出す [【再掲載】]

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札幌応援団Midori Sudoさんより

映画「朝日のあたる家」札幌シアターキノで見てきました。最終日もほぼ満席でした。私は今日でこの映画を見るのは4回目。一家が2時間だけ一時帰宅をする場面で私は泣き出す。ところが今日はこの場面に来る前に既に激しく泣いている人がいた。

最初の部分で平田家はけっこう愉快な家族として描かれている。次女の舞ちゃんは原発の事を全く知らないし。原発事故が起きてどんどん事態が悪い方に進展しても愉快な家族はそれを守ろうとするが事態は家族をどんどん追い込む。娘達が体調をくずしても平田家のお父さんストレスのせいだという医者の言葉を信じようとする。

そのお父さんが故郷を捨てられないと言って泣く場面も悲しい。1回目見たときはただ悲しいと思って泣いた。でも回を重ねるごとに悲しいと一緒に悔し泣きでもあると思う。劇中ナレーションをしている長女の茜さんが「私達何も悪いことをしていないのに」という。

こんな風に福島やその周辺で普通の人々を不幸に押しやったのだと思うと悔しいのと怒りで涙が出てきたんだと思う。もしも近くにこの映画が来たらぜひ原発に無関心な人や再稼働してもいいと思っている人を1人つれて見に行って欲しい。

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