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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。 [my opinion]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。

先日、amazonプライムで「ほたる」を見て感動したあと。一般の感想はどうだったのか?気になってyahoo!映画レビューを見た。何と!半分近くが酷評。それも意味不明のコメントが多い。要は物語に共感できなかっただろうことを、作り方が悪い、手法が古いと批判しているように思える。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ?おかしいな。なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

「物語にひねりがない。これでは子供でも先が読めてしまう。レベル低すぎ!」

ある。ある。と思うだろう。どのサイトを見ても必ずある。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。

「この映画ダメだなあ」「この監督は素人かよ」「これでは不合格」

という思いが感じられる。簡単に言えば評論家気取りなのだ。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。??? そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ」

その通りだ。しかも、おかしいのがそんな解釈をするのが20代とか30代の人たち。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので、展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず

「おかしい!無理あり過ぎ〜」

とコメント。考えれば自分は若く、素人。プロが作ったものが、そんなバカなミスをするはずがないと思うだろう。僕らの世代はそう考えた。が、今の子たちはそうは思わない。もちろん、映画監督にもバカな奴はいる。

でも、素人の映画ファンよりは多少、勉強し、いろんな経験をしている。そしてベテラン・スタッフも参加している。何十人もの目を通してシナリオはチェックされ、撮影される。それを素人の自分だけが見抜くなんてことがあり得ると思うのか?多分、その子たちはそこまで考えていない。自分が理解できないことに出会った時、単純にこう思う。

「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」

なぜ、そんな解釈をするのか? 考えてみる。今時の子たちは、僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。ひたすら与えられたことをするだけの教育。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。駅のホームに立てば、

「電車が来ます。白線まで下がって下さい」

とアナウンスがある。ショッピングセンターでは

「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」

と館内放送。ますます考えない。やってはいけないことはあちこちで言ってくれる。学校や家庭でも指示が出る。考えずに言われたことだけしていればいい。そんな環境で育った子たち。考える力はなく、与えられたことしかできない。映画を見る。伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。その証拠に部屋の壁にはモデルガンが飾られている。これは大きな伏線になるので、画面で大写しにはならないが、観客の皆さんは覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くものだ。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。

「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」

となるのだ。考える力がない。しっかり言われないと分からない。想像力がない。問題が起こると背景を考えず、安易に相手が悪いと思ってしまう。似た例がある。

子供が池に落ちた。親は子供を叱るべきなのに、池に柵がなかったことに激怒。自治体を訴えるという話を時々聞く。これも同じ。子供に危険を察知する力が育っていない。それを教えていない。にも関わらず、落ち度は子供ではなく、柵を作らなかった自治体という。

映画の伏線に気づかず展開が分からなくなると、自分に「見る力」がないのではなく、映画が説明不足だと解釈する。いずれも「考える力」が育っていない。

「言われないと分からない。悪いのは自分ではない。注意してくれないから分からない」

管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。今の教育では個性はほとんど認められない。学校の教科にないことができても評価されない。そんな中で若い子たちは何をアイデンティに成長するのか? 背が高い。イケメンだ。巨乳だ。家が金持ちだ。最新のゲームを持っている。いろいろあるだろう。

でも、それらは自身の努力で手に入れたものではない。そして成績が悪くて、一流大学に行けなかった人たちには、どこか劣等感が漂う。自分なんて大した存在ではない。どうでもいい人間だ。社会に必要とされていない。そんな思いがどこかにある。

成績は悪かったが、本当は何かできるはずだ。自分にもいいところがあるはず。誰にも負けないものがあるはず。でも、今の時代にそれを見つけるのは大変。そんな人たちが映画を観る。伏線に気づかず、あれ?と思う。展開が唐突だ。或いは物語がストレート過ぎる。そんな時。

「突っ込みどころ満載だなあ。何だこれは。説明不足だし、この監督はバカだよな?」

「考える力」がないので、そんな解釈をする。そして、無意識にこう感じる。

「僕は結構、鋭いんだな。プロの作った映画の欠点を見抜いた。プロってバカなんだな。俺の方が優秀だよ...」

人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「隠しても俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない。必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るために。それも楽して、いい気分になれる。

それが理由で映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違いや見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに

「突っ込みどころ満載!」

「唐突な展開!」「捻りがない!」

などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。




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人はなぜ、本質を忘れて優越感に浸りたがるのか? 大切なのは問題を多くの人に伝えることだ。=「朝日のあたる家」で出会った悲しい原発オタク? [my opinion]

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人はなぜ、本質を忘れて優越感に浸りたがるのか? 大切なのは問題を多くの人に伝えることだ。=「朝日のあたる家」で出会った悲しい原発オタク?

沖縄戦。ナレーション原稿書きをスタートする。今回はドキュメンタリーなので、かなりな量のナレーションがある。それが各シーン内で収まる分量か? 内容が伝わるか? その辺を考えながら、書いていく。すでにナレーションが必要な尺をある程度取っているが、それをさらに正確にする。映像が長ければ切る。ナレーションが読み切れなくれば伸ばす。ただ、ナレーションが長過ぎるのも問題だ。その場合はナレーションを直す。

事実を正確に丁寧に伝えることは大事だ。しかし、専門家向けの資料ではない。詳しく説明することで観客が混乱することもある。ドキュメンタリーの場合は専門性よりも、シンプルに事実を伝えることが大事と思える。文献なら前のページに戻って読み直すことができるが、映像の場合はそれが出来ない。情報を詰め込むことはマイナスなのだ。「朝日のあたる家」の時も、年配の親父にこんなことを言われた。

「この映画は初心者向けだね?」

自分は原発に反対しているというそんな観客がいた。そもそも劇映画だ。初心者向けも中級者向けもないのだが、その人はかなり原発問題を勉強しているのだろう。だから

「この程度の情報は知っているよ。もっと専門的なことを盛り込んでくれないと勉強にならない」

といいたかったのだろう。個人の感想としては理解できる。だが、この人が満足する映画になっていたら一般客には???となっただろう。専門的になり過ぎるからだ。これが「漫画で見る原発事故入門」なら「中級編」「上級編」と作ればいい。しかし、「朝日」は原発事故を勉強してもらうための作品ではなく「悲しみ」を伝えることを重視。何よりも劇映画だ。

そのために原発事故の情報は盛り込むが、専門的に勉強して欲しいという作品ではない。もし、そこで興味を持てば自身で勉強すればいいことであり、それを映画に求める必要はない。「朝日」を見れば原発事故によって

「近隣の家族がどんな目に遭うのか?どんな思いをするのか?」

が分かることが一番であり、セシュムやプルトニュウムの専門的な知識やメルトダウンのメカニズムを知ってもらう必要はない。

同じく沖縄戦もまず、悲劇であることを伝えるのが目的であり、そこに学術的な徹底検証を数多く持ち込む必要はない。「朝日」が原発事故に関心のない人たちでも、観れるように作ったように、「沖縄戦」もすでに勉強して知識がある人たちに向けて作るより、強い関心を持っていない人たち見て、あれこれ知ってもらうことが大事と考える。

なぜなら、原発問題も沖縄問題も多くの人が知ろうとしない。詳しく知らないという状況がある。そんな人たちに見てもらい感じてもらい、より関心を持ってもらうことこそが目的なのだ。

すでに勉強していて事情通の人たちに、より深い知識を提供するための作品ではない。どちらの層が多いか?といえば、明らかに前者。そんな人たちに見てもらうことに意味がある。思い出すこと。原発問題でも関心を持ったばかりの人を、詳しい人が批判。

「お前は勉強が足りない!」

そんな話をよく聞いた。要は

「俺は311以前から関心を持っていたのに、お前らは無関心だった。事故が起こってから騒ぎやがって...」

と上から目線。そして「俺は詳しいんだぜ」という自慢。そのために原発問題に興味を持った人がやる気をなくし、原発反対という人を嫌うようになったという話も多い。批判する相手を間違っている。原発反対なら推進する人たちを批判するべきであり、関心を持つ人たちをバカにすることではない。「初心者向け映画」と言った人も

「俺はしっかり勉強しているんだぜ。映画を作った奴は不勉強だ...」

という思いがあっただろう。しかし、そんなことより、いかに多くの人が原発問題に興味を持つか?こそが大切なはず。原発を優越感の材料にしている人たちがいること。要はガンダム・マニアがモビルスーツの名前を数多く知っているのを自慢するのと同じ。

「あんた百式も知らないの? メタスは? 勉強不足だね〜」

みたいなもの。年配の親父がそれと同じでは悲しい。同様に、今回も沖縄戦を熟知した人たちではなく、全く知らない人。興味のないひと。少しだけ関心がある人をメインに、分かりやすく、現実を伝えるのが目的だ。2時間ほどで、沖縄戦とは何か?が分かるようになっている。春の完成を目指す。



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税収総額、比較 一目瞭然。庶民から多額の税金を取り、企業と金持ちは安い税金で優遇。それが今の日本。 [my opinion]

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税収総額、比較

一目瞭然。庶民から多額の税金を取り、企業と金持ちは安い税金で優遇。それが今の日本。

【税収総額、とても分かりやすい比較!】

一目瞭然。庶民から多額の税金を取り、企業と金持ちは安い税金で優遇であることが良くわかる。

1989年 3%消費税導入 1997年 5%に 2014年 8%に 2019年 10%に?!

両年を比較1989年&2016年

税収総額
1989年 54.9兆円
2016年 55.5兆円 3%[→]?8%でも税収の総額は大して変わらず!

高額所得税
1989年 21.4兆円
2016年 17.6兆円[↓]?4兆円ほど金持ちは得した!

法人税
1989年 19.0兆円
2016年 10.3兆円[↓]?9兆円ほど企業は得した!

消費税(庶民向け)
1989年 3.3兆円
2016年 17.2兆円[↑]?金持ちと企業のしわ寄せ14兆円が庶民に!

つまり、企業と金持ちから以前と同じ税金を取れば、消費税アップの必要なし。むしろ下げることも可能ということ!



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日本はもはや経済大国ではなく、後進国になったことを痛感? [my opinion]

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日本はもはや経済大国ではなく、後進国になったことを痛感?

昨年の夏。映画祭でロスアンゼルスに行き、痛切に感じた。まず、食事が高い! 普通に食べても2000円くらいかかってしまう(1ドル〜130円)。もちろんピンキリで安いところもある。が、観光客相手でない店でもそれなりの値段。僕が留学した当時(1985年=1ドル250円くらい)もそんな感じだった。が、バブル時代(1980年代後半)に入り、円高が進んでからは(1ドル=100円)、東京より安価でいろんなものが買え、生活しやすい街になった。

映画も当時、日本だとロードショー料金が大人1800円。アメリカでは7〜8ドルだった。半額以下で映画が観れた。それが今回は日本より高め。映画だけでなく、あらゆるものが割高だった。が、考えてみると、僕が留学していたのはもう29年前だ。30年近くも経てば値段は上がる。逆にいうと、日本が30年前と変わらない値段ということだ。

映画は1800円のままだし(これは上げて欲しくないが)1000円もあれば十分に豪華なランチが食べられる。いや、サラリーマンの友人はランチはワンコイン(500円)という。LAだとその額ではハンバーガーも食べられない。

なのでこの数年、LAに行った時はマーケットで買い出してきてホテルで食べていた。レストランだと高いが素材で買えばそれなり値段。ビールなら日本よりずっと安い。でも、なぜ、アメリカの食事は高いのか? 考えればすぐに分かる。人件費が高いから。対して日本は人件費を抑えるから安くできる。ブラック企業と同様に、日本人は安い賃金で長時間働かされているということだ。

それは何か?というと後進国ということ。開発途上国というか? 安い労働力で安いものを売る。戦後日本がしてきたこと。それを韓国や中国が後追いしていた。その時代に日本は戻っているのだ。が、日本人の気分は今もバブル!

「日本は経済大国だ。一流国家だ!」

と僕らの世代の多くは思っている。「韓国に負ける訳がない!」という変なプライドがある友人もいる。だが、時代は変わったのだ。

LAでも昔はどこに行ってもメイド・イン・ジャパンだらけ。テレビ、ビデオ、ラジカセ、ウォークマン。でも、今回は韓国製とアップルばかり。LAエアーポートの大型テレビもSONYではなく、LGー韓国製ーだ。スマホはアップル。車だけは相変わらず日本車が多かったが...。電気製品ではすでに世界シェアは韓国に追い抜かれている。留学時代、日本のテレビはアメリアとの貿易赤字報道が多かった。

「日本から買うものが多いのに、アメリカの物は買ってもらえない!」

とアメリカが不満を爆発。デトロイトでは日本車を壊すデモまであった。が、今、アメリカが頭を抱えているのは、中国に対する貿易赤字。日本との貿易赤字はそれに比べると小さな額なのだ。そう考えていて思い出したのは、日本への観光客がこの数年、急激に増えていること。

「日本は人気あるし、世界に愛されているんだよ!」

友人はそういうが、実態は違う。物が安いからだ。昔、僕らが物価が安いからと韓国旅行をしたように、日本は安いから多くが来て爆買いしてくれる。1980年代後半にNYのティファニーに日本人観光客が団体で押しかけたのと同じ。LAのロデオ・ドライブも日本人ばかりだった。それが今ではLAへの日本人観光客が激減。リトル東京も多くの店が締めている。僕が留学時代にはあった観光客向けの店はほとんど潰れていた。

逆にリトル東京に店を出すのは韓国人オーナー。つまり、韓国からの観光客がたくさん来るということだ。沖縄取材でも思い知った。ホテルに泊まる多くが韓国、中国、台湾からの観光客。国際通りを歩いても同じ。アジアの国が経済的に余裕ができてバンバン旅行しているということだ。

いずれにしても、日本は物価の安い国というのは間違いない。安いのは庶民には嬉しいが、それは経済大国ではなく、貧乏国という証。その現実がありながら、多くの日本人。特に僕と同じ世代は今も

「アジアでナンバー1。世界の経済大国だ!」

と思い込んでいる。テレビを見れば

「日本人はこんなに凄い。世界で愛されている!」

という番組がやたらと多い。それも現実から目を背けさせるためにプロパガンダに見えてしまう。ドイツが敗戦で経済も気持ちを落ち込んでいる時に、ゲルマン民族の優位性を訴えたヒトラーが支持されたように、国はダメになると、そんなことでプライドを保とうとするのだろう。太平洋戦争末期も軍は

「気力で勝てる!」

というような方針でアメリカ軍に向かい、次々に玉砕していった。この玉砕という言葉も同じ。「全滅」と言わずに「玉砕」と呼ばせた。

海外にも行かない。テレビばかり見ている。そんな人たちは時代の推移に気づかず、すでに日本が経済大国でないことも知らず、安い賃金で、長時間労働させられているということなのか? ただ、こうしていつの時代も国は衰退し、滅びていくのだろう。

その日本をバブルに戻すではなく、戦前に戻そうとしている人たちがいる。時代錯誤甚だしい。でも、テレビや新聞しか見ない多くの人はこう思う。

「日本は経済大国だ。優秀な民族だ。総理頑張ってほしいなあ〜」

そんな風に願ってしまうのだろう。


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安易にTwitter情報を信じていはいけない。と思っていた僕がまんまと乗せられた昨年の件? [my opinion]

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安易にTwitter情報を信じていはいけない。と思っていた僕がまんまと乗せられた昨年の件?

昨年の内に書こうとして書けなかったこと。Twitterを見ていると「モーニングショー」がローラ・バッシングとも言える放送をしているとの声多数。それらによると番組のタイトルが

「ローラが政治的発言!」

そこからして酷い。辺野古の海を守りたいと、ホワイトハウスへの署名をしようというのが彼女の意図。それが「政治的発言」か? 美しい海を守りたいは自然を守ろうという発想。政治的発言とは思えない。次に紹介されていたのが、市民の声。渋谷あたりの若い女の子3人がローラのコメントに対して「怖い」と発言。(動画)さらに、スタジオのパネルには

「CM降板という怖れは?」

との文章。「芸能人が辺野古問題に反対したらバッシングされるぞ。仕事を失うぞ」という警告であり、バッシングを番組が行なっているという指摘だと、それらツイートは伝える。

同じ局で放送されるニュース番組を十数年見て来た僕だが、古舘さんが降板してから、ほとんど見ていない。完全に政権批判のない報道になっている。そんな中「モーニング」は「そもそも総研」等、政権の問題を指摘するものが多く、毎日録画して見ていた。が、少し前から「そもそも」で政治ネタが扱われなくなり、心配していたが、また、最近は片山さつき問題を取り上げる等、頑張っていた。

なのに、ローラ問題の扱いが酷い! 完全に他局と同じ政府寄りの論調に転じたのか? と怒り心頭!!!!! ん? でも、待てよ。何事も特定の情報だけで判断してはいけない。以前も「報道ステ」の「都知事選で舛添に有利。細川に辛辣」「不公平な報道」と多くがバッシングしたものがあったが、その報道を録画でみると、むしろ細川を応援している編集だった。多くの視聴者が勘違いしていたのである。

デマに乗せられて「酷い」「許せない」と一緒になって怒り、その相手を攻撃する人がいる。単純に乗せられているだけであり、どんな情報でも安易に信じていはいけない。裏を取る。別の角度の情報を下がる。何より、それ自体を確認することが大事。それを思い出し、録画した「モーニング」を見て、唖然。

結論から言うと、あの放送はローラ応援。支持である。ツイッターで言われているのと真逆だ。検証しよう。まず、タイトル。「ローラが政治的発言?」これは「芸能人は政治に口出しするな」と言う二アンスも感じるが、視聴者に目を向けさせるためのキャッチだ。「モー」は報道ではない。情報番組。その手の番組では使う手だ。次にローラ発言を「怖い」と言う女の子の3人組。でも、別の発言も。

「ローラの発言で辺野古工事に興味を持つ人も出てくるかも」

そんなインタビューもあった。バランスを取っている。そしてスタジオのパネル。「CM降板の心配」これだけみると親切のようで、間接的に脅しをしているように見えるが、そのあとの高木美保さんの意見紹介。

そして玉川さんの意見。2人共に熱烈ローラ支持。賞賛。この手の番組で、番組としての意見は司会者ではなくコメンテーターが伝える。他局で芸人のコメンテーターが総理擁護発言をよくするが、その番組の意見がそれなのだ。同じく「モー」の主張はローラ支持なのである。

が、一方的に応援するのではなく、厳しい側面も伝える。批判する市民の声も伝える。でも、最後にレギュラーの2人共に応援コメントをしたところに本当に伝えたい意図がそこにあることが分かった。その放送の一部を切り取り、ツイッターで伝える。編集された動画で紹介する。そのことでローラに対して悪意がある番組に見えてしまう。

映像を仕事をする僕はその手法をよく知っている。にも関わらず、そのツイートに乗せられ激怒していた。だが、頭に来る発言。おかしな情報。あれ?と思った時は、必ず裏を取ったり、別角度から調べる。何よりそれ自体を確認すること大切なことを改めて思い知った。録画しているのに、番組自体を見ずに怒っていた自分が情けない。報道ばかりではない。

「Aさんがあなたのこと悪く言っていたよ。言うなと言われたんだけど。あなたが可愛そうだから....」

なんて親切な振りして言ってくる人がいる。それを鵜呑みにして「Aさんって酷い!」と思っていたら、それを言いに来た人がAさんを貶めようとしての行動だった...なんてことはよくある。以前に何度も書いた境界性人格障害の患者も同じ。

「Bさんに酷いことをされた!もう、死にたい....」

と周りに言って回り同情を集める。それを聞いた人たちがBさんを攻撃。だが、それはBさんを陥れ、困らせようとしての行動。境界性人格障害はそんなことをしてしまう病気。(詳しくは「朝日のあたる家」日記にその章があります)それを意図的にするのが政治の世界。いや、ご近所付き合いでもよくあることだろう。また、そんな噂やデマをすぐに信じる人も多い。

もしかしたら、「モー」批判のツイートを出した人は本当に「酷い!」と思ったのかもしれない。が、それなら見る力が不足している。一部だけを見て「ローラ、バッシングだ」と決めつけている。しかし、誤解されそうな部分だけを繋ぎ合せて発信しているところを見ると意図的なものも感じる。いずれにしても、人の噂やツイートを安易に信じてはいけないと言うこと。改めて感じた次第だ。


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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化? [my opinion]

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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化?

深夜に仕事を終了すると、毎晩amazonプライムか、Netflix。「24」を再見した後は新しいドラマを見るべく、あれこれ見ている。どうしても歳を取ると、新しいものが受け入れられなくなり、若い頃見たものが懐かしく惹かれる。僕も懐かしいドラマを見がち。それはそれで悪いことではないが、脳が老化している証しでもあり、過去の概念やパターンが受け入れやすいので....という側面もある。

おじさん達がプロ野球を見るのもそれだろう。子供の頃に覚えたルール。好きだったチーム。その二つがあれば楽しめる。過去になかった概念を壊すルールができたりしない。言い方はよくないが脳が老化したおじさん達でも、努力なしに楽しめるのが野球である。それはそれで必要であり、僕も子供の頃に見たアニメやドラマをamazonプライムで見つけると、つい見てしまう。

ただ、映画製作というのは時代の反映が大事。過去のルールや方法論で作っていると、受け入れられない。僕が20歳前後。1980年代前半。日本映画は本当に詰まらなかった。タダでも見たくないものばかり。今考えるとそれは、当時50代を超えた監督たちが、彼らが若い頃の価値観や感覚で新作映画を作っていたからだろう。

代表的なのは「嵐を呼ぶ男」1960年代に石原裕次郎で大ヒットした映画。それを1980年代にマッチ主演でリメイクした。過去の成功をもう一度、それを若い人気のアイドルを使って繰り返す。そこまでは理解はするが、監督が裕次郎版と同じ人。若い新鋭の監督が撮るなら分かるが、何じゃそれ!と思ったものだ。

今も政府は不況というと公共工事というが、それも昭和40年代の発想。なぜ、映画会社も政府も上の人たちって時代を読めないのだろう? 過去の方法論を繰り返すだけなのか?それは先に書いた通り、歳を取ると脳が老化して、新しいものを受け入れられない。過去の習慣やルールに縛られて、新しい時代に対応できない。

でも、これまでは時代の変化はそんなに大きくなかった。古い方法論でもそこそも通用したと思う。その古い方法論にプラスαすれば通用したりもした。価値観も過去の延長上にあった。それが来るべき新時代。これからの時代はもうそれではダメだと思えている。TOYOTAとソフトバンクの提携は車社会は一変させてしまうだろう。

世界の動きを見ていても、戦後以来の大激変が間も無く訪れることを感じる。そんな中で映画屋は何を作り、何を掲げて、何を主張していくべきなのか? 娯楽映画だってそれが必要。過去のスタイルを踏襲しても、何も伝わらない。と、長々書いてしまったが、そんな訳で新しいドラマも見るようにしている。

この数日は「ストレンジャー・シングス」スピルバーグSFドラマ。最初は全く共感できず、ギブアップか?と思えたが、3話を超えてようやく面白くなってきた。現在5話。まだウイルは見つかっていない。超能力少女が興味深い。今夜も深夜に続きを見る。



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状況把握力とは何か?③ アメリカの危険なエリア、探検に行くという日本人たち。 [my opinion]

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状況把握力とは何か?③ アメリカの危険なエリア、探検に行くという日本人たち。

この能力。今の時代はとても大切だと思う。状況を把握し、問題点を見つけ、どう解決して前へ進むか?を考えるために必要な力。この能力に欠けていると、無意味なことに努力して、いつまでも問題が解決しないということになる。

しかし、日本の教育ではそれを育て育むためのものがなかった。1人1人は考える必要はない。状況把握はこちらでやる。その上で指示されたことを的確にやればいいと言う教育。その能力を選抜するのが、日本のシステムなのだ。

事実、義務教育の学科のほとんどは暗記が中心。あとは、与えられた公式に従って数式を解くような勉強。自分から問題点を探し、原因は何であるか?を探る授業はない。そのためだと思うのだが、状況把握力が著しく低い大人が多い。自分でものを考えない。誰かに言われたことしかできない。

子供に対しても「勉強しないさい」としか言えない。今の時代を把握すれば、与えられた勉強だけしていては、子供達が大人になった時に困るのは分かりそうなのだが、何をすべきか大人たちは指導できない。それは現状を把握できないから。なぜ、把握できないか? その種の教育を受けていないからだ。

学校を出て仕事を始めても、会社で上から言われたことをするだけ。自発的に何かを考えて、仕事をする機会は少ない。ただ、自営業の場合は求められる。あるいは、経営者。でも、大手はそれまでの流れに乗っていれば、今すぐ大きな問題が起きるわけではないので、能力のない2代目、3代目でも何とかなる。

しかし、大手でさえも間も無く訪れるであろう大激震を前には、その能力無くしては乗り切れないと思える。それはまた別の機会に語るが、多くの日本人は教育されていないために状況把握力が低い。例えば、海外旅行。アメリカのカフェで、椅子に荷物を置いて料理を取りに行く日本人が多い。

日本ではそれでいい。が、アメリカは犯罪が多い。荷物を置いて離れるなんてとんでもない。「だって、知らなかったんだ」というかもしれない。でも、周りを見れば、そんなことをしているアメリカ人はいない。よく見れば怪しい客だっている。貧しい人も街には多い。知らないだけでなく、そんな状況を把握する力に欠けているのだと思う。

LA留学中。後から来た若い日本人が危ないという地区にグループで探検に行くツアーを計画した。アホだ。危ない地区というのは本当に危ない。殺されるかもしれない。ナイフで脅されたり、銃で撃たれたりというのは映画の中の出来事。現実に起こると思っていない。それは勇気ではなく、サファリパークでライオンがいるエリアで、バスから降りるようなものだ。

そういう僕もアホの1人で、近くまで何度か行った。危険なエリアは近づくだけで、普通ではないものを感じる。五感を研ぎ澄ませていれば、これ以上進んじゃいけない!と感じる。が、その日本人グループはカメラを持っていき、浮浪者の撮影までしたという。動物園ではない。怒った浮浪者に追いかけられたというが、当然のことだ。

アメリカと日本は違うこと。考えれば分かるのに、同じだと考える。いや、考えないで日本スタイルで行くからトラブルになる。荷物を盗まれる。怖い目に遭う。

テレビで内閣支持率が高いと報道すれば、「へーーあんな総理でも支持されるんだね」と信じてしまう。「福島の汚染水はコントロールされている」と聞くと「それは良かった」と思う。「オリンピックで福島を励ます」と言われると「賛成だな」という。日本の状況、福島の状態を考えれば、そんなアホなということを疑わない。もちろん、マスコミが巧妙な情報操作をしていることはあるが、まんまと騙される人もいる。

それも状況把握能力の欠如が関係しているのではないか? 小さなこと。些細な声。自分が見た現実。そこから本質を想像することはできる。でないと、まやかしに踊らされて、時代に置き去りされてしまう。あるいは、ありもしない敵が攻めてくると、脅されて、まんまと利用される。今はそんな時代だ。大切なのは状況を把握する力だと思える。



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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている [my opinion]

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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている。

「子供たちに伝える大切なこと」が当初、僕の映画のテーマだった。が、その内、「子供たちが幸せになれないのは、親がバカだから」と気づき、テーマは「親子に伝える大切なこと」になった。

それからも何本か映画を撮り、「大切なこと」=「幸せ」と思えて「幸せって何だろう?」ということにも展開した。「向日葵の丘」で常盤貴子さん演じる主人公・貴子はいう。

「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」

それはお金持ちになることでも、有名になることでもなく、自分を応援してくれる友達がいる。想い出を語り合うことができる。そんな仲間がいることも幸せの一つではないか?というテーマだった。そのテーマを引き継いだのが「明日にかける橋」だ。

幸せを守るため、取り戻すためにはどうすればいいのか? そんなテーマで物語を作った。詰まらぬ噂に振り回される人がいる。金持ちに騙される人たちがいる。無神経に誹謗中傷する人がいる。世間に振り回され、人目を気にして大切なことを見失う人たちがいる。そんな中で人はどう生きるべきか? 何を信じるべきか? どう行動するべきなのか?を物語の中で伝えた。

そんな映画を作りながら思うことがある。僕だけでなく多くの映画監督は厳しい状況の中で仕事をしている。監督料は安い。映画だけで食って行けるのは日本で一桁しかいない。1本の映画が完成するまでに最低1年はかかる。

例えばギャラは100万円というと「へーー凄い!」と思う人もいるが、1年は拘束されるので1ヶ月で10万円以下になる。仕事量も多い。ブラック企業もビックリ。土日、祝日はもちろん。Xマスも、盆暮れも働く。今年は大晦日、三賀日も仕事だ。それでも大卒の初任給を稼ぐことはできない。映画の専門学校に行くと、よく聞かれる。

「監督で食って行けますか? 年収はどのくらいですか?」

正直にいうと、映画監督志望の生徒たちが皆、学校を辞めるのではないか?と思うので正直に言えない。それと、もし、金儲けをしたいなら映画監督ではなく、別の仕事をした方がいい。安定した生活をしたければ公務員になった方がいい。そういうと、生徒たちはいう。

「生活が安定しないのは嫌だなあ。でも、監督業もしたいし〜」

映画作りは戦いだ。特に監督業は世の中との戦い。時代との格闘。安定を求めること自体が理解できないが、そんな若い人は多い。ついでに言うなら、大手企業に就職しても今の時代は安定するとは限らない。倒産、リストラ。正社員になれない人も多い。現内閣のお陰で労働力は使い捨て。公務員だって近い将来、大リストラが実施されるだろう。

そんな時代の中で、安定を求める方がおかしなもの。日本はバブル崩壊で経済成長が終わり、あとは没落だけ。それが国の宿命。高く飛び上がるが、やがて落ちて行く。イギリスも、アメリカも同じ。そして2度と飛び上がることはない。生き物と同じ。大人になり、バリバリ働くが、やがて年老いて死に向かう。

もはや安定は保障されない。なら、好きでもない仕事をするよりは好きな仕事をする方がいいだろう。好きなことなら長時間働いても苦にならない。嫌な仕事をするから、長時間働くと苦になる。以前はよく言われた。

「映画なんて不安定な仕事せずに、就職したら?」

でも、今はほとんどの会社が不安定。会社員の友人たちには万が一に倒産したらどうする?と考えて、腕に技術を付けるべく会社帰りに専門スクールに通う奴もいる。そんな時代になったので、あれこれ言われなくなった。それと確かに映画業界の人件費は安い。だが、意味ある仕事がある。

原発事故の悲しみを伝えるために「朝日のあたる家」を作った。そして今回は「沖縄戦とは何だったか?」を伝えるドキュメンタリー。多くの人が共感し、賛同してくれる作品を作ることは意味を感じる。気がつくと多くの人が応援してくれている。もちろん批判し、誹謗中傷を続ける人もいるが、極少数だ。

本当に多くの人が声援をくれる。映画を作ることで喜ばれる。そんな仕事ができること。これもひとつの幸せではないだろうか? 例えブラック企業を超える労働時間で、収入が低くても、1人で7人分の仕事をしても、映画を観て感動したり、涙したり、考えたり、希望を持てたり、故郷の美しさを再発見してもらえること。大切なことだ。

映画だけではない。人に喜んでもらう仕事。正しい情報を伝えること。リラックスしてもらうこと。笑ってもらうこと。健康になってもらうこと。新しい知識を学んでもらうこと。誰かがハッピーになる仕事。それは収入を超えて、その仕事ができる人は、ひとつの幸せなのではないか?と思えている。



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状況把握能力とは何か?②=その力が低い人が問題を勃発させる [my opinion]

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会社員なのに、バイト気分で会社で仕事をすると問題が起きる。バイトなら「すみません。明日休んでいいですか?」と気軽に言えるが、会社ならよほどの理由がないと休むことはできない。バイトは単なる時間給の労働力だが、会社員は保険や年金。様々な恩恵があり、社員を優遇している。退職金もある。それをいつでも辞められるバイトと同じに考えていてはマズイ。

まあ、そんな人は極々少数だろうが、会社で働いていると言う意識を持ち、自分の立場を把握すれば、誰でも分かることだ。では、これはどうか? 映画撮影にボランティアで行った。撮影現場を見られることは映画ファンには嬉しいこと。俳優の芝居を生で観れたりもする。荷物を運んだり、駐車場の整理をしたりの仕事だが、なかなか出来ない経験ができる。しかし、後になっても文句を言う人が必ず出る。

「何日も働いたのに1円もくれなかった」「記念品ももらえなかった」「招待券ももらえなかった」「馬鹿を見た」「利用された」

そんなことをあちこちで言って回る。この人もまた状況把握能力が低いと言える。まず、ボランティア。それは時給も給与ももらえない仕事。それを分かって行っているのに「1円もくれなかった」と言うのはおかしい。その代わりに日頃会えない有名俳優等にも会えるし、撮影現場も体験できるのだ。もし、お金が欲しいならアルバイトをすべき。

次に記念品や招待券について。それらがもらえる撮影現場もある。だが、ないところもある。最初にそれは告知される。にも関わらず、前の現場でもらえたからと、今回もらえないのはおかしい!と批判するのは当て外れ。会社によって給料も待遇も違う。バイトでもそれは同じ。しかし、その手の人は相手ではなく、自分の経験を優先して考える。

「前回の映画会社は記念のタオルをくれた。その前はボールペンだ。なのに、今回はくれない。酷い!」

でも、何もないことは告知されている。にも関わらず自分の経験を軸にして考えて相手を批判する。これも状況把握能力の低さを象徴している。把握の仕方が間違っているのだ。詳しく説明するなら記念品をくれる会社はそこそもの製作費がある。でも、一般のギャラを払うほどの余裕がないか? あるいはケチって記念品にしてしまうことが多い。

ボランティアの現場は本当に予算が少なく、プロも雇うのに苦労しているところ。そんな背景がある。むしろ記念品をもら得るところは、余裕があるので、ギャラを払わずに済ませていることが多い。それを批判するなら分かるが、本当に製作費のない現場を批判するのはどうだろうか? つまり、その人が状況把握ができず。当て外れな批判をしていることにもなる。しかし、そんな事情を知らない人が聞くと

「へーギャラが出ないの? 酷わねー」

と思ってしまう。本人は把握能力がないから、当て外れな批判をしているとか、最初にボランティアと言われていることを忘れて、

「私は被害者だ」「酷い目にあった」

と我に正義あり!とばかりに言い触れ回る。そのために、悪い噂が立ち、せっかく、その街でロケした映画のイメージが悪くなる。そんな風に状況把握能力が低い人が現場にいると、不必要なトラブルが起こり、罪のない人たちまでが加害者や被害者になることがある。

逆に言うと、そんなタイプの人がトラブルを起こしがちなのだ。映画現場でなくても、会社でも、バイト先でも、サークルでも、同じ。人が集まる場で、本来の目的を理解せず。別の価値観や個人的な思いを優先して行動する人たちは結果トラブルとなる。

だから、状況把握能力。とても大事であり。それに著しく欠ける人は注意せねばと、撮影の時はいつも考えている。



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状況把握能力とは何か?①=問題解決をして前に進むための力 [my opinion]

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状況把握能力とは何か?=問題解決をして前に進むための力

記憶力、想像力、分析力、などなど、いろんな能力がある。そんな中で僕は「状況把握能力」という言葉をよく使う。心理学や精神医学で実際に使われている言葉ではなく、僕が勝手に作った言葉だが、これがかなり有効なのだ。

どんな意味か? その人が今、置かれている状況を把握する力のこと。その能力が高い人はリーダーとしても優秀であり、問題解決や物事を進行させることができる。その能力が低い人は周りを混乱させ、問題を次々に起こし、物事を止めてしまう。

そう聞くと、能力の低い人はまるで悪の手先か? 敵国の工作員だと思てるだろう。しかし、やってることは同じ。違うのは、その人は「混乱させてやれ!」と思い行動するのではなく「良かれ!」と思ってやっていることが多い。が、結果、皆を混乱させてしまう悲しい存在となる。

では、その状況把握能力とはどんな能力か説明する。言葉通りに状況を把握する力だ。例えば映画製作なら製作費はいくらか? 撮影期間はどのくらいか? スタッフは? キャストは? スポンサーは?と、自分を取り巻く状態を把握、理解する。

そして、テーマ。その映画は何のために作られるのか? も把握する。商業映画で儲けるため? 町おこしのための地方映画? 社会問題を訴えるための作品? 芸術性を追求? アイドルを売り出すための映画? いろんな目的がある。それを理解し、把握することで、目的に向かってプロジェクトを進めることができる。

アイドル映画で芸術性を追求しても意味ないし、社会問題を訴える作品なら低予算で作らないと、大手企業の賛同が得られないことが多い。状況を把握すると、おのず方法論が決まってくる。そんな中で状況を理解する能力が低い人がいると、あれこれ問題が起こってくる。

例えば「今回は社会問題を訴える作品」とする。当然、製作費は低い。人件費も低くなる。スタッフは皆、2役3役せねばならなくなる。なのに「何で俺が別のパートの仕事をしなきゃいけないんだよ〜」と不満をいう。でも、それは仕事を受けた段階で想像の付くこと。それをいつもの商業映画の感覚でいるから、不満が芽生える。その切り替えができないスタッフは状況を理解する能力が高くないということだ。

撮影が遅れている。予算にも余裕がない。見ていると美術部の仕事が遅れている。「お前らのせいで撮影が遅れてんだろ!」と怒る奴が出てくる。でも、そうだろうか? 本当に美術部の責任か? 状況把握をしっかりすると、予算が少ないことで美術部は助手の数を減らされ、経験のない新人が助手。その上、美術費が極端に少なくて、捨てられたものを拾って来て作り物をしていた。

仕事が遅いのは十分な予算をもらっていないからだ。それを「遅い」と批判しても何の解決にもならない。状況からすると、予算は増やせない。助手の数も増やせない。なら、作り物を必要最低限にして、美術部の負担を減らすしか方法はない。監督に話して、セットの飾り付けを減らす等の対応をするべきなのだ。

「ギャラが少ない!酷い」という役者。でも、考えれば、彼は新人。経験も少ない。演技も大したことない。監督が好意で呼んでくくれただけ。ノーギャラもいいくらいだ。彼を呼ぶだけで交通費、宿泊費、食費がかかる。映画撮影に参加できるのは新人にとって大きなプラス。それに気づかず、ギャラが安いと不満を言う。

状況を把握できていない。ギャラの金額だけしか見ていない。己の実力、評価を考えず、バイト感覚で8時間働いたら8000円は欲しいと言うレベル。それを把握できず、監督の好意にも気づかず、不満を言う役者を呼んでも現場の空気が悪くなるだけ。彼もまた状況把握能力が低いのである。

現場で怒鳴るベテランスタッフ。昔はよくいたが、最近は少ない。それでは許されなくなって来たからだ。納得できる理由があればまだいい。若手がダレているの活を入れるとか。それが自分の不満や個人的な理由で怒鳴っているようではダメ。それも状況把握能力が低いと言える。

「イライラする!」「何で俺がこんな仕事をしなきゃいけないんだ!」「ギャラも安い!」「監督が新人でバカだ!」

そう思ったとしても、そこで怒鳴っていいことには繋がらないし、怒鳴っても問題は解決しない。例えば、その人が技術部であれば、自分の仕事をまず頑張ること。ベテランであれば新人の監督をフォローしてあげる。自分のいる立場と経験。何をすればプラスで、何がマイナスか?を考えること。

状況を把握していれば、そんな答えが見えてくる。なのに、自分から見える光景と個人的な感情だけで怒鳴ってしまう。それは他のスタッフのやる気をなくし、彼自身の評価を下げることにしかならない。そんな風に状況を把握できない人がいると、大変な事態がより大変になってしまう。

これは会社でも、組織でも同じ。その仕事は何が目的で、どんなメンバーが集まり、どのようにして進められているか? そして自分の立場。役割を理解すること。それが状況把握である。

太平洋戦争を勉強していても、米軍は日本の状況を把握した上で攻撃している。対して日本は、自国の戦力を過大評価。アメリカの力を過小評価。古い記録を参考に算段。武器がなくても気力で勝てると指示。

対するアメリカは驚くほどの日本の状況を把握していた。言えることは上にいる人間に状況把握能力がない国は国民が苦しむと言うこと。また、上にいる人間でなくても、状況把握ができない者がいると、仕事でも、撮影でも、次々に問題が起こる。

その意味で僕はスタッフを選ぶとき、その人に状況把握能力があるか?を見る。感情的過ぎないか? 立場を理解するか? を考える。映画撮影以外でも同じ。人を見ると言うのは「状況把握能力」が高いか低いか?を見ると言うことなのかもしれない。



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