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「51歳でデビューしたのは遅すぎない!ちょうどいい時期」と言った伊丹十三監督の言葉。今、重く受け止めてしまう? [映画業界物語]

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「51歳でデビューしたのは遅すぎない!ちょうどいい時期」と言った伊丹十三監督の言葉。今、重く受け止めてしまう?

本日のブログで2回も登場したので、あれこれ思い出す。伊丹監督、元々は俳優である。確か「コメットさん」(1代目)のお父さんとして僕らの世代は出会っていた。監督デビューしてからダウタウンの番組に出た時、浜ちゃんからこう言われていた。

「監督ほど関西人にとって親しみのある名前。ありませんで〜」

というのも伊丹(空港がある)と十三(じゅうそうーあの映画館、シアターセブンのある街)両方とも大阪の有名な地名だからだ。そんな伊丹監督は1984年の「お葬式」で監督デビューしている。そのとき彼は51歳。遅すぎるデビューだったが、本人曰く。

「俳優業をやり、雑誌編集、デザイナー、作家、エッセイスト、といろんなことをやって来た。その全ての経験が活かせるのが映画監督。遅すぎたというより、ようやくその時期が来たんだよ」
というようなことを言っていた。当時、僕は22歳。日本映画界はどんどん20代の若手監督がデビューしていて、めっちゃ焦っていた。ハリウッドではスピルバーグやルーカスも30代。コッポラでさえ40代。年寄り監督の映画はもう通用しない!くらいな感じだった。もちろん、日本では60代70代のベテランが頑張っていたが、時代錯誤甚だしい映画を撮り続けていた。

それらを見るたびに、やはり監督も若くなければならない!感性が枯れた老人の映画は詰まらない!と当時は思っていた。が、僕はプロになるチャンスも掴めず自主映画を続けていた。当時、日本映画で注目を浴びていたのは大森一樹(ヒポクラテスたち)石井聰互(狂い咲きサンダーロード)ら若手だった。ベテラン監督たちとは違う若い感性で

「これまでの日本映画とは違う!」

と若い映画ファンは支持した。彼らに続けと、多くの学生たちが8ミリカメラを手に自主映画を製作。そんな中からさらに若い監督たちがデビューして行く。だが、そこで伊丹監督の言葉が心に刺さった。

「いろんなことを経験してこそ、映画監督業ができる!」

実は近いことを感じていた。当時、僕が作った8ミリ映画。シナリオも自分で書いていたのだが、そのベースは高校時代の経験や思いを物語にしたもの。3本目を完成させた時、次はどうしようと思った。もし、幸運にもプロになれたとして、70歳まで監督できたとして、2年に1本撮れたとすると、35本だ。

「オリジナルのシナリオで監督したい!」

という思いがあったので、そうなると35本の物語を考えねばならない。高校時代3年間の経験で作ったのは3本。それをセルフリメイクしたとして、あと32本。「そんなに物語が作れるだろうか?」ということを考えた。通常、デビュー前にそんなことは考えないだろう。あと35本も撮れるとなると、若い映画監督志望者なら大喜びするところだ。

でも、自主映画でたった3本を作るだけで血を吐くような思い。5年で高校時代を消化してしまった。そのあとは何をベースに作ればいいのか? 同じことが漫才の世界であった。当時、大人気のB&B。10年修行して作ったネタを1年で使い切ってしまった。そのことを島田紳助が指摘。

「兄さんはもう何もないので、ただただ早口で喋っていただけ。聞いてて辛かった。でも、テレビの世界はすぐに使い切られてしまう」

その話も感じるもの多かった。監督生活に入ってしまうと、作り続けなければならない。いろんな経験ができない。もちろん、原作ものという手はある。が、オリジナルシナリオにこだわった。僕は「監督がしたい!」というより「物語が作りたい」という思いがあったからだ。

さらに思い出すのは当時の漫画家たち。「少年ジャンプ」や「少年マガジン」に連載する若手。大ヒットを飛ばしても1本で消えていく。対してベテランたちは何本ものヒット作を持ち、代表作が複数ある。ある編集者はいう。

「若手の多くは漫画少年で、漫画を読んで育ってきた。その知識で漫画を描く。若い感性だけで勝負している。だから、続かない」

それは映画監督志望の専門学校生にも言えた。映画はよく見ている。評論家のように詳しい。でも、自分の体験がない。映画以外のことを知らない。そんな時に伊丹監督の発言。51歳の監督デビュー。他にも色々あって、僕はアメリカ留学を決意する。

20代で監督デビューを目指すのではなく、遠回りすること。映画の知識しかない者が監督になっても、多くの作品を作ることはできない。そう感じた。同じ夢を追いかける友人で、こう言う奴がいた。

「経験がなくても、才能があればやっていけるはずだ!」

そうだろうか?当時から「才能」と言うものには懐疑的だった。そんなものは本当に存在するのか? 僕は経験が大切だと考え、アメリカへ行く。

その後、80年代にデビューした若手監督たちは1−2本撮って消えていった。あるいは30代になり、40代になり、無難な作品しか撮らなくなる。20代の頃のキラキラした感性を失い、普通の映画しか撮れなくなっていた。人はどう足掻いても歳を取る。若い感性だけで勝負していると、いつかそれは失われるということなのだ。これも漫画家と同じだった。「才能あれば」と言う友人も監督業を諦めカタギの仕事に就いていた。

僕は結局、6年留学して、帰国。それか5年かかって脚本家となり、さらに10年かかって映画監督デビューした。43歳になっていた。一時期は20代監督デビューに憧れたのに、倍の40代。それでも伊丹監督の51歳より早い。それから5本の映画を撮った。皆、評判がいい。「毎回、感動して泣ける...」と言ってもらえる。もし、20代で監督デビューしていたら、そんな作品が作れただろうか? 5本も作り続けることができたか?

伊丹十三監督の言葉を思い出し、自分の道を振り返る。自主映画時代。アメリカでの経験、帰国してからのアルバイト生活、人生で出会った様々な人たち。踏みつけられ屈辱だった体験。それが僕の映画を作っている。若くしてデビューすることに憧れていたが、時代が過ぎ去れば大したことではないと分かった。

「俺は20代で監督デビューした」

と言えば、その時は賞賛されるが、40代で撮れなければ

「最近は撮ってないのね〜」

と思われるだけ。大事なことは短期間でデビューすることではない。若くして夢を掴むことでもない。良質な作品をいかに長く作り続けるか?なのだ。監督業以外でも同じ。俳優業でも、作家でも、歌手でも、若くしてデビューして消えることではなく、長く続けること。それには何が必要か? そんなことも若い人たちに伝えたい。



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