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「朝日のあたる家」全国公開でキャンペーン中。 ラジオ番組出演の待ち時間に。 [思い出物語]

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2013年。

「朝日のあたる家」全国公開でキャンペーン中。

ラジオ番組出演の待ち時間に。

新潟にて。

現在は念願のDVD発売。

全国のTSUTAYAレンタル中。



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3年前の今日は、豊橋で「朝日のあたる家」のイベント! [思い出物語]

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 3年前の今日は、豊橋で「朝日のあたる家」のイベント

 まず、上映してくれる映画館を見に行き。

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 ポスターを確認。

 ライバル映画は「ガッチャマン」と知る。

 (同じ頃公開だったけど、先に終わった)

 そして、夜に豊橋のライブハウスでイベント。

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 夏から秋。冬まで。宣伝キャンペーンが続きました。

 宣伝は交通費や宿泊費は配給会社から出ますが

 ノーギャラ。厳しいけど、映画を多くの人に知ってもらうのも

 監督の仕事なのだ。。。






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。 
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マイヒストリー① 1980〜1985 [思い出物語]

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僕が監督した4作目の映画「向日葵の丘ー1983年夏」は

タイトル通りに1983年を舞台にした物語。

そこでシナリオを書く前に、年表を作ってみた。

僕自身がそのあたりで何をしていていたか?

そしてどんな映画や歌が流行っていたか? 把握するためだ。

その年表を改めて見直してみると、

いろいろと感じるところがあったので、ご紹介する。

かっこ内は当時の僕の年齢。*印以降は当時ヒットした曲や映画。

これだけでも、当時の思い出が蘇る! 

写真は83年当時の私。新宿の映画館街で。

1980年(19歳)高校卒業、横浜の映画学校へ!8ミリ映画「Rock'nRoll破壊部隊」監督

*帝国の逆襲、203高地、悪霊島、駅station♫青い珊瑚礁、蜃気楼、Dオールナイト

1981年(20歳)8ミリ映画「ホラ!天使がやって来た!」監督     
*Bブラザース、泥の川、連合艦隊、居酒屋兆治、レイダーズ、セーラー服
♫風立ちぬ

1982年(21歳)8ミリ映画「パイナップルムービー」監督、LAで下見  
*めぐりあい宇宙編、転校生、ロッキー3、ET、♫YesMyLove、渚のバルコニー

1983年(22歳)8ミリ映画「バイバイミルキーウェイ」監督   
*♫17歳の地図、天国のキッス、ジェダイの復讐、時をかける少女、

1984年(23歳)学費のためのアルバイト  
*♫EACH TIME、回帰線、時間の国のアリス、BIT.USA、「天国にいちばん近い島」「Wの悲劇」

1985年(24歳)USC留学   
*♫卒業、天使のウインク、「BTTF」「ランボー2」「さびしんぼう」  





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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい! [思い出物語]

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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい!

出演者が凄かった。松坂慶子、長門裕之、波岡一喜、鈴木砂羽、藤田朋子,,,,,,,,,メジャー映画のキャストよりスゴイと言われた。そして、長門さんの遺作。いろいろ思い出す。



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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい! [思い出物語]

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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい!

出演者が凄かった。

松坂慶子、長門裕之、波岡一喜、鈴木砂羽、藤田朋子,,,,,,,,,

メジャー映画のキャストよりスゴイと言われた。

そして、長門さんの遺作。いろいろ思い出す。



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30年前の思い出ー夢を追うと失うもの。プロを目指すと心傷付くこと。 [思い出物語]

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30年ほど前。

 僕は横浜に住んでいて自主映画活動をしていた。今はもう製造されていないが8ミリフィルムを使って映画作り。映画研究部のような乗りで撮影をし、自主上映会。音楽でいえばバンド活動のようなもの。プロデビューを目指して、仲間と映画を作っていた。

 仲間は専門学校の学生であったり、大学生だったり。映画好きが集まり、スタッフやキャストとして参加してくれた。が、皆、素人なので、いろんなトラブルや事件が続出。それを解決しながら1ヶ月も撮影するのは、なかなか大変だった。

 真夏の太陽の下での撮影は過酷。ギャラも出ない、飯や交通費は自前。おまけに僕は当時から「本気」モード。趣味の延長ではなかったので、かなり現場はハード。だから、映画ごっこと解釈「楽しそー」と参加すると大変な目に遭う。だから、核となるメンバーは「将来は映画監督になる!」という仲間で固めた。

だが、撮影が1ヶ月も続くと、

 パニックになる奴も出て来る。主要メンバーの1人で大学生のA君は遅刻が増えるようになる。現場で取り乱す。何かにつけ、反対意見を出し、撮影の足を引っ張る。いやいや作業をし、注意すると激怒。あるとき、彼の不注意で10本近い撮影済みフィルムをダメにしてしまった。

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 製作費は僕がバイトで稼いだわずかな額しかない。

 リテイクを含め、数万円が無駄になる。学生にとっては大きな打撃だ。そのために、撮影がすでに済んだ友人にも、もう一度来てもらい同じシーンの撮影をせねばならない。何日もの撮影が無駄になった...。

 A君は非常に聡明な映画マニアで、自身でも将来は映画の仕事がしたいという強い思いがあった。が、映画を「観る」と「作る」では大違いということを痛感しており、心の中で葛藤があったようだ。ここで投げ出すことは、夢を諦めること。だから、辞められない。が、撮影は辛く、やること、なすことが撮影の邪魔ばかり。

 そんなふうにA君のために撮影が何度も中断。スケジュールが遅れる。彼のミスのために、手伝いに来た友人たちが二度も三度も撮影に来なければならない。製作費も足りなくなった。なのにA君はどんどんやる気をなくし頻繁に遅刻。投げやりな態度を取るようになっていた。

そこで不思議な反応が起こる。  

 皆はもう「Aは辞めた方がいい!」というと思っていたのに、多くがこういったのだ。「太田。冷たいぞ。Aにもっと優しくしてやれよ! 友達だろう?」「可哀想じゃないか? 遅刻しても待ってやろうよ」最初、その意味が分からなかった。

 僕は趣味で映画をやっているつもりはない。プロを目指す仲間と共に真剣勝負で撮影をしていた。そのことは皆、理解しているはず。なのに一部の友人たちが「みんなで仲良くやろう」といいだしたのだ。「よりよい映画」を作るより「友達」を優先すべきというのだ。

もし、これがサークル活動とか8ミリ映画同好会なら、

 その通りだ。が、プロを目指すための活動である。何で??? それで分かって来た。多くの友人たちは「プロを目指す!」といいながら、実際は「みんなで楽しくやりたい!」というのが本音だったのだ。決局、A君は撮影を途中で投出し、来なくなる。

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 映画は完成。皆、盛り上がった。

 メンバー「もう1本映画を作ろう!」といいだし、次はA君を庇ったB君が監督をした。が、またトラブルや事件が起きて撮影は難航。8ミリ映画といえども撮影は大変。今度はB君がパニックなり。撮影を投げ出してしまった。クランクアップを迎えることなく終了となる。

 その後、誰も映画撮影をすることはなくなり、皆、夢を語ることはなくなり、1人故郷に帰り、2人帰り。仲間は誰もいなくなった。僕は新しい仲間と出会い、自主映画活動を続けた。2年ほどして、A君と再会する。僕の8ミリ上映会に来てくれたのだ。彼は恥ずかしそうに、こういった。

「あのときは太田が許せなかった。けど、時間が経ち、自分が甘かったことに気づいた。あのときの仲間は皆、プロを目指すといいながら、その意味を理解してなかったんだ。結局、映画ごっこで楽しくやりたいというレベル。だから、夢を諦めて故郷に帰っていった。でも、お前はまだがんばっている。本当に真剣だったんだな。本気でプロを目指してたんだな? そう思うとうれしくて、来れる義理じゃないけど来ちまったよ.......」


 僕もうれしかった。というのも、

 あの頃は、やたら批判されていた。「太田は何様だ?」「たかが自主映画だろ?」「手伝ってもらっているという感謝がない!」とか陰で言われていた。が、僕がするべきは、素晴らしい映画を作り、認められて、みんなでプロの世界に殴り込むこと。そう思っていた。プロを目指すということが、共通の目標だと信じていたから。

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 そうではなかったこと。後に知った。

 でも、A君と再会し、そのことを彼が分かってくれたこと。うれしかった。もし、あれが青春ドラマなら、みんなで仲良く最後までがんばることがハッピーエンドだろう。しかし「プロを目指す」といいながら、嘘ではないが、それが単なる憧れだった友人たちもいた。「絶対にプロになる!」という者と「できれば、プロになれるといいな〜」という者では、すれ違いが起こるのは当然なのだ。A君は語る。

「あの頃はお前を恨んだけど、今は分かる。お前は間違ってなかったんだよ。今ごろ、あいつらも気づいていると思うよ。そして太田を応援しているはずさ。そしてお前なら必ずプロになれるよ....」

 A君はそういってくれた。が、その後、彼と連絡が取れなくなり。今はどーしているか分からない。けど、きっとどこかで僕の映画を観てくれていると思いたい。そしてスクリーンに向かって、1人でこう呟いているだろう。

「だからいっただろ? お前はプロになれるって。嫌われても、冷たいって批判されても、大事なのは素敵な映画を作ることなんだぜ...」

 そんな声が聞こえてきそう。だから、僕は前に進みたい。あのときの仲間の思いを込めて、感動を届ける映画を作るために....。

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原発事故で「死の町」になった場所 [思い出物語]

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 写真上は、

 ウクライナにある町プリピャチ。

 建物はアパートやショッピングセンター。

 チェルノブイリ原発から30キロにあるので

 住人が全員避難。今も帰還できずにいて、

 誰も住むことの出来ない

 「死の町」となっている。

 正月の東京の町を見て、

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 昨数年前に取材したこのプリピャチを思い出した。

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 建物の中はこんなふう。

 25年の歳月で荒れ果てて廃墟となっている。



 
 「朝日のあたる家」公式HP=> http://www.asahinoataruie.jp/








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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい! [思い出物語]

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6年前の監督作「青い青い空」懐かしい!

出演者が凄かった。

松坂慶子、長門裕之、波岡一喜、鈴木砂羽、藤田朋子,,,,,,,,,

メジャー映画のキャストよりスゴイと言われた。

そして、長門さんの遺作。

いろいろ思い出す。



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3年前の今日。ここを訪ねた。 [思い出物語]


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3年前の今日。ここを訪ねた。


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