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山本太郎は死ぬ気でかかっている!私たちができることは何か? [参議院選19]

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山本太郎は死ぬ気でかかっている!私たちができることは何か?

れいわ新選組の候補者を見て感じること。山本太郎は死ぬ気でかかっているということ。

候補者はすべて巨大な組織や既得権益と対峙する人たち。世間に踏みつけられた人たちだ。彼ら彼女らを選んだということは、その巨大組織、巨大権力に真っ向から挑戦するということ。闘うということ。

彼自身が抹殺されるかもしれない相手だ。フェイクニュースを流され、圧力を掛けられ、関係者を買収、仲間割れを誘発、考えられる限りの妨害と嫌がらせを受けるに違いない。

スキャンダルを内調機関を使って調べ、引き摺り下ろそうとするだろう。いや、すでにかなりの攻撃をしているはずだ。彼の応援団に大企業はいない。巨大組織もない。彼の後ろにいるのは私たち国民だけだ。

我々ができること。捨て身の戦いを始めた山本太郎を支援し、応援し、れいわ新選組に1票を投じることではないか?そこから日本は大きく変わるはずだ。



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枝野はなぜ与党になろうとしないのか? [2019]

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枝野はなぜ与党になろうとしないのか?

立憲の枝野代表は結局、野党共闘には参加せず、ダブル選挙になっていれば総理になれる可能性もあったのに、大きなチャンスを逃した。政治家でありながら総理になろうとしない。あるいは政権を取ろうとしないというのはどういう人物か? ひと昔前の社会党がそうであったように、政権を取ると大変だから、それを批判するだけでいい与党第1党でいることを選んだと思える。彼をよく知る人によると、

「枝野さんは総理になるより、長く議員を続けることを望んでいる」

とのこと。民主党政権の官房長官で散々批判を受けたけど、先の選挙で緑の狸(小池百合子)による排除発言で、

「排除だと!何様だ。だったら排除された枝野を応援しようじゃないか」

と応援者が増えたのだ。そのことで彼は政権を担うより、批判する方が楽であり、応援ももらえる。やはり社会党的な存在を目指し他のだろう。そのためにもし、今回も安倍政権に打撃を与えられないとしたら、枝野の責任は大きい。これがダブル選挙なら致命的だ。

実はもう一つ情報がある。枝野の良からぬ情報を自民の菅官房長官に握られており、野党共闘をすると、それが流されてしまうという話。だから、固くなに「迷惑だ」と言い続けたという説がある。民主党時代にしたことで、今でも非難轟々になることはいくつもあるはずだ。だから、与党を真剣に攻撃できない。

ただ、立憲の人気はすでに下がっている。

「排除発言」に負けない彼の「迷惑だ」発言(野党共闘を持ちかけられた時に、断るだけでなく「迷惑」とまで言った)があり、政権を取る気がないことを多くの国民に気づかれてしまった。今回の候補者にはおしどりマコさんや石垣さんのいうに物言う人たちがいるが、結果として立憲は野党第1党ではなくなるだろう。でも、それは枝野の判断によるもの。政権を取ろうとせず、批判するだけで、野党第1党の党首にしがみつくような存在は淘汰されてしかるべきだ。

そもそも弁護士出身の議員は口ばかりで行動が伴わない人が多い。それは悪意があるからではなく、弁護士という職業のサガ。筋が通る理屈を言えば裁判官が認めてくれるのが裁判だが、政治はそうは行かない。行動し結果を見せてこそ政治家なのだ。それが弁護士にはできない。さて、そうなると、野党はどうなっていくのか? 個人的にはれいわ新選組に飛躍してもらいたい。ネットではかなり盛り上がっているし、路上でもすごいものがある。

だが、マスコミが圧力を恐れて取り上げない。

先のクリームシチューの1人がキャスターを務める番組も「山本太郎」特集を企画した途端に番組自体が潰されたと聞く。与党は彼を極端に恐れている。国民の知らない存在にしておく必要があるのだろう。でも、れいわ新選組が草の根で広がり、多くが投票すれば飛躍は間違いない。怒りの票は共産党にも行くだろう。おっと話が逸れてしまった。今回は枝野論。その辺はまた別の機会に書かせてもらう。


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れいわ新選組の挑戦=創価学会員VS公明党! コレ本当に凄い!凄すぎる。学会員に対する踏み絵だ。 [2019]

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創価学会員VS公明党だ!

コレ本当に凄い!凄すぎる。学会員に対する踏み絵だ。

「あなたは学会の教えを選ぶのか? 与党にいて権力がほしいのか?

どちらかを選びなさい!」

という選択。山本太郎にしかできない挑戦である。



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この記事。おかしい。「新聞記者」いい映画なのに、これでは胡散臭さを感じてしまう? [2019]

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この記事。おかしい。「新聞記者」いい映画なのに胡散臭さを感じてしまう?

少し前にある出版社社長がある作家の本を「売れていない!」と発行部数を暴露して大批判を浴びた。出版界ではルール違反だからだ。同じく映画界では出演依頼を断った俳優の名前を上げるのはアウト。

それもこの手の映画の出演を断ったとなるとイメージダウン。なのに、この記事では匿名のライターが俳優を実名で暴露。そのことでいかに映画製作が大変だったか?を訴えるのだが、それはルール違反。なぜ「匿名」のライターが女優の「実名」を上げるのか? 

さらに事務所は断るときは別の理由を使う。「スケジュールが合わない」とか、それを「出演すると“反政府”のイメージがついてしまうため断られた」との指摘。そんなこと言う訳がない。この記事。かなり胡散臭い!

実名を上げられるのは依頼する側とされる側のみ。あるいは捏造。そして、この記事で得をするのは誰か? 誰かがある目的のために書かせたのではないか?



この記事=>https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0703/asg_190703_7377654050.html?fbclid=IwAR1PL7wapAqkaXL-K3fATHChaA-Im5gRXDKmDTclsB-CRCHLjpTndQzINnQ



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Facebookで議論しない理由。覆面をした他人から批判されても議論はできない?! [my opinion]

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Facebookで議論しない理由。覆面をした他人から批判されても議論はできない?!

「反論、批判コメントはいらない」といつも告知しているにも関わらず、その手のものがときどき書き込まれる。

「そうとは限らないだろう?」

「勉強不足だね?あれは*****だよ」

「何も分かってないようだな?」

という書き出しで反論が続く。が、そのほとんどが、当て外れ、あるいは記事の主旨を誤解しているもの。もし、僕がさらなる反論を書くとしたら、まず、記事の主旨解説から始めなければならない。そしてコメント主の批判が方向違いであることを理解してもらう。つまり、再反論ではなく、一度書いた記事をもう一度詳しく、別の方向から、その人に理解できるように解説することになる。

それはレクチャーと同じ。議論には至っていない。何で、理解力がない人に忙しい中、時間を割き説明せねばならないか?と思ってしまう。が、その手の人にその種の説明してもと自身が記事の主旨を理解していることを認めようとせずに、別の問題点を指摘する。

「だったら、***はどうなんだよ? あれはおかしいだろ? 言い逃れできるか?」

つまり、議論ではなく何でもいいからやり込めたい。ギャフンと言わせたいというのが目的なのだ。その種の人がとても多い。また、主旨を理解しない人に説明する際。その人の年齢、経験、仕事等が大事だ。例を上げるときにその人がよく知る分野の話にすることで理解が進むからだ。年齢も大事。年配と若い人では上げる例も変わる。

しかし、多くのFacebookの基本情報には年齢も、仕事も、住んでいる場所も、さらには顔写真もないことが多い。また、その手の批判、反論をしてくる人は特にそれら情報を掲載していない。例えるなら、僕が講演会をしているときに、覆面をした人が立ち上がり、

「あんたの意見は間違っている。****は筋が通らない!」

と言い出すようなものだ。そんな怪しい人と議論はできない。即退場してもらわないと、他のお客も不審に感じるだろう。それと同じ状態なのだ。が、その手の人は自分のことを相手(つまり僕)が知らないことに気づかず、自己紹介をすることもなく。「違うだろう!」と感情的に(あるいは上から目線で)批判している自覚がない。(その時点で客観性がなく感情的であることが分かり、議論にはならない)

さらに、思い込みが強い。カッとなりやすい性格なのか? しっかりと記事を読まず、部分的なことで何か怒りを感じて、主旨とは関係ない、自分がイメージしたことに対して批判してくることが多い。例えば「ホリエモン」という言葉があるだけで「あいつは嫌いなんだよな!」「この監督はホリエモンを支持するのか!許せない」という具合である。

そんな風に批判する人の多くは感情的、思い込み、激情的、あるいは上から目線で、自分の認知要求を満たすために批判コメントをしてくる人が多い。認知要求をもう少し説明すると、自分のFacebook「友達」は少ない。「俺の考えは正しい」なのに、多くの人が支持してくれない。「友達」数の多い監督がいる。下らない記事を書いている。

「俺が問題点を指摘してやろう。読んでいる人は俺の凄さを知るだろう」

そんな思いでコメントをしてくる。人のふんどしで相撲を取るというパターン。だが、その人の意見はどこかズレている。だから、自身のFacebookでも支持されない。そんな人の批判や反論に応える意味はあるだろうか? なので「批判、反論はいらない」と告知させてもらっている。本当に鋭い人は、僕なんかにいちいち反論せず「なるほどね。問題ある記事だが、分からなくはないよ」と微笑んで済ませてしまう。でも、それで十分だ。

何が正しくて、何が違うか? いろんな見方がある。価値観がある。それを押し付け合う必要はない。また、他人の意見にケチをつけるのは簡単なこと。それを他人のFacebookに書き込む必要はない。客観的に見ている第三者が眉をひそめるものなら、そのFacebookの管理者である僕はそれを削除せねばならない。なら、最初から「批判、反論はいらない」とお願いしておこうと考えた。意見がある人はぜひ自身のFacebookで主張してほしい。


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