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ロケ地を好きなるーそこから素晴らしい映画が誕生する。 [映画業界物語]

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【ロケ地を好きなるーそこから素晴らしい映画が誕生する】

東京や大阪のような都会を舞台に映画撮影をしたことはない。大学時代をアメリカで過ごしたときに、日本の地方がいかに美しいか?世界的に見ても貴重だと痛感。そんなことがあり、もっぱら地方を舞台にして映画を撮っている。

が、単に地方を舞台にすればいいというものではない。まず、その町を知ることからスタートする。ロケハンということではない。撮影をしない場所であっても、その町のいろんなところに行ってみる。とにかく歩く。今日は西に向かってひたすらまっすぐ歩く。翌日は東。そして、地元の食堂や喫茶店に入る。地元名物だけでなく、地元の人々が日頃どんなものを食べているか?同じものを食べみる。

もちろん観光地も行くが、観光客が行かない住宅街や工場地帯。裏道。商店街。川、海、池。とにかく歩いてまわる。そうすると、素敵な場所と出会う。それは古い廃墟かもしれない。地味な路地かもしれない。でも、観光地にはない、美しい佇まいを見つけることができる。

次に歴史。町のヒストリーを勉強する。社会科の授業ではない。その町に以前あった映画館はどこにあり、どんな映画を上映していたか? ホールはどこにあり、どんな歌手がコンサートをしたか?も調べてみる。スーパーマーケットは? 大手の百貨店は? バブルで作られたもの。なくなったもの。現代だけでなく、過去も知ることで町の輪郭が見えて来る。

そして地元の人と話す。どんな生活をし、どんな言葉で話し、どんなものを食べ、どこで酒を飲むか? 若い人は学校を出るとどこに行くのか? 戦争中はどうだったのか? いろんなことを聞いていると、さらに町が身近に感じるようになる。

いろんなことを知ると、その町が好きなる。そこが大事なところ。好きでない町で映画を作っても、素敵な作品にはならない。俳優と同じ。その俳優がいかに有名であっても、好きになれないと、映画の中でその俳優は輝かない。同じように、舞台となる町も好きになることが輝く。だから、まず、知ること。そして好きになることがとても大事。どこで撮影するか?はそのあとで構わない。

通常の企業映画ではここまでしない。ロケする町はたいてい有名な観光地。そこに製作部が行き、シナリオに書かれた場所に近い撮影に相応しい場所を探す。メインロケハンで監督が同行。その場所を確認。OKを出す。監督がその町を次に訪れるのは、撮影時。たった2回しか行かない。ロケ場所以外は行かない。当然、町のことを知る機会はない。地元の人の交流もほとんどない。

それが通常の映画。だから、映画の中に美しい風景のシーン出て来ても、それは美しいだけであり「愛」はない。観光地で売られている絵はがきのようなもの。心に残らない。本当にその町が好きで、愛がある人がその町を撮れば、美しいだけでなく心に残る風景になる。でも、企業映画はそんな努力はしない。有名観光地の人気を利用して、見た目に綺麗な風景をちりばめただけで映画しか撮らない。町を好きになる努力や時間。費用を出すことはない。

でも、それでは町の魅力を映し出すことはできない。だから、僕はまず個人で町を訪れる。何度も何度も行く。そして先に書いたように、毎日歩き回り、町を知り、地元の人と交流し、地元のものを食べ、観光地以外やロケしない場所に行ってみる。そして町を知り、好きなった上で撮影に臨む。

その町の魅力をスタッフや俳優に話す。写真を見せ、映像を見せ、地元の食材を食べてもらう。そうやってスタッフ・キャストにも町を好きになってもらう。時間と予算が許す限り、メインスタッフを事前に地元に連れ行き、一緒に町を歩いてもらう。美味しいものを食べてもらう。高価なものではない、地元ならではの食事。町の人と話をしてもらう。酒を酌み交わしてもらう。そうすると、スタッフもその町が好きになる。

好きな町で撮影すると、「よーし、この町の魅力が溢れる作品にするぞー」と皆、がんばってくれる。いつしか、スタッフの中で、その町は故郷になっている。不思議なことにその町を好きなると、撮影時に町が微笑んでくれる。晴れのシーンでは晴れ。雨のシーンでは雨が降る。美しい夕陽を見せてくれる。青空を広げてくれる。いろんな面で映画を応援してくれるのだ。

そして、好きなった町で撮影した映画を観た人もまた、その町を好きになる。「素敵な町だなあ〜。一度、行ってみたい!」と思ってくれる。風景が心に残るだけでなく、町の魅力が溢れる作品になる。映画としてもクオリティが高くなる。なのに、企業映画はこれをやらない。メジャー映画の方が予算があり、規模も大きいのに、撮影以前の努力をしない。

だから、僕は企業映画はなるべく受けない。時間をかけて町を好きなることができないで、素敵な映画はできないからだ。もちろん、企業からドカンと制作費のでない低予算映画は大変。無駄使いせず、高速バスで地元を訪ね、ビジネスホテルに泊まり、食事代もなるべくかけない。町を何日も何週間も、何ヶ月もかけて勉強してもギャラは出ない。その上に他の仕事もできないので、生活は厳しくなる。映画が終わって残るのは借金だけ!ということも多い。でも、大事なのは町の魅力が溢れる素敵な映画を作ることだ。それが監督の仕事であり、僕のやり方なんだ。



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作家が時代と向き合うとき、名作が生まれる? [映画業界物語]

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311後に友人のテレビ局ディレクターがこんなことをいっていた。

「これからの映画は311前と後で分かれる」

僕も同じことを感じていた。311以前に作られ、それ以降に公開された映画を見ると、「何これ?」という時代錯誤を感じ、見ていられないものがあった。震災や原発事故を描かなくても、それを体験した人が作ったものと、それをまだ経験していない時期に作ったものは雲泥の差があった。

僕の映画もそれまではさわやかな青春ものだったのが、一気に「朝日のあたる家」に進んだのも時代の反映だったと思える。あの時期にどんな美しい青春を描いても観客には伝わらない。東北の人たちだけでなく、日本人。いや、世界にも通用しないと感じた。同じ時期。宮崎駿はこう言っている。

「もはや、ファンタジーは通用しない」

あれだけファンタジーの傑作を撮って来た人がだ。やはり311以降には無意味と巨匠は悟ったのだろう。そもそも、ファンタジーというのは平和な時代にスリルやサスペンスを求める世界。2時間の間、映画館でハラハラドキドキして現実に帰って来るためものもの。

それが今の日本はまさに「ナウシカ」の腐海そのもの。そんな時代に現実逃避してどうする?ということなのだろう。その宮崎駿が監督したのは「風立ちぬ」ファンタジーの巨匠が現実を描いた。彼のナンバー1作品だと思うし、そのメッセージに心打たれた。時代を反映していない作品は観客に届かないことを思い知った。

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これは僕の意見だが、ファンタジーと共に現代通用しないジャンルがもうひとつある。「ラブストーリー」だ。それをうまく説明することはできないのだけど、この混濁の時代。「恋愛」まで行き着かないのではないか? と感じる。今の時代に求められているのは「絆」それは親子の絆であり、家族の絆。そこをまず、もう一度見つめることが大事な時代になったように思える。

親子のつながり。家族のつながり。友達とのつながり。それらが希薄になり、長い年月が過ぎた。けど、それをもう1度見つめ直す時期が来たのだと思える。当たり前だと思えた家族が崩壊する。その家族こそが災害のときには一番の味方だった。空気のようだった家族の大切さを日本人は再確認したのだと思う。

だから3作目ではそれがテーマになった。家族。古里。親子。友達。それがどれほど尊くて、貴重なものなのか? それを描いた。そして現在、日本は原発事故よりもっと恐ろしい戦争に再び参加しようとしている。そんな時代に一番考えなければならないこと。見つめなければならないこととは何か? そこにドラマの意味があるように思える。

物語を作る上で大切なのは、その時代を生きる作者自身がその時代をどう感じるか。そして自分の心に問いかけること。本当に願っていることはなにか?を描くことだと思う。***が流行っているから、***が人気だから、ではなく。自分の心に問うことこそ、時代を反映した他素晴らしい物語が生まれてくるのだと思える。




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「Wアレンがお前と同じようなことを言ってた」と友人に言われる? [映画業界物語]

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 「ウッディ・アレンって、太田と似たようなこと、言ってるんだよ」

 と、映画ファンの友人が電話をくれた。天下のW・アレンが無名監督の僕と同じこと???んーーなんだろう? 彼がいうには「ミッドナイト・イン・パリ」BDの特典映像のインタビューを見たら、いつも僕が言っていることと同じ発言をしていて驚いたらしい。Wアレンは映画の依頼が来たときにリストを見せるという。そこにはこんなことが書かれているらしい。

 ①キャスティングは自分で決める

 ②シナリオは自分で書く

 ③ラッシュはプロデュサーにも見せない

 ④編集は自分でする。口出しはさせない。

 少し他からの情報もプラスしているが、こんなことしい。それを映画会社が見て「これはないだろう〜!認める訳にはいかない」というと「だったら、依頼は受けられない」と答えるそうだ。実際、Wアレンの映画は彼が脚本を書き、監督をし、自身でキャスティングをして、編集。完成させる。映画会社には一切口出しをさせない。


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 それを聞き「ほんとその通りだ!」と思った。

僕もそれを実践している。ま、リストは作っていないし、巨匠のWアレンだから許される条件であり、無名のチンピラ監督が同じことを主張したら「100年早い!」と叱られそうだが、僕もそれを譲らない。

 というのは、有名か?無名か? 巨匠か?チンピラか?の問題ではない。素敵な映画を作るには、感動的な作品を作るには、上記を実践しなければできないのだ。シナリオを自分で書くからこそ、思いが籠る。自分で演出するから、さらに思いが伝わる。自分が選んだ俳優だから、その良さを引き出せる。自分が魅力を感じない俳優を起用しても、その人の魅力を引き出せない。

 そしてラッシュを見せないのも大事。

完成状態を想像できていない関係者に編集前の映像を見せても、あれこれ的外れな批判しかしない。自分で編集したこともない人たちがあれこれアドバイスしても、プラスにはならない。旅行でいえば大阪に新幹線で行きたいのに、飛行機で北海道へ行くべきだと言われても参考にはならない。編集も同じ。100人が編集すれば100通りの編集ができる。それを議論しても無意味。

 レベルの高い映画を作るのに大事なのは、監督が思うイメージを最大限に作り上げること。まわりがあれこれ口を出すと、思いが削がれて、結局、無難な作品しかできない。脚本、キャスティング、演出、編集までを監督が統括するべきなのだ。それぞれを別の「思い」を持つ人が担当すると、作品が力をなくし、バラバラになり、クオリティが低くなる。

 それを実践しているのが巨匠たち。

黒澤明しかり、木下恵介しかり、大林宣彦しかり、山田洋次しかり。巨匠たちにあれこれ口出す人はいない。だから、名作ができる。新人監督がいいものができないのも理由は同じ。実力がまだないというのもあるが、まわりがあれこれ言って監督の思う通りに映画作りができず。歪んだ作品となることが多い。

 そして「ダメだなあー」と思う映画の多くは製作委員会方式の作品。多くの企業が製作費を出し、それぞれの会社が作品に口出しする。監督は自分の思いより、各会社の要望をいかに受け入れるか?に終始する。クリエーターというより、交通整理係となる。キャスティングも監督が決まる前に決定していることがほとんど。だから、無難で生温い映画しかできない。


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 音楽でもそうだが、昔は作曲家の先生がいて、

作詞家がいて、歌手がそれを唄う。バックでダン池田とニューブリード(?)が演奏するという形だったが、今は自分で作詞、作曲して、自分のバンドで演奏し、自分で唄うバンドスタイルが主流である。なぜか? その方がクリエーターの「思い」がストレートに出て、聴き手をより感動させるからだ。映画も同じだ。

 いろんな人があれこれ意見したのをまとめても、感動的なドラマにはならない。タメ監督は「お仕事だし、ギャラもらえば、それでいい」と考え、映画作りを分かっていない関係者の意見まで聞き、それに従った作品を作ろうとする。監督に対する関係者の評判はいいが、作品的には無難なものしかできない。

 でも、関係者がいくら喜んでも意味はない。観客が泣いて、笑って、感動する映画になってこそ意味がある。好意でくれたアドバイスでも、的外れな意見を受け入れてもプラスにならない。ただ、全てを拒否すると人間関係でトラブるから、ある程度はその人たちの指示や助言を受け入れる? 仕事を円滑に進める上では必要なこと? しかし、映画でそれをすると絶対にいいものはできない。

 映画は民主主義ではない。

関係者全員が「***がいい!」と言っても、監督が「違う」と思えば、受け入れるべきではない。ストーリーも、演出も、キャスティングも、100%監督の思いを反映させてこそ、いいものができる。本当に不思議だが映画というのはそういうものなのだ。特に近年はそうだ。

 僕はデビュー作からそれを実践している。最初の頃は本当に嫌がられた。「二度と太田とは仕事しない」「何て我がままな奴だ!」「何様だ!」と何度も言われた。が、偉い、偉くない。有名、無名は関係ない。いい映画を作るには、遠慮したり、自分が違うと思う意見を受け入れてはいけない。

 毎回、関係者の一部に嫌われたが、作品の評価は毎回高かった。映画館では多くの観客が涙した。批判していたスタッフも完成した作品を見て納得する。それでも「自分の意見が通らなかったから」と批判を続ける人もいたが、映画の出来より自身のプライドを優先するタイプ。一緒に仕事はできない人たちだ。


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 大事なのは素敵な作品を作ることなのだ。

よく「あの監督はいい奴なんだけどなあ。作品がダメなんだよ」という声を聞く。「いい奴」というのは、自分たちの言う事よく聞く素直な奴という意味。でも、だから、いいものができない。ヒットを飛ばしている監督は逆に、批判する声が多い。人の言う事を聞かないからだ。でも、監督業として意味のあるのはどちらか?

 「次も仕事をもらいたい....」そう思うとプロデュサーや会社の意見を無下にはできない。が、全てを聞いていると、いい作品はできない。「じゃあ、ある程度聞いて、大事なところは自分の意見を通したら?」という人もいるだろう。でも、それはダメ。全てで自分の信じることをしないと映画は壊れてしまう。主役に相応しくないと思う俳優を会社は推薦ーそれだけは受け入れて、あとは好きにやった。でも、主役が適役でなければ全部が壊れる。どんなにその役者が努力してもダメ。それが映画なのだ。

 だから、Wアレンは自分でシナリオを書き、

キャスティングして、演出する。ラッシュは関係者に見せず、編集も自分でする。そんな彼はアカデミー賞を取り、数々の名作を作っている。そして現在も現役で活躍中。有名監督でなくても、アカデミー賞を取ってなくても、多くの人があれこれいう環境で良質な映画を作ることはできない。

 僕はようやく理解ある関係者、スタッフに恵まれ、ここ数年は本当にいい環境で映画作りができている。これは本当に感謝すべきこと。だからこそ、感動作を作らなければならない。無難な作品を作ってはいけない。それはそれで戦いである。
 とはいえ、日本では監督が全て自由にやることは本当に稀だ。でも、それを実践することが素晴らしい作品を作ることに繋がる。それがなかなか理解されない。




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感動的な物語を作るということー机の上で考えていてはダメ?? [映画業界物語]

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 前回、偉そうに「シナリオを読めない映画人」という記事を書いた。

 シナリオを読む力も大変だが、感動作になるシナリオを書くというのも大変だ。それ以前に物語を作るというのは戦い。頭の中で、あーしようか?こーしようか?とストーリーを作るだけでは観客を感動させるものはできないからだ。

 主人公がいて、可愛い女の子に出会って....実はその子は....とか考えて物語を作るのだが、どこかで聞いたようなそんなストーリーを書いてもなぜか?観客の心には届かない。誰でもストーリーを作ることは出来るのだが、感動作を書くのはむずかしい。

 物語というのはたいていボーイ・ミーツ・ガールで出来ている。恋のライバルが現れたり、2人を引き裂く存在がいたり、すれ違いがあったり、いろんな事件が起きて2人は結ばれない。それがパターン。なのに、ヒットするもの。しないもの。感動するもの。しないものが出て来る。何が違うのだろうか?

 テレビドラマで活躍する有名脚本家。

過去の作品のネタを気付かれないように、うまく使う人がいる。パクリというのは簡単だが、自分が作った物語に、そのネタをうまく脚色してはめ込んでいる。それはそれで実力だったりする。毎年、1クール。12話分ものシナリオを書いていると、持ちネタだけではすぐに尽きてしまうのも理由。

 でも、基本は自前のネタだ。子供の頃の経験とか、振られた思い出とか、体育祭での活躍とか、自分の経験を元にして書いた物語は伝わる。これが不思議なのだけど、頭で考えて作ったストーリーを話しても聞いている人はあまり共感も感動もしない。でも、自身が経験したこと。病気のことでも、失恋体験でも、その種の話をすると人は真剣に聞く。共感も感動もしてくれる。


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 聞き手がプロの業界人でなく一般の人でも、

それを見分ける能力を持っているのだ。作り話をすると具体的な根拠はなくても「何か、ヘンだな?」と思われる。試しに自身の本当に辛かった話を誰かにしてみてほしい。それが事実なら相手は必ず真剣に聞き、感銘してくれる。逆に、辛かった話を作って話してみてもいい。聞いた人はどこか????な感じを持つはずだ。人は誰でもその種の能力がある。

 それと事実が持つ「力強さ」「リアリティ」も大きい。「事実をもとにした物語」や「現実に起こった事件」のドラマ化は面白い。「現実は小説より奇なり」というが、頭で考えたドラマティックな物語より、現実に起こる事件の方が面白く、身につまされる。

 にも関わらず、多くの新人ライターは自身の話ではなく、過去に見た映画やドラマ。漫画のストーリーを焼き直したり、寄せ集めたりした物語を作ってしまう。何より、自分が経験したことを書くという基本を知らずに、あれこれ想像して書くのが物語だと思っているからだろう。

 もうひとつは、新人ライターは経験が少ない。

真面目に小中学校へ行き、高校へ進学。大学受験。あるいはシナリオ学校へ。日本人なら誰でも経験する教育を受け、平凡な人生を送って来た人が、その経験を書いてもやはり面白くない。高校時代は不良で暴れていたり、幼少期は極貧で生活が大変だったり、親がヤクザで特別な子供時代を送ったりと、人とは違った人生を送ることで、興味深い物語になるネタができる。

 ただ、そんな特別な経験がなくても、世の中を見る鋭い目があれば、社会の矛盾や政治の腐敗。教育問題をテーマに、自身の生活を物語にすることもできる。でも、そのためには時代を見つめる鋭い視線を鍛える経験がなければならない。平凡に生きていても、その目は育たない。そう考えて行くと、物語を作るというのは「いかなる人生を生きて来て、どんなふうに世の中を見ているか?」ということだと分かって来る。


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 それでも自身の経験を物語にするのは限りがある。

どんな特別な人生を送っていても10本20本もドラマは作れない。だから、次のステップは取材すること。机の上で想像するのではなく、いろんな人から話を聞く。実際に起こった事件を調べる。そうすると、頭で考えていては絶対に思いつかないドラマに出会うことができる。

 自身の経験で物語を作り、語り口がうまくなれば、人から聞いた話でも自分が経験したかのようにリアルに語ることができるようになる。それが物語を作るということだ。よくあるパターンの物語なら誰にでも作ることができる。でも、それでは観客は感動しない。リアリティも感じない。観客を泣かせ、共感させる物語を作るには、自分が経験したことをベースに作る。

 実際にあった話を取材して作ることが重要なのだ。

もちろん、SFやファンタジーという現実にありえない物語もあるが、基本は同じ。まだまだ、奥深いものがあるのだが、物語作りはその辺が大事なのだ。



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シナリオが読めない映画人。多くがドラマ文法を理解していない? [映画業界物語]

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 物語を作るという仕事。映画であり、テレビドラマ、

漫画、小説。ただ、物語作りは車やテレビのような製品を作るのとは違う。そして、目に見えないルールがある。法則や定義もある。それが分からない人がなぜか?映画の世界には多い。

 映画を企画するのはP(プロデュサー)。ストーリー作りにも参加する。原作ものならすでに物語が出来ているからまだいいが、オリジナルのときはいろいろ揉める。日本映画のほとんどが原作ものということもあり、物語を作るという作業をあまり経験していないPが多いのが、揉める大きな理由と思えるのだが、「物語作り」を分かってない人が多い。

 Pだけではなく、監督でもそんな人が多い。

「主人公を***させようか?」とか「ライバルを***することにしょう」とかいう。そんなことを言い出せば、いろんな展開が可能となり収拾が付かなくなる。その手の人は作品のテーマを把握せず、個人的な希望を掲げているだけ。テーマを考えれば、展開の仕方は自ずと決まって来る。なのに「***してもいいんじゃないの?」とか素人のようなことを言い出す監督もいる。ドラマ文法というのを全く分かっていない。

 また、シナリオを読んで完成したイメージ

が想像できる人も非常に少ない。ま、想像力がないということだ。シナリオは小説とは違う。単純に読むだけではダメ。この役はどんな俳優が演じるか? 具体的な人をイメージして読まなければならない。カメラワークは? ロケ地は? 俳優の演技は? どんな音楽がどのシーンで流れるか? そこまで想像しなければならない。


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 例えば、菅野美穂がこの役を演じ、

涙ながらに台詞をいう。そこにピアノの曲が流れてくる。撮影場所は古都・京都の境内とか、考えると「おーーこれは泣けそうだ!」と思える。ロケ地が東京のビル街とか、音楽がエレキとか、別のものだと泣けなくなったりもする。そこまで想像して読むのがシナリオ。それを貧困な想像力でしか読めず「これじゃー泣けないよな」という人がとても多い。

 彼らが理解するのは「この原作は100万部売れているんですよ」

「***賞を受賞した」「この作家には若い女性ファンが多い」という言葉だけ。「だったら、その原作を映画化しよう!」という。要は読む力がないということ。

 そんなPたちがNOを突きつけたシナリオに関して「何がよくないんですか?」と訊いてみる。何が面白く、何が面白くない。面白くない原因は何か? キャラクターか? ストーリー展開か? 設定か? それを明確に言える人はなかなかいない。細かく訊いていくと、最後には「全てダメなんだよ!」と怒り出す。「これはベストセラー原作。だから映画化する」という安易な仕事をしていて読む力がないので、そのシナリオの世界やテイストを想像できない。理解できなかった。だから、「面白くない」と思っただけなのだ。正確にいうと「僕には分からない」ということが多い。

 ただ、シナリオを書く脚本家は

その辺を理解している。自身で物語を何本も作っているとドラマ文法が分かって来る。物語はテーマに向かって突き進むときに面白くなることを知っている。何本もシナリオを書いているプロはさすがにプロ。だが、監督たちにはその辺が分からない人が多い。

 僕も脚本家時代。その種の監督と何度か仕事をした。要はテーマに沿って物語を作らなければならないのに、その監督はテーマに興味がなく、別のことをしたい。その企画とは違うことをやりたい。それを「そーじゃないんだなあ」といって、自分のやりたい方向に向けようとしているだけなのだ。


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 そうなると、何がしたいか?分からないヘンな映画ができる。昔の角川映画でも若者向きに企画した作品で、若手の人気俳優が出て、原作も若い人に人気。若い人が聴くアーティストが主題歌なのに、監督が中年向けのドラマを作ってしまったことがある。当然、中途半端な作品。陳腐な映画になってしまった。日本映画はこんなケースがときどきある。

 ドラマ文法が分からないP。

テーマや企画を無視してやりたいことをやる監督ー(もちろん、それでいいものができればいいが、ラーメンの器にステーキを入れるようなもので、観客は???となる)そんな人たちの意見を入れてシナリオを書く脚本家。こうして、大金を注いだ大失敗作が作られる。今もそうだが「何で、こんな映画作ったの?」という作品はそんな背景なのだ。

 「この原作が何でこーなるの?」

というのも同じ。その原作に愛情も思い入れもない脚本家や監督。Pが自分がやりたい別のことを、作品の中でやってしまうのだ。日本アニメヒーローものの映画化なのに、「ダークナイト」や「アイアンマン」をやろうとしたものが数年前にあった。原作ファンから大ブーイングを買った。話は少し逸れたが、全ての原因はドラマ文法が分からないPが作品を統括できていないということ。だから、監督が暴走する。だから、おかしな物語になる。


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 もちろん、優秀なPもいるが、ダメな方が多い。

なぜか? その種の勉強や経験を積む機会がないからだ。多くのPは現場で製作の仕事をする。それは大事なことだが、それだけでは不十分。物語とは何か?を把握するには、撮影現場だけではダメ。テレビの世界ではPに昇進する前に、シナリオ講座を受講させるという局もある。だが、1年ほど現場経験をしてすぐPになるビデオメーカーや製作会社が多い。

 仕事がキツいので上がどんどん辞めて行くので、1年も勤めればPになってしまう。肩書きが付くと不勉強な奴でも「俺はPだ。偉いんだ!」と勘違い。ドラマ文法も分からないのに暴走。そこから悲劇がスタート。実力ある脚本家のシナリオが不勉強のPの指摘で、改悪されてダメな作品になったのを何度も見た。僕も昔はそんな人たちと仕事をして散々な目に遭った。が、最近は見る目のある人たちがまわり多くいるので、助けられている。

 どんな有名俳優が出ても、莫大な製作費をかけて映画を作っても

脚本がダメなら、いい作品にはならない。その脚本の良さが分からなければ、シナリオを読む力、想像力がないと素晴らしいシナリオを見いだすことができない。そんな力のない人がPとなり、重役となり、決定権を持ってしまう。日本映画の最大の問題点なのだ....。


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【感動作を監督しようとすると貧しく。そこそこの映画を撮れば生活が安定する?】 [映画業界物語]

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【感動作を監督しようとすると貧しく。そこそこの映画を撮れば生活が安定する?】

少し前になるが、僕を高く評価してくれているプロデュサーから新作映画の相談を受けた。ストーリーを聞き、イメージするキャスティングを聞き、制作母体について説明された。かなり大規模。有名俳優もたくさん出演。製作委員会方式のメジャー映画。製作費は*億円。題材はスタンダードだが、切り口が新鮮。

 まだ、実現するか?

 どうかは分からないが、その企画を進めていて、その監督候補に「太田君はどう?」と言われた。彼は何年も前から僕の演出力を評価してくれており、前々から「一緒に映画を作ろう!」といってくれているのだが、なかなかタイミングが合わない。そして「向日葵」が間もなく公開終了になるのを知り、声をかけてくれたのだ。

もちろん、その映画はまだ正式にスタートしていない。これから製作費を集め、俳優たちに交渉。進めて行くので、中止になるかもしれない。が、その監督候補にどうか?といってくれたのだ。本当に嬉しい話だし、ありがたい話だ。が、お断りした。「えーーーもったいない!」と友人にも言われたが、その枠組みと企画を見て、僕では貢献できない思えた。簡単にいうと、感動作を作ることのできない枠組みだからだ。

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 まず、スポンサー。大手が入りそうだ。

 何より製作委員会方式。つまり、多くの企業が出資して1本の映画を作るというやり方。この場合、それぞれの企業がいろんなことを主張する。「我が社のCMに出ている**子を出してほしい」「社長と懇意にしているタレントの***をゲストで出せ」「音楽は若者に人気の****にしてほしい」「ロケ地は我が社の工場のある***市で!」金を出す会社は必ず口も出す。

 俳優候補も決まっている。

 大手事務所に所属。そこはいろんな口出しをすることで有名なところ。シナリオや演出にまであれこれいってくる。「主題歌を主演俳優に歌わせろ」とも言うだろう。ま、大作映画となると、企業も事務所もいろいろ主張するのが当然なのだが、その調整役が結果、監督がすることになる。「人気俳優***さんの見せ場を作りますから」「音楽はA社のCMを担当している。**さんにするので、ロケ地はB社さんのお膝元で!」とか、全ての出資者の顔が立つように考えねばならない。

また、内容、物語についても、映画の脚本を読んだこともない人たちの意見を取り入れなければならない。正反対のことをいってくる人もいる。10人いれば、10人が違う意見をいう。それを取り入れないとヘソを曲げ「だったら、出資しない!」とか言い出したりする。しかし、その手の意見のほとんどは趣味嗜好による「感想」にしか過ぎない。「完成した映画がどうなるのか?」を正確に予想して、よりよくなるための提案ではない。

では、関係者全てが納得するシナリオにするにはどうすればいいのか? それは無難でよくあるパターンの物語にすること。誰も賞賛はしないが、文句は出ないストーリーにすることなのだ。逆にいえばシナリオ段階で一般の人たち=カタギのビジネスマンが賞賛する物語が映画になったときに、感動大作になることはまずない。むしろ、全員が反対したシナリオの方が可能性がある。


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 考えてほしい。

 新しい料理を決めるのに、そのレストランに出資した人=料理人ではない=ビジネスマンたちが、好みの味やスタイルを様々に主張して、それを取り入れてシェフが料理を作って、美味しいものができる訳がない。それと同じ理由で製作委員会方式の映画は、クオリティが低くなってしまう。

 そんなスタイルの映画にはどんな監督が相応しいのか? 自己主張をせず、協調性があり、我慢強く、温厚で、こだわりがなく、それでいて、それなりの作品を作る力量のあるタイプでないといけないのだ。これで分かってもらえたと思うが、僕と真逆のタイプである。僕は作家性が強く、自分が作りたいものを作る。人のいうことを聞かない。協調性がない。ワガママで、こだわりがある。その代わり、必ず、いいものを作る(?)というタイプだ。

 候補に上げてくれたことは光栄だが、もし、その映画を監督したら、数日で問題を起こし、クビになるか? 自分から降りるかだ。何より、出資者たちは感動大作を作ろうとは思っていない。表面的にはそういうが、「どうすれば感動作になるか?」が仕事の方々ではない。なので「いかに自社にプラスになるか?」「社長や関係者が喜ぶか?」あとは「ヒットさせて儲かるか?」が重要なのである。つまり、この企画で大事なのは、感動作を作るより、各社が揉めずに撮影を終え、公開させることが、何よりの優先事項となる。

 「感動作が出来た!」というより

 「皆が不満なく、仲良くやること」が大事なのだ。「いい映画が出来たけど、A社とB社が途中で降りちゃったなあ」では困る。むしろ「ま、作品はそこそこだけど、無事完成したし、皆、そこそも満足してくれたので良かったなあ」ということが大切なのである。その目的からすると、僕のような監督は不協和音を起こす、とんでもないヤツでしかない。

 だから、せっかくの好意だが、それを受けることはそのプロデュサーに迷惑をかけることなので、お断りした。ここで、もうひとつ分かること。そのタイプの映画を受けて、そこそこのものが作れる監督こそ、定期的に仕事がもらえて、評価されるということ。候補者の推薦を頼まれたので、何人か上げたが、名前を上げながら「あ、みんな手堅く仕事している人ばかりだ!」と感じた。


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 んーーー、「違うな」「これはダメだ」と思っても我慢して監督することが仕事としては大事なんだなあ〜と、改めて感じた。が、それが出来れば苦労しない。僕のモットーは「観客が感動する映画」作りであり「出資企業からの要望を調整して、映画を作ること」ではない。

 それではそこそこの作品しかできない。

 そこそこが出来たら大成功であり、ほとんどが、どーしようもない作品になるだろう。誰もが大手企業の大作を見て「何で、ここまで詰まらないの?」と思ったことがあるはず。今年もそんな大作が何本もあったが、その理由は多くの人が口を出すからだ。

 映画を始めとする「作品」というのは、みんなで仲良く作るものではない。強い思いを持つ1人のクリエーターを支持して、多くの人の力を注ぐことが、素晴らしい作品を作る唯一の方法なのだ。それが製作委員会方式ではできない。あれこれ口うるさい俳優事務所が参加すると、うまくいかないことが多い。そんな訳で、本当に申し訳ないが候補段階で辞退させてもらった。同時に、だからいつまで経っても、僕は生活が安定しないことも感じた。

 素敵な映画を作りたいなら、

 厳しい生活で大変な思いをするということ。生活を安定させたいなら「思い」のない映画も作らねばならないということ。はははは、やっぱ無理だよなあ〜。


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話題作を続けて撮っている後輩監督。でも、彼はハッピーではない? [映画業界物語]

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 話題作を続けて撮っている後輩監督がいる。

 有名俳優が出演。ベストセラー原作。大手映画会社の製作。予算も2億、3億というスケール。大手のシネコンで公開。カタギの友人に訊いても、こういう。

 「ああ、あれねえ。テレビでもバンバン予告編やってたから知っているよ。お前も早くああいう大作を撮れるようになれよ!」

 後輩は誰もが羨む環境で仕事をしている。が、本人はこういう。

 「うらやまれることなんて全くないですよ。

キャストは最初から決まっている。僕が**役は***さんがいいと言ってもダメ。原作を選んだのも会社。音楽も、スタッフも皆、会社が決める。僕は撮影の1ヶ月くらい前。全てが決まってから呼ばれて監督してほしいと言われる。あとは撮影現場に行き、カット割りをするだけ。

 内容や方向性。テーマについても一切、意見を言わせてもらえない。言っても聞いてくれない。おまけに、その日になってから、キャストの***さんは今日は来れないので、なしで撮影してくださいと言われる。何それ? 話繋がらないだろ?無理やり人気俳優をキャスティングするからそういうことになる。

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 でも、その中でやらなければならない。スケジュールも決まっていて、その期間内に撮影しなければならない。演出の冒険はできない。オーソドックスに撮ることを強要。クオリティが高くなくても、そこそこのものを撮ればいい。内容よりも予算と期日が大事。これじゃ誰が監督しても同じ。いい加減うんざりする。でも、それなりのギャラをもらうから我慢している。

 誰も個性的な作品なんて期待していない。

上のいうことを逆らわずに聞く監督が求められている。本当に苦痛で爆発しそうになる。クリエイティブはゼロ。言われたことをするだけ。なのに、皆、羨ましがる。こんな仕事。監督でもなんでもない。単なる仕切り係。いつか見ていろと思うから我慢しているけど、本当に息が詰まる。こんなことをするために監督になったんじゃない....」

 彼はそう言っていた。

 僕は本当に撮りたい作品しか撮らない。だから、仕事が少なく、経済的にも大変。けど、あれこれ言われてもいいものは絶対にできない。言われたことをおとなしく出来るようならサラリーマンになっていた。それができず、自分の考える物語を映画にしたいから映画監督の仕事をしている。

 後輩監督の気持ちは痛いほど分かる。

ただ、自分が撮りたいものを撮るのは至難の技だ。毎回、宝くじに当たるようなもの。そして、決して何億もかけた大作を監督することはできない。どちらが幸せなのか? 言えることは、僕には後輩の真似はできない。あれこれ言われたら、いつか爆発して、プロデュサーを殴ってクビになり終わるだろう。それを我慢している後輩は偉い。

 けど、後輩のいうとおり、今のままでは映画監督ではない。カット割り係に過ぎない。誰が撮っても同じ。彼の作品で「お!」と思えるものは1本もない。原作を短くして映像化しているだけ。感動も涙もない。ただ、それが映画界の現実でもある。その意味で、本当に撮りたいものしか撮らない僕は幸せものかもしれない。どんなに経済的に大変でも、そこだけは恵まれている。とはいえ、後輩とは違う様々な問題を抱えている。その辺はまたいずれ紹介したい...。





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映画の成功はキャストだけでなく、スタッフ選びも大きい! [映画業界物語]

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映画の成功はキャストだけでなく、スタッフ選びも大きい!

後輩の映画監督から相談を受けた。

撮影現場が非常に混乱してうまく行かなかったのだが、理由が分からないという。スタッフ同士が議論になったり、喧嘩したり、ギクシャク。まとまらずに、それぞれが勝手なことを始めたというのだ。

そう聞くと普通なら「相性が悪いスタッフが多かったんだね?」とか「ギャラが安いのでイライラしてたんじゃないの?」とか言われそうだが、後輩はそういうことではないというのだ。で、いろいろと訊いてみた。

まず、後輩が監督したのは低予算映画。それをドキュメンタリータッチで撮影しようとしたという。手持ちカメラを多様。多少のブレがあっても、台詞が聞き取れなくてもOK。それよりリアリティを重視。あえていえば、アメリカのテレビドラマ「24」をさらにエスカレートさせ、「これはドキュメンタリーじゃないの?!」と思えるほどのリアリティある映画をめざした。

次にスタッフを訊くと「カメラは***さん。照明は***さん、

助監督は***君」と名前を上げてくれた。その段階で「ワトスン君。答えは簡単さ!」といいたかった。もちろん「AさんとBさんは犬猿の仲なんだよ。うまく行くはずがないさ」なんて真相ではない。映画作りの難しさがそこに現れていた。

まず、カメラのAさん。この人はドラマでもドキュメンタリーでも出来る人。だが、照明のBさんはバリバリの映画人。そして助監督のCさん。この人はテレビドラマを専門。もう、これだけで答えは出た。

作品の方向性はドラマだがドキュメンタリータッチ。

だが、照明のBさんはバリバリの映画人。こだわった映像で重厚な物語を作って来た人。それに対して助監督のCさん。テレビの仕事が多いので、とにかく早く撮影する。クオリティは低くて、予定通りにクランクアップすることを重用視。

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そして技術的にも問題が出る。

例えば手持ちカメラがグラグラ揺れとする。通常の映画ではNGだが、ドキュメンタリーならOK。それをあえてドラマでやろうというのが意図なのに、映画の照明部も、テレビ専門の助監督も「それはおかしい!」と受け入れなかったのだ。

照明部はドキュメンタリーではありえない、おしゃれなライティングをするし、演出部は「役者の顔にしっかり光を当てないと!」とテレビドラマの定義を持ち出す。どちらもドキュメンタリーでやったらおかしなことになる。つまり、監督の意図をスタッフのほとんどが理解せず。また、テレビ系、映画系のスタッフもそれぞれに価値観が違い、ぶつかったのだ。後輩が意図するドキュメンタリータッチのドラマを理解しているはカメラマンだけ。

後輩、曰く「作品意図の説明を聞き、皆、分かった!といってたんですよ」そして一般の人から見ても映画も、テレビも同じ。ドキュメンタリーもほぼ同じ。という認識だろう。が、これらは全く違う。似て非なる物。あえていうと宗教と同じ。知らない人が見れば宗教なんて皆、神がいて、その教えを信じるものだと思いがちだが、そのささやかな違いで海外では戦争まで起きている。映画やテレビもまた同じ。

例えば映画では「監督」が絶対的存在だが

テレビは「プロデュサー」、CMでは「スポンサー」ドキュメンタリーもまた「監督」だろう。つまり、映画のスタッフは「監督」のためにがんばるが、テレビは「プロデュサー」だ。CMは「スポンサー」第一。

僕も以前、CMのスタッフとドキュメンタリー作品を作ったが、何かあると「だったら、まずスポンサーに報告して承認を得ないと!」言い出す。いい加減うんざりした。ドキュメンタリーはスポンサーのために作るものではないのだ。同じく、後輩の映画でも、テレビ系は監督よりもプロデュサーにへつらい。監督をないがしろにしていたらしい。

さらに、それぞれの方法論が違い、議論になり、言い争いになる。でも、それは最初から見えていることだ。後輩は事前に説明したというが、何十年も実践してきた方法論を人は簡単に変えることはできないのだ。もし、ドキュメンタリータッチを実践するなら、テレビや映画スタッフではなく、ドキュメンタリーのスタッフでドラマを作るべき。

或は、その種の発想を理解するスタッフを選ぶべき。

名前を聞くだけで、「その人にドキュメンタリーは無理!」というスタッフにした段階で失敗は見えている。よくキャスティングが成功すれば、映画の70%は成功だと言われるが、スタッフも同じ。そこで間違った人を呼ぶと、テロリストを乗せて船出するのと同じになってしまう。

映画スタッフのみならず、新入社員でも、何でも、人選というのは本当にむずかしい。





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【映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】 [映画業界物語]

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映画監督にできることは、本当に小さなことだと毎回感じる】

映画撮影では地元の方にとてもお世話になる。僕の場合は地元支援で映画製作を何本もしている。だから余計に応援を頂く。同じように、地元の支援で映画を作った後輩がいる。ある街で映画を作ろうとしたとき。Bさんという人が応援してくれた。

「この街も不況で大変だ。映画で街をPRして観光客に来てもらう! そのためには映画はとても有効なPRになる。応援するよ!」

地元の人を何人も紹介してくれたり、飯を食わせてくれた。こうもいってくれる。

「オレが経営するレストランがあるんけど、撮影で使うなら、タダでいいよ!」

ありがたい存在だったが、後輩監督が街の事情を知るに連れ、Bさんの事情も分かって来た。彼は地元でレストランを経営していた。不況で客が来ない。近所には全国チーェーンの大手ファミレスがある。多くの客を奪われている。だから、映画撮影をすることで宣伝。店をアピールしたい!という思惑があったのだ。確かに映画でロケ地になれば注目されるし、映画ファンはロケ地巡りと称して店に来てくれるだろう。雑誌新聞等で紹介されることもある。

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ただ、後輩は映画にとても厳しい。プロデュサーが女優のAさんを使えといっても、レコード会社が売り出し中の歌手C子の曲を使えば、協賛金を出すと提案してもOKしない。その作品のプラスになるのなら受けるが、そうでなければ、どんなに高額の支援をしてくれても断る奴だ。

それが映画を駄目にする一番よくあるパターンだからだ。低予算の映画でも、映画というと、いろんなメリットが生まれるので、あちこちから、その手のアプローチが来る。が、そのことで映画の中身が歪られたり、クオリティが落ちるのであれば絶対に受けてはならない。

なのにプロデュサーに嫌われたくなくて、物語に相応しくない俳優をキャスティングしたり、映画のイメージに合わない主題歌を流したりする監督もいる。いろんな圧力がかかり、仕方なしに受け入れる監督も多い。

「なんで、あんな歌が最後に流れんの? 感動が台無し!」「あの女優は違うだろ? 何で出したの?」
と思う映画は、そんな事情が背景にあることが多い。ロケ地も同じだ。自治体から「**公園を売り出し中なので撮ってほしい」とか、地元の団体から「商店街でロケしてほしい」とか、リクエストが来る。

が、それで映画がよくなるならいいが、物語に合わない場所を無理に受け入れても、その店や公園も映えない。映画も駄目になる。だから、断るのだが、そのことで、その人たちとの関係が崩れたり、トラブルになることもある。後輩はまさに、そんな立場に陥ったのである。

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Bさんも次第に主張が変わって来た。最初は「うちの店で撮影してもいいぞ」だったのが「うちの店で撮影するだろ?」になり、他では「うちの店で撮影することになったんだ!」というようになる。どうも既成事実を作り、撮影しない訳にはいかないように仕向けているようだ。

友人を紹介したり、飯を食わせたりしたのも恩を売って断れないようにしていたことも分かって来た。しかし、彼のレストランはあまりにも平凡で、その映画には合わない。さらにBさんの友人から「あのレストランで撮った方がいいよ」「彼とは揉めない方がいいよ。あとあと大変だから」と言われる。

ただ、Bさんが応援してくれたのは事実。自分の店のアピールが目的ではあったが、応援は応援だ。が、撮影を断ればBさんの性格からして、いろいろと揉めるだろう。

後輩は悩んだ。製作が正式に決まり、いろいろと考えて後輩は断った。理由はやはり映画に合わないから。そう伝えると、Bさんは態度を180度変えた。あちこちでこう言い触れ回った。

「あの監督は薄情だ。いろいろ応援してやったのに、映画製作が決まっても挨拶なしだよ。何だったんだよなあ〜。オレの友人もいろいろと応援したのによーほんとバカ見たぜ」

彼はロケ地として選ばれなかったことは言わず、そう言って回った。それに彼がしたのは地元の人を数人紹介したこと。誰も映画製作に寄与していない。あとは一度、ランチをごちそうしたことのみ。多くの人が彼以上にいろんな形で映画を応援してくれている。見返りを求めず、様々な形で支援してくれた。あることないこといい触れ回るのはBさんグループだけ。

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映画は無事に完成。地元では大ヒットとなり、多くの人が喜んでくれた。ただ、事情を知らない地元応援団がBさんの店にポスターを貼ってほしいと頼んでも、彼は頑に拒否。「あの監督だけは許せない、恩知らず!」と言い続けている。後輩はいう。

「Bさんも悪い人ではない。レストランをアピールしたいのも分かる。店の前まで行けば、通りを歩く人は皆、近所の大手チェーンのファミレスに入っていく。何とかしたい!という気持ちは理解する。でも、今回の映画はレストランが重要な舞台。Bさんの店では成り立たない。なぜ、個人ではなく街のための映画だと分かってくれないのだろう…」

僕も同じタイプの人たちと何度も会った。さして応援してない人ほど、あとになって「オレが面倒見てやったんだ」といい、あれこれ見返りを求めてくる。「応援してやったんだから、今度はオレのいうことを聞け」とか言ってくる。

が、それもおかしい。映画を作ったのは街のためであり、僕自身は毎回、借金が残るだけ。なのに個人に見返りを求めてくる。でも、そんな要求をして来る人は毎回いる。後輩にもBさんだけでなく似たようなこと言う人。批判する人がいるという。だから、こう話した。

「映画を作るには、多くの人の応援が必要。でも、メリットのなかった人は批判しがち。そして応援してくれても、あとになって批判する人もいる。けど、憎んではいけない。映画の世界は分かりづらく、誤解もされやすい。説明してもわかってもらえない部分もある。その町のためにがんばっても、理解されないことが多い。

でも、いつか分かってくれると信じて、その街で映画が撮れたことを感謝すること。僕らの仕事で全ての人に喜んでもらことはできない。できるのは、いい映画を作り、応援してくれた人たちに感動してもらうこと。町の魅力を再発見してもらうこと...映画屋にできるのは、そんなことぐらいなんだ...」


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映画業界に興味ある人はぜひ!「映画業界物語」シリーズを連載中 [映画業界物語]

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 このブログを読んでくれる人の中には、映画の世界で仕事をしたいという人もいるだろう。

 或いは、映画ファンだけど、作品だけでなく、映画製作について興味がある人もいるはず。

 そんな人のために、新しいカテゴリーを作った。

 「映画業界物語」

 左側のカテゴリーの中、上から4番目のそれをクリックすれば

 その種の記事ばかりが出て来る。

 映画界の現状、問題点、裏側、一般社会との違い、製作、興行。配給。映画館

 俳優の話、お金の話等、映画雑誌新聞では語られないことを記事にしている。

 業界には汚い奴もいれば、もの凄く純粋にがんばる人もいる。

 ステレオタイプで考えたり、漫画や劇画の世界で描かれるのとは違う

 本当の話を書いているので、興味ある人は読んでほしい。




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