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映画のキャスティングと改造内閣って同じだね? 優しいダメ監督とできる後輩監督の違いとは? [my opinion]

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映画のキャスティングと改造内閣って同じだね? 
=優しいダメ監督とできる後輩監督の違いとは?


第4次安倍内閣がスタートした。またまた「お友達内閣」とか「お世話になった人優先」とか言われている。映画の世界でも似たようなことがある。ある有名監督が国民的俳優を主演に映画を撮ることになった時のこと。先輩監督からこう言われた。

「お前なあ。今まで迷惑をかけた俳優がいるだろう。そんな連中を今回呼んでやれ。あの国民的な俳優と共演すればそいつらも自慢になるし、田舎の親も喜んでくれる。そういう思いやりが大事なんだよ」

だが、その監督は従わなかった。それは正解だ。キャスティングというのは映画の完成度の70%を左右すると伊丹万作が言うようにとても大事。それを過去に迷惑をかけたからと、役を用意する、呼ぶと言うのは間違っている。恩返しするのは別のところでやればいい。

そもそも、先輩監督はそんな発想だからロクでもない映画しか撮っておらずまともな作品がない。後輩はヒットを連発。多くに知られている。歴然とした結果が出ている。第4次改造内閣のことを聞いた時。その話を思い出した。映画界でもそんな風にキャスティングを情で決めたり、大手から賄賂をもらって、あるいは恩を売るために利用する輩もいる。

しかし、そんなことをする連中は絶対に素敵な映画を作れない。どんなに頑張ってもハマらない役は観客を感動させることはできない。それは作品レベルの低下。僕も絶対にしない。そのために大手と癒着したプロデュサーや社長には嫌われた。「融通が効かない」「協調性がない」と批判された。が、そんなものがあったら監督としてアウト。

内閣改造も同じだ。お世話になった人を閣僚にしても、それは適材適所ではなく、大いなる成果は期待できない。決めた人間がいかに無能で、他人の顔色しか考えないか? と言うこと。キャスティングも改造内閣も同じだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000001-asahik-soci



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憎しみと感情に振り回される人。支配者に一番喜ばれるタイプ? [my opinion]

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憎しみと感情に振り回される人。支配者に一番喜ばれるタイプ?

誘導され、思想コントロール

されていることには気づいてない人が多い。多くの日本人はそれに気づいていない。例えば政権を見ていると本当にイラつく。自民は許せない。野党も不甲斐ない。「だから選挙に行かない!」「俺なりの抗議だ」と棄権する人も多い。しかし、それで喜ぶのは自公だけ。組織票のある団体は投票率が低いほどに当選しやすくなる。

抗議のつもりの棄権が、

一番許せない人たちを応援していることになっていることに気づいていない。その手の人は感情に左右されやすい。「許せない」「酷い」激情型。別の面でも誘導される。「韓国許せねえ!」テレビや雑誌が嫌韓を煽るとすぐに乗せられて、その手の番組の視聴率が上がり、雑誌が売れる。

同じことが戦前に行われた。「米英鬼畜」と憎しみを煽って戦争に突入した。「侵略ではない。アジアの解放だ」と言われて、海外に軍を送り込んだ。感情に訴え、怒りを呼び起こして戦争は行われる。目的はアジア各国の持つ資源を手に入れること。そして軍の背後にいる財閥=大企業が大儲けすること。そのために利用しやすいのが感情的で単純な国民なのだ。

その手の人が今も多いことに気づく。

橋下徹、立花孝志、ホリエモンらの記事を書くと「大嫌い」「許せない」という感情的なコメントが入る。「この本をぜひ読んで欲しい」なんて書いていないのに「私は読みません!」と書き込まれる。ある種のヒステリー状態。記事を読まず、写真を見て、タイトルを読んだだけで誹謗中傷コメント。

「こんな人を支持するなんて失望しました!」

はあ? 支持なんてしていない。嫌われ者を研究することも大事だ。何よりも記事を読まずに批判している。「嫌い」という強い感情に振り回され客観的な視点を失っている。そして、嫌い!という人ほど、その嫌われ者のことを知らない。何かの報道や記事。噂を聞いて「許せない」と思ってしまうことが多い。そんな性質を利用したのが太平洋戦争。「米兵鬼畜」ってアメリカ人に会ったこともない日本人がほとんどという時代。

さらに敵性語だと英語教育を禁止。

敵なら余計に相手を知ることが大事。でも、よく知るとシンパシーやリスペクトが生まれる危険があるので禁止したのだろう。同じ構図だ。禁止されなくても自分の嫌いな人の本を読まない。テレビに出るとチャンネルを変える。だから、その人の一部しか知らないまま憎しみが持続する。ネガティブ・キャンペーンをやられれば一発。事実でないことを流しても「許せない」と怒りに狩られ批判する。それをやられたのが小沢一郎だ。

憎しみは目を曇らす。

誘導される。利用される。だから僕は多くに嫌われる人がいると、必ず調べる。その人のことを知ろうとする。嫌われる理由も分かるが、嫌わせたい人が別にいるのが分かることもある。また、嫌われ者は良い悪いでなく、優秀な人が多い。そして何より嫌われるということは、好きな人もいるということ。見つめれば色々見えてくる。必要悪もある。プロレスと同じで悪役も必要。

言えることは一つ。憎しみや感情に振り回されてはいけない。「自民は許せない。投票には行かない」そのパターンに陥っては相手の思うツボなのだ。


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自分のスタイルを持つ大切さ。久米宏も、ジャッキーチェンも、矢沢永吉も、俳優も、映画監督も同じ? [my opinion]

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自分のスタイルを持つ大切さ。俳優も、映画監督も同じ?

久米宏の本を読み。彼もまた司会者としての自分のスタイルを悩み、葛藤して作り上げたことを知る。司会者だけでなく、歌手、タレント、俳優、ミュージシャン、作家、画家、お笑い芸人、表現の仕事をする人なら必ず考えねばならないことだ。

ジャッキーチェンは最初、先輩ブルースリーのスタイルを真似ていたが人気出ず。自分に出来てリーに出来ないことを考えて、笑えるカンフー・スタイルを考案した。あのスタイルは真似ができない。真似ても「ジャッキーだ」と言われてしまう。スタイルがあるから支持され必要とされる。

矢沢永吉はキャロル時代はリーゼントに皮のツナギ。ソロになってからはバスタオルを肩からかけて、白いテープで巻いたスタンドマイク。もう、ギターは持たずに歌う。でも、ソロデビュー直後、中野サンプラザでのコンサート時の衣裳はラメのツナギにコード付きのマイク。今見ると笑ってしまう。が、あれこれ葛藤しながら自分のスタイルにたどり着いたのだ。

僕はよくワークショップで言うのだが、そこそこ演技力がある俳優はいる。が、個性がない。可愛いだけの女優、真面目なだけの男の子。オーディションでは選ばれない。芸能界は美男美女が集まる。イケメンに巨乳は当たり前。捨てるほどいる。だから、俳優はデブ、チビ、メガネの方が需要がある。体系でなければ、何か自分らしさを見つけることが大事。悪役やらしたら絶品とか、関西弁できるとか、見るからに怪しいとか、個性がないと生き残れない。

映画監督でも自分の映画スタイルがある人が作家、巨匠と呼ばれる。黒澤明は望遠レンズを使いパンフォーカスの圧縮されたような画面。市川崑は和の様式美。リドリースコットは光と影の世界。それら映画を見ながら僕自身が監督になった時は?と考えたものだ。が、5本の監督作品を見て見ると、自分らしさが出ていることに気づく。

多くが女子高生が主人公。田舎が舞台。美しい風景。古い日本家屋に住む登場人物。音楽を多用。感動し泣ける物語。テーマはいつも「親子に伝える大切なこと」あれこれ考えてはいたが、気づくと自分らしさが出ていた。そんな風に古き良き日本の原風景を描いているのだがハリウッド映画風(製作費は低予算だが)。テンポが早くドラマティックな展開をする。

それとは別に監督の個性というのも昔から考えていた。サングラスがトレードマークの黒澤明。市川崑はいつもタバコを加えている。大林宣彦はサングラスにヒゲ面。山本晋也はサングラスに野球帽。大島渚は黒縁メガネで、テレビ出演時は着物。僕はどうあるべきか? それはまた別の話なので、いずれ書かせてもらう。


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日本人は**力が低い。それを利用して危険な法案が通される!=全部、仕組まれているということ? [my opinion]

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日本人は**力が低い。それを利用して危険な法案が通される!=全部、仕組まれているということ?

今回は少し誤解を招く可能性がので慎重に読んで欲しい。以前に比べて僕のFacebook記事に対するコメントが増えた。れいわ効果でアクティブな「友達」が増えたのが理由の一つ。ただ、感じることがある。

僕の記事は長文。

と言ってもそれほどでもない。なのにコメント欄に?と感じる書き込みがよくある。「***が大事ですね」と書いてもいないことを賛同している。なぜだろう?と考えて、文章が長めなので、内容を正確に把握できないと気づく。なのに自分は記事内容を把握していると思い、書いてもいないことに賛同してくる。

このタイプの人。

こういう可能性がある。別の機会に長文を読み、内容を理解せず、書いてもいないことを書いてあると思い納得。「これは違うだろ!」と感じることもあるはずだ。「読解力」は「理解する力」とも共通。長い文章を読むのも、長い話を聞くのも同じ。何がポイントで何が目的で、何を伝えようとしているか?を理解し、賛成、反対。批判。あるいは質問をする。その前提となる「読む力」や「理解する力」が低いと、間違った方向に進んでしまう。

その手の人を誘導、誤解させるのは簡単。だから「集団的自衛権」を「アメリカとより連携して日本を守る法案」と説明。「特定秘密保護法案」はスパイから日本を守るための法案。「読解力」や「理解力」がないとそれで納得する。facebookのコメント欄を見てもそれを痛感。

「学力が低いんだよ」

という声が出そうだが、そうではない。それらコメントの「友達」プロフィールを見ると、それなりの大学を出ている。学力ではない。いつも僕が書いている「考える力」がないのだ。

「考える力」

の元となるのは、文章を読む「読解力」。話を聞いて理解する「理解力」それらによって正確に情報を把握して、そこから「考える力」が必要となる。前提となるものが欠如。その人たちが新聞を読んだり、ニュース番組を見るとどうだろう。しっかりと内容を把握できない。もっと言えば、誤解するような文章や表現で報道をすれば、誘導することもできる。

あえて難しく複雑に伝えれば「分かんないからいいや!」と投げ出す。それが国民にとって大切な情報でもだ。だから政府はやたらと法案に分かりづらい名前をつける。「カジノ法案」と呼ばず「IR法案」と呼ぶ。戦争法案と言わずに「集団的自衛権」と命名。本当の目的がバレるとまずいからだ。読解力、理解力がない人たちは簡単にダマされる。

なぜ、そんな人が多いのか? 

その種の教育を日本では行っていないからだ。有名文学ではない長い長い文章を読み、個人の感想を述べよという授業があるか? 「この小説は***がテーマです」と生徒に考えさせずに答えだけを教えてはいないか?「考える力」を育てていない。大学を出ていてもダメ。だから、さして長くもないFacebook記事を読んでも内容を把握できない。それが現実であること。感じている。これはかなりヤバイぜよ。


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人は本当に好きな仕事をすることで、多くの人をハッピーにできる!  [my opinion]

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人は本当に好きな仕事をすることで、多くの人をハッピーにできる! 
(2017年5月の記事改定)

1960年代の日本映画は世界レベル。なのに今はダメ。その理由を黒澤明監督に聞いた人がいる。答えはこうだった。

「当時は監督が本当に撮りたい映画を会社が撮らせていたからさ! でも、今は押しつけの企画ばかり。だから、いい作品ができないんだよ」

ただ、自分が本当に好きな映画を撮れる監督は非常に少ない。会社が企画したものを依頼されることがほとんど。それも漫画原作とか、人気俳優が主演、主題歌は有名な***と決まっている。そうなると監督は単なる請負業。人は納得できないもの、真剣になれないことはお仕事として対応しがち。

逆に、本当に撮りたい映画を作れれば全力で作るので名作ができるー昔の映画会社はそれを知っていたので、世界レベルの名作がたくさん作られたが、押しつけの企画ばかりの現代はいいものが出来ないと黒澤監督はいうのだ。

巨匠たちに学び、無茶だと知りながらも僕は1作目の「ストロベリーフィールズ」から夏撮影予定の「明日にかける橋」まで、全て自身が企画した作品。どれも原作はなく、オリジナル・シナリオを自身で書いている。キャスティングもスポンサーからの押しつけではない。演出、編集、音楽、完成まで、自分の思う通りやらせてもらう。本当に撮りたいから頑張る。だから毎回、評判がいい。「感動した」「泣けた」「俳優が素晴らしい」と言われることが多い。それも本当に撮りたい映画を撮っているからだろう。

ところが、こういう人たちもいる。「嫌な仕事でも一生懸命やることが大事」それはその通りだ。しかし、その発想が曲がってしまい、こういう人たちがいる。「辛いのが仕事。楽しいのは遊び」「好きなことばかりできるほど世の中甘くない。仕事は辛いもの」という考え方だ。僕も映画を撮った地元でこう言われることがある。

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだろう? やりたいことをやるのは遊び。ギャラはいらないでしょう?」

何でそうなるの?と思っていたが、先の論理だ「好きなことをやるのは趣味=仕事ではない」そういう人の多くは「好きでもない仕事」をしているのだろう。

僕にとって大事なことは、観客が喜んでくれる映画を作ること。クオリティの高い作品を作ることだ。作りたい映画だかこそ、ギャラが安くても、7人分の仕事をしても、過労死しそうでも努力する。その結果、映画が完成して残るのは、いつも膨大な借金だけということが多い。それで素敵な作品ができればいい。監督が真剣にかかるからキャストやスタッフも真剣になる。そして素敵な作品ができる。皆がハッピーになる。だから若い人にはこういう。

「本当にしたい仕事をしろ。我慢しながら嫌な仕事をして、がんばる人を批判する人生を選んではいけない」



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Facebook友達に対しても一線を引きことが大事。監督業でないあなたも同じ? [my opinion]

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Facebook友達に対しても一線を引きことが大事。監督業でないあなたも同じ?

「監督業は俳優と距離を置くことが大事」と言う記事を書いたが、それはFacebookでも言えることだ。まだ、「友達」が1000人以下の頃だが、映画の宣伝をすると

「必ず見に行きます!」「応援しています」「映画見ました!」

とコメントしてくれる人たちがいて、とても嬉しかった。感想をアップして「***劇場で上映中」とかと応援してくれた。次第に親しくなり「健康に気をつけてください」「ファーストフードばかりじゃダメですよ」「次はうちの街で映画を撮ってください」と言うコメントが増えてきた。これも最初はありがたかったが、さらに加速する。

「こんなもの食べてちゃダメですよ」「そんな薬は飲んではいけません」

 「努力が足りませんよ」


あんたらは俺の親か!と言うものが増える。問題だが悪意はない。「友達」が2000を越えると、明らかに敵意を持った批判。嫌がらせ。皮肉。中傷が来た。議論をふっかけてくる人。そもそも、会ったこともない。年齢も分からない。仕事も、経歴も知らない。そんな人と議論にはならない。

映画についてなら、その人がどの程度の映画を知っているか? 単なる映画ファン? それとも業界関係者? 評論家を目指している? それが分からずに話合いは出来ない。また、日本人の多くは議論ができず。追い詰められると感情的になり、誹謗中傷を始めることが多い。本来、議論とは互いの情報交換と別の視点で物事を見つめるためのもの。なのに勝ち負けにこだわる。

「お前の映画は駄作なんだよ! 悔しかったら弁明しろ」

とか言ってくるが、その種の人の論点を見ると明らかな勘違い、知識不足であり、議論以前に解説をしてあげなければならないことが多い。Facebook上でそんなことに時間と労力を使わねばならないのか? それでなくても仕事でスタッフや地元の人とあれこれ打ち合わせ、議論することが多いのに家に帰ってから、見ず知らずの人とその対応せねばならないのか? 数年前から

「批判、誹謗中傷、アドバイス、質問は要りません」

と告知するようにした。それでも絡んで来る人は申し訳ないが「友達削除」させてもらった。ここでも言えること。初期の頃の僕は嬉しくて一人一人に返事をした。そのことで皆、親近感を持ち、プライベートな質問もOKと感じるようになった。本当の友達のように思い、食生活や健康にまで言及。だが、本当の友達ではない。年齢も、経歴も、仕事も明かさずに、顔写真も出さないでいて友達とは言えない。Facebook友達でしかないのだ。

でも、そう思わせたは僕だ。例え俳優ででなくても、皆が面白がってくれる仕事をしている者は自重し、一線を引くことが大事なのだ。いや、監督業だけではないだろう。一般の人でも同じ。線を引くことは大切なことだ。


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監督業は俳優と距離を置くことが大事。親しくしてはいけない?その理由。 [my opinion]

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監督業は俳優と距離を置くことが大事。親しくしてはいけない?その理由。

もう、20年前ほどになるが、集まってきた俳優の卵たちのために無料のワークショップを月イチでやっていた。それ以外にも貧しい役者たちに飯を食わせたり、芝居にも連れて行った。決しても僕が経済的に余裕があった訳ではないが、招待券を頂くことが多かったので、有名な劇場での芝居は卵たちを連れて行った。いいものを見ることはとても大事。

僕が監督するときは小さな役でも起用した。役者のことをよく知らないと力を引き出すことができないと考えていた。どんな役者を目指しており、どんなことに興味があり、どんな思いで仕事をしているのか? 撮影現場は時間がない。小さな役の俳優とじっくり話す余裕がない。そんなとき、無名で若手でもやる気があることを知る俳優がいれば作品にもプラスだ。ところが、年月と共に卵たちとの距離感が狭まり、監督というより、理解ある兄ちゃん。オジさんと感じる卵たちも出てきた。ワークショップに遅刻する。欠席する。

「でも、監督はいい人だから分かってくれる」

注意しても彼らは親に注意されているような気持ちになっていた。僕が監督にするときは「俺は何かの役で出られるはず」と期待するようになった。応援しているからと全員を出す訳ではない。出演できない卵は拗ねたり、不満を言ったりした。

とにかくカメラの前に立て、ステージに上がって芝居をしろ!というのに「小さな仕事は嫌だ」「それは出来ない」と演技する機会を探そうとしない。そして自分から去って行った卵が「監督に切り捨てられた。酷い!」と言い触れ回る。それを鵜呑みにして離れて行く者もいた。友人の芸能マネージャーに言われた。

「俳優を育てるのは大変です。夢だ。プロだと言いながら彼ら彼女らは努力をしない。スポットライトを浴びた派手な世界にすぐ行けると勘違いしている。バイトがあるからオーディションには行けないという奴までいる。そうやってほとんどが潰れて行くんです。1000人いて1人がデビューできれば御の字。監督は監督です。僕らが育てた子たちを使っていい作品を作るのが仕事。俳優育成に時間や労力をかけるのは勿体無いですよ」

その通りだと思えた。その後、仕事でない限り俳優たちと会ったり、芝居に行ったりはしていない。距離を置くことの大切さを感じた。そうすることで、撮影現場では緊張感が持てる。親しければ「芝居でミスしたけど監督は許してくれる」と甘えてしまう。そう思わせてはいけない。だから「女優さんと飲みに行ったりするんでしょう?」とよく訊かれるが、それはない。監督業で大事なのは実は距離を置くこと。淋しい仕事なのだ。


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世界は「みんな仲良く」ではなく「合う奴とだけ仲良く」に向かっている=それが世界平和に繋がる? [my opinion]


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世界は「みんな仲良く」ではなく「合う奴とだけ仲良く」に向かっている=それが世界平和に繋がる?

中学と高校の一時期、地方に住んでいた。地方と言ってもベッドタウンではなく、長年に渡って同じ家族が同じ場所に住み、近所と交流する、典型的な田舎町である。そこの暮らしは違和感があった。

まわりの人たちが個人のプラバシーにあれこれ興味を持ち、あれこれ言ってくる。価値観を押し付ける。説教する。そんな人間関係が本当に嫌だった。大人ばかりではなく、同級生たちも同様。些細なことで妬んだり、羨んだり、強いコンプレックス、つまらないこだわり。

都会の学校ではなかったものだ。その背景にあるのは以前に書いた「村社会ルール」。同じエリアで多くの人たちが住むことで、出来上がった暗黙の取り決め。揉めないように、差し障りがないためのもの。トラブルは見て見ぬ振り、被害者より加害者を叩く。そうやって何も無かったことにする。

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実はこれ地方に限ったことではなく、多くの日本人が無意識に縛られているものだ。「政治と宗教」について語らないというのもそれが背景。実は教育現場でも同じ「皆一緒」「皆同じ」「勝手なことはするな」「自己中はダメ」という「軍隊か!」ということを子供達に刷り込んでいた。

「みんなと仲良くしましょう。身勝手はダメですよ」

高校卒業後。僕は都会で生活した。誰も何も言って来ない。孤独だが自由、それぞれが自分の価値観で生きている。夜働いて昼寝るのもあり。学校をサボっても誰も文句は言わない。何の仕事をしているか?聞かれることもない。

「大学は? 結婚は? お子さんは?」

と訊いてくる人もいない。周りに迷惑をかけなければ、何も言われない。今、考えると地方であれこれ聞いてきたのは思想調査の様なもので、危険はないか?を確認していたのだろう。本人にそんな意識がないだろうが。

それを噂話として近所にいい触れ回る。情報局の様な役割だった様だ。危険を察知すると親戚の叔父さんがやってきてこういう。

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「もっとしっかりと人生を考えろ」「大学はどこに行く?」「ちゃんと勉強しろ」

説教ではなく自身の価値観に沿った生き方を強要しているだけだった。それを押し付けることで、危険な存在を更生させて、地域の平穏を守ろうとしていたのだろう。法令がある訳でもないのに、地方ではそうやって「村社会ルール」に従い、住民が住民を一つの価値観に誘導して行く。そう考えていて、今の国際情勢を思い出す。「アメリカ・ファースト」トランプの言うそれは

「もう、アメリカはアメリカで行く。あとは勝手にやってくれ」

ということ。その前にあれこれ揉め事を起こし、うるさく言ってくる国(北朝鮮、イラン)を抑え込み、火種を消しておくという作業を現在はしているのだ。以前のアメリカは違った。

「俺たちが正しい。俺たちの価値観を押し付けることで世界が平和になる」

それを受け入れない国を攻撃。無理やり従わせた。相反する思想の国と冷戦を続けた。つまり田舎社会の発想。そのために各国にスパイを送り、思想や考え方を探り、危険だと分かると潰しにかかった(まさに田舎社会!)その方法論をアメリカは終わらせ、こう方針転換したのだ。
「合う奴とだけ仲良くする」

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それに対して日本はすでに貧乏国なのに、今も莫大な金額を世界でバラ巻き、経済大国(ではないのに)であることをアピール。近所の国(韓国)といがみ合い。そのくせい散々批判していたあの国にはもう触ることもできない。

これからの時代は70年代に夢見た「世界は一つ」という理想ではなく、それぞれの国がそれぞれの価値観で生きていく方向だ。皆、一緒ではない。合う者同士が仲良くし、合わないものとは関わらない。が、攻撃はしない。価値観の押し付けはしない。

「勝手にやってくれ!」

という方向に進んでいる。トランプが目指しているのはそれだろう。まさに都会型の暮らしであり、村社会ルールからの脱却。学校で教えられた「みんな仲良く」はもう通用しない。価値観の押し付け合いは無用なのだ。それは意外に素敵な環境かもしれない。


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日本人は「マトリックス」から目覚めようとしているのか? [my opinion]

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日本人は「マトリックス」から目覚めようとしているのか?

子供の頃は親がうるさく言っていた。学校に行くと教師があれこれ指示。「先生」と呼んでいたけど、彼らの多くは大学出て数年の20代だったんだよなあ。おじさんのような先生でも40代。今の僕よりずっと年下。

僕自身が40代の時も、人様にあれこれ言えるほどの人間ではなかった。にも関わらず、教師たちはたかだか40代で、あれこれ説教していたことを思い出す。

数年に一度しか会わない親戚。近所のおばさん。とにかく、子供時代から「なるほどなあ」「その通りだなあ」と思ったことがない。ま、大人から見ると可愛げのないガキだったのだろうが、こちらから見ると子供一人納得させることのできないアホな大人たちであった。

それが僕も50代になり、ようやく、いろんな意味が分かってきた。が、それは学校の授業で教わったことでも、教師に習ったことでも、大人たちに説明されたことでもない。大人たちがいかに社会や国に誘導され、ある種の価値観を振り回していたか?が分かってきた。

それは子供時代に「変だ」「おかしい」「なぜなんだろう?」と感じていたことの答えであった。歳を取ったことで分かったこともあるが、もう一つは時代だろう。311の原発事故から隠されていた日本の膿が次々に出て来たこと。今まで裏でいい思いをして来た人たち。その正体が見えて来たこともある。

まるで「マトリックス」多くの日本人は現実を知らずに眠っていたのだろう。それが原発事故で目が覚めた。見えないものが見えて来た。そのことで、本当に大切なこと。見えて来たのだろう。その時代を反映したのが山本太郎であり、れいわ新選組。登場すべくして登場したと言える。

そんな時代に、何を掲げ、どこへ向かって走ればいいのか? 考えている。戦いの呼び声が聞こている。これまでとは違った過酷な戦いが始まろうとしている。


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日本人はサラリーマンロボット。だから混迷の時代を乗り越えられない!=詰め込み教育がダメにした?(改訂版) [my opinion]


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日本人はサラリーマンロボット。だから混迷の時代を乗り越えられない!=詰め込み教育がダメにした?(改訂版)

テレビで「内閣の支持率は46%」といえば、多くの人が

「何だかんだいっても安倍さん。やっぱ人気があるんだなあ〜」

と思う。「***が健康にいい」と情報番組がいえば、翌日にはその食品が売り切れる。与えられたことを素直に受け入れている。「本当に総理は人気あるのかあ?」と思うのは少数派。多くが健康食品を求めて翌日はスーパーに走る。疑うことを知らない。なぜか?

理由は学校教育。「考える力」を育てないから。国語、数学、理科、社会。英語。僕の学生時代も、多くの科目は暗記が中心。与えられた方程式で数式を解く。10年勉強しても英会話ができない。これも覚えた文法で英訳することが中心だからだ。

つまり、命じられたことを疑わずに記憶し、与えられた方法論で確実に作業するという訓練が日本の教育なのである。それは優秀なサラリーマンを育成するもの。その能力が高い者を成績順に上から、国家公務員1種(キャリア)。大企業が採用して行く。与えられたことを確実にこなす歯車として、日本を経済大国に押しやるというのが目標だった。

それは成功して日本は経済大国になり得た。なのに、この20年不況から脱出できず、給料は上がらず、物は売れず、餓死する子供まで出てしまう。低賃金の長時間労働、アジアの国国にも経済的に抜かれ、日本は今や三流の後進国である。なぜ、優秀な人材を育てているのにダメになってしまったのか?

不景気になれば公共事業。時代遅れの大企業を国が支える。経済性でも安全性でも問題のある原発を推進する。過去のやり方を続けるばかりで、新しい政策を打ち出せていない。なぜか? 

「一流大学を出ている人は頭いいし、いろいろ考えるはずだよ」

そう思うかもしれないが、答えは先に書いた通り。彼らは「与えられたことを確実にするしかできないから」だ。優秀なサラリーマン、官僚たちも「考える力」がない。数式や文法を与えてやらないと、自分でそれを考えることができないのだ。

子供の頃からそんな訓練だけを受けて育った人に「考える力」は備わっていない。育っていない。日本の教育は独創的なアイディアを考えたり、過去になかった方法論を生み出す教育ではない。

「一流大学」=「頭いい」

と思いがちだが「記憶力がいい」「与えられたことをこなす能力が高い」ということ。つまり、上からの命令に従うだけで、自分で新しい方法論を考えたりできない。だから、バブル以降の新しい時代に対応できず、不況から脱することができないのである。


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