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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】 [my opinion]

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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】

よく見るAmazonプライム、「オプエド」は地上波ではなく、ネット番組。そして有料。「オプエド」は基本無料だが、アーカイブを見たり、番組を最後まで見るには会員になり料金を払わねばならない。僕は今年から有料会員になった。月900円で番組が最後まで見ることが出来て、月3本までアーカイブを見ることができる。だから今は好きなときに、何処ででも「オプエド」を見ることができる。

例えば小沢一郎が出演する。

今、何を考えているか? 知りたい。野党共闘はどうなっているのか? でも、地上波にはあまり出演しない。出ていても忙しくても見れないことが多い。そんなとき「オプエド」はありがたい。出先でも、風呂でも、iPadで見れる。

Amazonプライムも同じだ。その両者の共通点。有料であること。対して多くの地上波。時間が限定される。テレビがないと見れない。あとで見るには録画しなければならない。その上、見たい番組が本当に少ない。つまり、今の時代。必要な情報を便利に得るには、ある程度の料金を払わなければならないということ。

テレビは無料なのだから、

文句いうなら見なければい。録画してまで見る価値がないなら録画しなければいい。古くからのメディアである新聞だって料金を支払うのに、テレビがタダで見れるということが長年続いた。そのため日本人は娯楽やニュースは無料と思い込んでしまったのだろう。

先日、久々にテレビをつけたらワイドショーをやっていて、お笑い芸人のコメンテーターが野党批判をしていた。首を捻るものなのでチャンネルを変えると、別の局ではキャスターが野党批判をしていた。

なるほど、テレビは広報になっているのだ。

ポストにいっぱい入ってるチラシと同じ。料金は取られないが、特定の企業や店の広告。それと同じ存在。ま、新聞は金を取るが、スポンサーの広報紙になりがち。産経新聞がついに全国紙の看板を降ろしたのも、その辺を読者に見破られたから。政党の機関誌を購読する人は党の支持者だけ。

今は自分たちが信頼できるメディアを金を出して見る時代になって来たようだ。それも忙しい人々が見たいときに見れる。時間や場所を指定されない。そして事実を伝える。それが報道メディアに求められているように思える。



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混迷の時代を走り抜ける方法=フェイクニュースを見破れ!新しい情報をゲットしろ! [my opinion]

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混迷の時代を走り抜ける方法=フェイクニュースを見破れ!新しい情報をゲットしろ!

先にも書いたが、ここしばらく僕があれこれ論じていた問題。全ての背景が同じだと分かり、結構ショックだった。そんなことで人は誤解し、批判し、傷つき、仲違いし、失望している。悲しいとしか言いようがない。

先の記事を読んでいない人のために少し書くと、「戦場ジャーナリストを批判する人」も「町おこしのために地方映画を作り大失敗する人」も「俳優になりたい!と努力しながら夢を掴めない人」も、最近僕が疑問に思えて取り上げたほとんどが、同じ原因。背景。

つまり、相手の職業、その業界、その世界、の情報をほとんど持たないのに、聞きかじった情報や自分の価値観、自分が携わる仕事の常識で判断。批判する。が、それで正しい結論が出るわけもないのに、その論法で斬り込むので大失敗するということなのだ。

戦場ジャーナリストとはどんな仕事か知らないのに、それ以前にジャーナリストとは? 記者とは? それも知らないのに、会社員と同列に考えて批判したり。映画製作を知らないのに、思いつきや聞きかじった情報で映画を作ったり。それがここしばらく、僕が疑問に思った人たちの背景であり、思考パターンなのだ。

その多くは僕が直接接しているわけではないので、哀れな人たちと思うだけだが、身近にいて、同じことをしている人たちもいるので、辛い。特に若い頃からあれこれ助けられ、応援してくれてた人が最近、おかしな言動、役に立たない助言が多い。それらも同じ原因だった。もし、同様のズレた発言を初めて会った人に言われたなら

「この人の言葉に耳を傾ける価値なし」

と思うだろうが、その人たちには本当にお世話になっているので、そんな無礼なことは言えない。今後も付き合いが続くであろう恩人である。それなのに話を聞くと、明らかにズレた指摘。それどころか全く当て外れの説教やお叱り。ムカつくというより、悲しくなる。以前も書いたがまさに父と再会したアムロの気持ち。

あるいは、若い頃は応援し励ましてくれた恋人が、結婚して日常を共に送る内にズレてきて、自分のやり方をあれこれ当て外れな意見をぶつけてくる。という感じなのだろう。もともと敵意を持った人が相変わらず、攻撃してくるのなら平気だ。

が、他の誰よりも応援してくれた先輩や友人が、当て外れの批判をしてくるのは悲しすぎる。さらに辛いのは、その先輩たちは「良かれ」と思って、僕のためのことを考えて言っているということ。でも、明らかに間違っており、

「その通りですね」「それで行ってみます」

と以前のように心から納得し、笑顔で返事できないところだ。好意を感じる。応援もしてくれている。でも、その人たちの意見や助言はまるで役に立たない。いや、それを受け入れては大変なことになるレベルのものばかり。

その背景。先に書いたものが当てはまる。そのお一人は数年前に東京を引き上げて、今は田舎暮らし。そのために得られる情報が急激に減った。年齢もありネットはやっていない。たぶん、情報源はテレビと新聞のみ。仕事で関わるのも地元のお年寄りだけ。当然、新しい情報は得られない。となると、僕の行動をみていて、その人は

「あー監督。そんなことをしてちゃダメだ。ちょっと注意してやろう」

と愛を込めて説教する。が、その人の意見は古い情報や価値観に基づいたもの。残念ながら役には立たない。もちろん、時代を超えた正論というのもあるだろうが、多くは時代と共に変化していく。それに気づかずにいるのだ。そんな人が数人いる。そして多くは年配であり、田舎に住んでいる。ネットをやらない。同じ人たちとしか接していない。つまり、新しい情報を得る窓口を持たない。

それでなくても人は年を取り、感性のアンテナが錆び、新しい情報を得られなくなる。当然、古い情報や役に立たなくなった価値観でものごとを判断してしまう。変な例えだが、子どもの頃に僕は恐竜に詳しかった。が、少し前の恐竜ブームで恐竜図鑑を見たときに知らないものがいっぱいあった。「子ども向けの本だと思って、実在しない恐竜まで載せてるな?」と思ったら実在した。

僕が恐竜に興味をなくしてからの数十年に化石が発見され、認定されたものがいっぱいいるのだ。さらに「恐竜は鳥になった」説。今では一番支持されている説だが、僕は昔ながらに「トカゲが恐竜の子孫」と信じていた。子どもに

「お兄ちゃん。恐竜の子孫は鳥だよ」

と言われたら、「この子は何も分かっていないな!」と説教しただろう。まさに、それが先輩たち、友人たちが僕にしていることなのだ。自分は正しい。と思っているが、世間はその先に行っている。古い古い考え方を信じて、愛すべき後輩に押し付けてしまうのだ。そのことで、ここ数年、かなり辛い思いをしていた。が、その背景が分かったことはプラスだ。あれだけ鋭かった先輩や友人でも、あんなにズレたことを言い出す。

それが人であり、時代から遅れないためには常に新しい情報を得ることが大事ということ。それもテレビや新聞の情報だけではない。いろんなところからの情報。都会にいると街を歩くだけでも情報は満ちている。

が、地方ではそうはいかない。また、テレビ新聞は嘘が多いのも事実。トランプがいう「フェイクニュース」はまさに正解なのだ。特に日本人はフェイクニュースに振り回されている。今でも地方に行けば

「NHKは公正な報道をしている」

と思っている人がとても多い。そしてネットの情報も真偽を見抜く力がないと振り回されるばかりだ。

「中国が攻めてくる」「トランプは不法選挙で勝った」「アメリカのマスコミは日本と違ってがんばっている」「電気が足りないから原発は必要だ」「原発がないと日本は経済発展ができない」「日本が見直されているから、多くの観光客がやってくる」

これらは全てフェイクニュース。踊らせれてはいけない。デマに乗せられて味方を攻撃してはいけない。真実を見抜くこと。そして行動することこそが、この混迷の時代を走り抜ける方法なのだ。



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時代を生き抜くキーワード。価値観を押し付けない。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く? [my opinion]

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時代を生き抜くキーワード。価値観を押し付けない。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く?

このところ書いて来たいくつかの記事。共通点があることに気付く。

「俳優になりたい若い人たちの問題点」
「トランプ大統領の真意を見抜けていない人」
「戦場ジャーナリストを批判する人たち」
「地方映画で失敗する人たち」

=芸能、政治、ジャーナリズム、地域活動と、全てジャンルは違うのに、構図が全部同じ?と気付いた。まず、俳優になれない若い人たち。間違うのは、以下の点。

①「私はそこそこ可愛い。テレビに出ているアイドルの**ちゃんよりは可愛い。だから、私はタレントになれるはず」そして「この俳優は下手だ。**の演技が酷い。私の方ができる。だから私は女優になれる」

以上の2つの論法は間違っている。だから、その人は俳優になれないのだが、他のジャンルも確認しよう。

②「あの戦場ジャーナリストは政府が止めたのに危ないところに行って捕まった。自業自得だ。政府に身代金を払わせて迷惑をかけた。会見ではまず謝罪すべきだ」

これも上記と同じ論理。正しくない。間違った批評をしている。トランプ問題は説明が長くなるので、あと回し。

③「町をアピールする映画を作ろう! この町の観光スポットで撮影して、名産品を出して、俳優さんに食べてもらい『これはおいしい!!』という台詞を言ってもらおう。全国で公開すれば凄い宣伝になる」

この論法も大いに間違っていることは、僕の記事を以前から読んでくれている人は分かってもらえるはず。さて、それぞれに何が間違っているか? すでに長い長い解説を書いているので、簡単に説明する。

①の俳優志望の若い人は、「私の方が可愛い、私の方が演技できる」とテレビで見た俳優やタレントと比較して「私も俳優ができる」と主張しているが、その人の尺度が間違っている。

「可愛い」=「俳優やタレントになれる」ではない。演技力、イメージ、事務所の力、運、いろんなものがあり、皆その中で足掻き努力して、デビューを目指す。なのに、その1点だけで「私も俳優になれる」というのは大間違い。そして2番目の「この俳優は演技が下手。私の方がうまい」というは、理屈になっていない。

その俳優の問題点を見抜いただけであり、だから自分がもっと上手いにはならない。その理論が可能なら、映画をあれこれ批判する映画評論家は優秀な監督になれるということだ。問題点を見つけるは「見る目」の能力であり、演技力ではない。

②の戦場ジャーナリストは「政府も止めたのに危ない国に行った」と批判するが、戦争下の危ない国に行くのが戦場ジャーナリストの仕事なのだ。そして「政府に身代金を払ってもらい、迷惑をかけた」というが、日本政府は払っていないことを公言している。

カタール政府が肩代わりしたとの情報もあるが、それが本当かどうか?分からない。つまり、そのジャーナリストは政府に迷惑をかけた訳ではない。自分の仕事を危険の中でまっとーした。なのに、ありもしないことで多くの人が批判している。

③の地方映画で町興しの人たち。「観光地で撮影。名産品を出して、俳優さんに食べてもらい『これはおいしい』といってもらう」この考え方はコマーシャルだ。映画は入場料を払って映画館で見るもの。そこで観光地を紹介したり、名産品がおいしいという物語を見せられては溜まらない。その手の地方映画が惨敗するのは、そのため。町の人たちは映画をCMとして作ろうとしている。それでうまく行く訳がない。

もう、気付いただろう? 以上の当事者たち。みんな同じ間違いをおかしている。芸能界を、ジャーナリズムを、映画製作を理解していない。情報を持っていない。なのに、自分の価値観で、勝手な憶測で、別の業界の論理で解釈している。それで正しい答えが出る訳がない。なのに間違った答えからスタート。いくら努力しても、時間をかけても、成果が出る訳がないのだ。

○可愛いだけでは芸能界に通用しない。

○演技の問題点を見抜くのは「見る目」の能力。演技力ではない。

○戦場ジャーナリストはもともと危険なところに行く仕事。それを批判しても始まらない。

○政府は身代金を払っていない。迷惑をかけたは当て外れな批判

○映画は物語を楽しむもの。CMは商品をアピールするもの。

○町の観光地や名産のアピールをする作品を観客は金を払って見ない

全て同じ論点で間違っていることが分かる。「俳優とはどんな仕事か?」「どんな人が俳優として通用するのか?」「戦場ジャーナリストとはどんな仕事か?」「映画とはどんなものか?」それらを知らない人たちが、思い込みだけで批判。或は「それなら自分もできる」という結論を導きだしているだけなのだ。

それらの人の多くは若くても経験がない人から、さまざまな経験をした大人まで、どこにでもいる人たちだ。なのに、多くが「自分の知らないこと」を調べることもなく、別の価値観や思い込みを使って批判。思わず「バカだね〜」と言いたくなるが、これが極々一般の発想なのだろう。

別の例で言えば、アメリカ人が我が家を訪ねて来る。靴のまま部屋に入ろうとする。アメリカではそれが普通だ。が、もちろん日本では玄関で靴を脱ぐ。それを「アメリカ人って酷いわね。靴を脱ぐのは常識でしょう?」と批判するようなものだ。常識や価値観が違う。でも、こんな批判をする人は少ない。アメリカ人は部屋で靴を脱がないという情報を多くの人が持っているからだ。小説家を見て、こう思う。

「あの先生、いつもブラブラしているだけ。気の向いたときに原稿書いて、作家って気楽な商売ね」

でも、それが作家。朝9時から夕方5時まで原稿を書くというものではない。ブラブラしているように見えても、あれこれ考えている。その意味では寝ているとき以外は全て仕事をしていることになる。でも、作家の生活を知らない。情報がない。なので会社員の生活を重ねてしまい、間違った批判をする。

その仕事、業界、世界、それらの情報を持っていないのに、自分の常識、価値観、仕事をダブらせて批判している。間違った判断でその世界に突き進んで行くから失敗する。

ここしばらく書いた記事のほとんどが、同じ構図であることに気づき、僕自身ビックリというところがある。なぜ、人は「自分が知らないことだ」「自分が間違っている」とは考えないのか?

今回の結論は特に日本人に言える。そうなってしまう背景がある。アメリカは様々な民族がいる。宗教も価値観もいろいろ。超金持ちから超貧乏まで。だから、人はそれぞれ違うというところからスタートする。対して日本はほとんどが日本人だ。少し前まで1億総中流と言われた。多くが大学まで行き、同じ教育を受ける。最近の若者は個性がないと言われるが、まさにその通り。大差のない大人に育ってしまうのだ。

当然、考え方も似たようなもの。文化でも、言語でも違うものがほとんどないので、いつしか、皆、同じであると思い込んでしまう。習慣も、常識も、法律も、価値観も、同じだ。同じはずだ。いや、次第に疑うことさえしなくなる。が、実際は違う。東京と大阪。都会と地方。価値観や志向が違う。サラリーマン社会と芸能界はかなり違う。映画界とテレビ界でも違う。マスコミ、広告業界、ジャーナリズム。それぞれに別の価値観や使命があり、一般からは理解し辛いものが多い。

なのに、人は自分のまわりの情報をもとにして、自分がいる業界の、自分が持つ価値観を他者に押しつけ、受け入れないと非常識だ。無礼だ。失礼だと批判する。そして、自分の持つ情報と価値観だけで

「私は女優になれる!」「タレントになれる!」

と判断。間違った努力に時間を注ぐ。町興しのための映画作りも同じ。他県の人が見たいと思わない映画を努力して作ってしまう。

僕がこの数年感じることも同じところから来ている。その町のために必死で映画を作っても「ギャラを取るのか? 金のためにやっているのか?」と批判する地元人が出てくる。最初は応援してくれたのに、最後は批判され毛嫌いされることもある。映画製作や映画人のことを知らず、ご近所付き合いで大事なことと、自分たちの価値観、習慣を押し付けてしまうからだ。

でも、同じ日本人。日本語で話し、基本的な常識は同じ。玄関で靴は脱ぐ。朝会えば「おはようございます」という。そんな交流の中で「同じ人間」と思い込み。相手をより深く知ろうとはせず次第に細かな習慣等を、無意識に押し付けてしまう。揉めると「裏切られた」「失望した」になってしまう。映画人が正しいというのではない。映画を作るときは映画界の方法論で進めるべきということ。そこにご近所付き合いの常識を持ち込むのは違うというだけだ。

戦場ジャーナリストに対して、海外旅行と同じ視点で考えるから批判する。旅行で危険なところに行く必要はないが、ジャーナリストは危険なところに行くのが仕事だ。小説家に「いつもブラブラしている」と批判するのと同じ。本質を知らないから、当て外れな批判となる。映画学校の生徒から「映画監督になると、月にいくら収入がありますか?」とよく質問されるが、それも同じ。会社員の常識で聞かれても答えにくい。

ボランティアで撮影現場に来た人が「タダ働きさせられた」と怒るのも同じ。ボランティアの意味が分かっていない。地方映画が完成したあと、ボランティアでエキストラ出演した人が、

「映画館の招待券くらいくれてもいいのに!」

とよくいうが、それも同じ。「お金はもらえないが、がんばったのだからせめて、招待券くらいは!」という発想だが、それは友達付き合いの理屈。

「引っ越しを手伝った。バイト料はなしで了解している。でも、せめて飯くらい奢れよ」

それを映画製作に持ち込んでいるのだ。ボランティアは友達付き合いではない。最初に記念品がもらえるという約束があれば別だが、それをあとで求めるのは違う。そもそも友達関係の習慣を映画作りに持ち込むのが間違い。

全てに対していえること。人はまず自分の持つ情報お価値観で判断しようとする。それが別の国でも、別の業界でも、別の町でも、そうする。受け入れられないと怒り、失望し、


「私は被害者だ。傷付けられた!あいつだけは許せない」

と思い込み、相手を憎み批判してしまう。では、国や業界だけではなく、時代はどうだろう? バブル期に青春を過ごした人と、平成不況に生まれ現在、青春を送っている人は? 価値観が違うはずだ。昭和生まれと、平成生まれと、来年以降の新しい年号で生まれる人。20代と30代と、50代と、70代。習慣も価値観もそれぞれに違うはずだ。

最近、先輩や友人で、ズレているなあと思えることが増えて来た。それらの人たちは、時代に取り残されているのだろう。過去の時代の価値観で判断する。だから、正確な判断ができない。間違った答えを出してしまう。なぜ、そうなるか? 新しい時代を感じる情報が得られていないからだ。田舎に引きこもる。同じ仲間としか会わない。ネットをやらない。間違ったテレビ情報しか得ていない。それが原因だ。

僕が気になり記事にする問題。すべて同じ背景。これたぶん時代のキーワード。変化していく価値観や常識。それを掴めないと時代にとり残されるということ。つまり、大切なのは情報だ。情報がないから、手持ちの情報をもとにしてしまう。古い情報で判断うる。

映画業界や芸能界を誤解するのも、その世界の情報がないからだ。まず、情報を仕入れること。俳優を目指すにも、地方映画を作るにも、戦場ジャーナリストを語るのでも同じ。自分の持つ、自分の世界の情報だけで判断してはいけない。

そして情報には正しいものと、不正確なもの、そしてデマがある。それを見ぬくこと。その上で考えること。その辺が時代のキーワードではないか? 

え? トランプの話? それも同じ。いずれもその辺も記事にさせてもらうが、日本のマスコミ情報だけではトランプの正体は見えて来ない。安倍とトランプを同列で語るマスコミもいるが、大間違い。その件も含めて、情報の大切さ。改めて痛感する。

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「見えてる世界が全てじゃない...」が今の時代に大切なこと。 [my opinion]

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「見えてる世界が全てじゃない...」が今の時代に大切なこと。

これは新シリーズの「ゲゲゲの鬼太郎」のキャッチコピー。アニメと思って侮るなかれ、今回のシリーズはかなり社会派。ブラック企業、食品問題、移民問題、と社会問題をテーマにしたエピソードが多い。そして先の「見えてる世界が全てじゃない..」は今の時代にとても必要な発想だ。

映画製作のときに、一般の人が自分たちの価値観や習慣を押し付けることでトラブルが起きること。何度も書いた。自分たちの知らない映画の世界を理解せず、自分たちの価値観しか分からないことで問題が起こる。戦場ジャーナリストが誰に迷惑をかけた訳でもないのに、批判する人々。お笑い芸人が登山家に例えて非難したり。皆、自分の価値観や習慣を、まるで正義のように掲げ、自分たちが知らない業界の人たちを糾弾する。

まさに彼らに見えている世界が全てだと思っているのだろう。自分の知らない世界。見えないから分からない。なのに知ろうとしない。自分たちの価値観で判断。押し付ける。そんなことをいろんなところで感じる。俳優になりたい人たちへの記事も、このところ続けて書いたが、夢破れる人の多くは一般の価値観、大学=>就職=>会社員という流れ、それを芸能世界に当てはめて考えてしまう。

アルバイトと同じように、1時間いくら?で判断する。会社員のように固定給があって生活が安定する。それと同じものを映画監督業に求める若い人もいる。皆、一般社会の理屈やシステム。価値観が芸能界も同じと思い込んでいて失敗している。

芸能界に一般の常識は通用しない。が、似たような世界でも音楽と映画の世界は違う。テレビと映画も違う。CMもまた違う。それぞれに別の価値観がある。当然、国と国とは全然違う習慣やルールがある。そこは分かりそうだが、分からない。

留学時。LAに遊びに来た友人たち。危険ということが分からない。財布にいっぱい札を入れて買い物する。危ない地域に行きたがる。フードコートでテーブルにバッグを置いて、買いに行く。LAでは絶対にやってはいけないことだ。が、安全な日本に住んでいると分からなくなる。そこは仕方ないかもしれないが、アメリカは違うということを考えもしない。

いろんなことが「見えてる世界が全てじゃない...」という同じキーワードで納得できる。つまり、当たり前と思うことを疑うことだ。見えてない世界が存在する。そこには別の価値観がある。だから、まず、疑うことだ。


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日本では精神病はタブー。マスコミは語らず、国民の多くは知らない。 [my opinion]

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日本では精神病はタブー。マスコミは語らず、どんな病気か? 国民の多くは知らない。

精神病になった友人がいた。それがきっかけで10数年前から精神病の勉強をしている。映画製作が忙しいので本当に時間があるときに、その種の本を読む、専門家にお話を伺うくらいだが、できれば精神科の講義にも出たい。なかなかチャンスはないが...。

精神病というと極めて稀な特別な病気と思われがちだが、そうではない。私たちのまわりに、その種の病気を患う人は数多くいる。その病気がどんなものであるか?の知識がないので、気付かないだけだ。

例えば、ネットを見ていてもそれと思える人がいる。特定の人をTwitterで長期間に渡って批判、攻撃するのも、精神病が原因ということがある。境界性パーソナリティ障害の場合。注目されたくて、愛されたくて相手を褒めちぎったり、逆に踏みつけて、批判したりという行動に出る。

悪意があるとかではない、それが症状なのだ。目立ちたがりとか、ヘンな人と思いがちだが、病気が原因なことも多い。が、難しいのは精神病の話をすると、多くの人が黙り込み、話題を変えようとする。ネットで書くと「差別だ」と批判する人も出て来る。

その精神病がどんなものであるか? 病状を説明しているだけなのに「人権問題だ」と騒ぐ。「***さんは***病だ」と特定個人を病気と決めつけ、批判するのが「差別」であり、病気について語ることは「差別」ではない。

が、多くの人は「精神病」というと、触れないようにする。知ろうとしない。そのために、身近に患者がいて問題を起こしても、それが病気のためとは思わず、対応を間違い、大きなトラブルになったりする。

マスコミも精神病には触れない。せいぜい「鬱病」。事件報道でも犯人が精神病である可能性が出て来たとたんに続報はなくなる。また、健康バラエティ全盛なのに「統合失調症」や「双極性障害」をテーマに番組作りはされない。

扱うだけで過敏な視聴者から「差別だ!」「人権侵害だ」というクレームが来るからだろう。結果、一般の人は精神病に関する知識が乏しくなり、そもそも精神病とはどういうものか?が分からず、包丁を持って暴れるような人が精神病と思い込んでいる人が多い。

だが、あなたの職場にも、大学のクラスにも、近所にも患者は必ず存在する。統合失調症は200人に1人存在すると言われる。僕はたぶん2〜300人の友達、知人、顔見知りがいる。その中に患者が3人いた。さらに、双極性障害、境界性パーソナリティ障害の患者もいて、様々なトラブルが起こった。が、病気ゆえのトラブルだと気付いているのは数人だけ。

やはり一般の人に精神病の知識がないので「何かヘンな人」「少し変わっている」という認識しかできない。或は「別のヘンなところはない。普通の人だ」「いやいや、いい子だよ。健気だし。応援したいな」と思っている人もいた。そのくらいに精神病は分かり辛い。

「***さんは精神病で奇妙な行動を取り、困っている」

と友人に相談しても、

「そうかなあ。普通だと思うよ。お前の方に何か原因があるんじゃないか?」

と言われたりする。僕が以前、その種の患者さんから攻撃を受けたとき、同僚にそのことを話した。彼はその患者のFacebookを確認したという。

「全然、普通でしたよ? 死ね死ね死ね!とか書いてませんよ」

そんなことを書いていたら重傷だ。結局、同僚は理解せず、僕の方がおかしいと今でも思っている。が、その患者の攻撃は執拗で、いろんな人が巻き込まれて多くの人が迷惑した。ただ、第三者が見ていると、内輪揉めとか、単なるトラブル、よくあること、にしか見えず。大きな問題であることが分からない。「仲良くしろよ〜」と笑顔で言ったりする。

分かりやすくするために別のいい方をしよう。インフルエンザにかかった友人がいたとする。彼は単なる風邪と思い込み、出勤する。会社を休むと同僚に迷惑をかけると考えた。が、会社に行けばインフルエンザが同僚たちに移ってしまう。下手したら学級閉鎖ならぬ、会社閉鎖になる。

そんな場合は欠勤することが大事。だが、当人はインフルエンザと気付かない。同僚の1人が風邪ではなくインフルエンザだと知る。

「会社へは来ない方がいい」

と忠告する。それを知った他の同僚たちがいう。

「お前、酷いな。あいつは風邪でも無理して会社に来ようとしているのに、来るなと言ったんだって? それって嫌がらせだよ。優しく応援するのが同僚だろ?」

インフルエンザを知らなければ「風邪だろう?」としか思わない。本質を知らず、大きな問題になるのを止めようとした、その同僚を非難してしまう。これが精神病患者が近くにいた場合と同じ構図だ。患者には悪意がない。が、病気のためにある種の非常識な行動。トラブルを起こす行動、言動を取ってしまう。

不謹慎だが、映画屋なので、SF映画を思い出してしまう。インベーダーが地球に潜入。友達や家族と入れ替わる。それに気付く主人公。でも、誰も分かってくれず、インベーダーは次々に危険な事件を起こす。

「ボディスナッチャー」とか「遊星からの物体X」のような映画だ。物語の主人公は1人、行動するが、友人や家族までがインベーダーを庇い、おかしいのはお前だ!と言い出す。

少し前に書いたが、Facebookでもそういうことがよくある。最初は「映画観ました。感動しました。友達申請します!」と連絡。毎日のようにコメント欄に激励、応援が書き込まれ、それに答えると、凄く喜んでくれる。

でも、仕事が忙しくなり、返事ができなくなると「無視された!」「裏切られた」「なぜ、返事をくれない!」と、そこからFacebookで悪口を書いてまわり、共通の「友人」にも「あの人は酷い。信用できない」と連絡。そんな人もいた。

中には病気ではなく、単に思い込みが強い人、常識の無い人もいる。が、その人の行動パターンを専門家に告げると、典型的な症状と言われた。が、それを見ていたある「友達」がコメントしてきた。

「優しさを持って接すればきっと分かり合えますよ〜」

だが、専門家はいう。

「関わってはいけません。自分の人生がダメになっても、その人を助けようという肉親のような思いがなければ避けるべきです。中途半端な同情で関わると、周りの人にも被害が及びます」

悲しい話だ。だが、先のインフルエンザの話と同じ。もし、インフルエンザという病気をその人が知らなければ、風邪だと思うし、まわりもその知識がなければ「風邪なら、がんばって会社に来いよ」というだろう。そのことでまわりが大変なことになるとこが分からない。

それを差別だ、可哀想だと、いうことで被害は広がる。が、日本の社会では精神病はタブー。誰も触れず、語ろうとしない…..。



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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画業もよく当て外れの非難をされるからなあ。 [my opinion]

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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画監督業もよく当て外れの非難をされるからなあ。

拉致されていた安田が帰国。昨日、記者会を行なった。その数日前からネットで、いくつもの批判が流れていた。数年前の後藤建二さんがイスラム国に処刑された件でも、無神経な声を数多く聞いた。年配のオジさんがこう言っていた。

「自己責任だよ。危ないところへ行くからだ。自業自得だね」

それなりの年齢。会社員。それなりの役職。家族もいる良識ある人だ。が、その発言はおかしい。後藤さんは旅行で危険な国に行った訳ではない。先に拉致された友人を受け取りに行ったと言われている。そして捕まった。が、その辺はしっかりと報道されていない。一説にはある大手テレビ局の依頼で行ったとも言われる。

おまけに、拉致されているときに、どこかの国のバカな総理が敵対する国に人道支援(結局、その国は戦費に使うことが多い!)を発表。さらに「テロには屈しない」と発言。その後、後藤さんは処刑された。その経緯をそのオジさんは知らず「自己責任だ」「危ないところへ行くからだ」「自業自得だ」と発言する。

そもそも、戦場ジャーナリストとはどんな仕事なのか? 僕らは知っているのか? 危険なところに行くのが仕事であることは分かる。なら「危ないところ行ったから、自業自得」というのはおかしい。なぜ、人は自分が知らない仕事に対して、事情も知らないのに、分かった顔をして当て外れな批判するのか?

思い当たるのが映画という仕事。何度か書いたが、地方で映画を作ると様々な誤解があり、揉めたり、ありえない批判を受けることがある。映画完成。いよいよ監督料を受けとるというときになり、地元の人にこう言われた。

「お前、ギャラ取るのか? 俺たちはボランティアでやってんのに、お前らギャラ取るの? 金のためにやってるのかよ?」

映画作りは仕事だ。農作物を作る。車を作る。家を建てる。それらと同じ。だが、その中年の社長は激怒していた。1つには映画作りは趣味の延長だと思っている部分。映画とか、音楽とか、演劇とか、そんなものは学生時代の趣味その延長。好きでやっている。それで金取るなんて、甘えているという発想。

また、自分たちの町のアピールのために映画を作っている訳で、お手伝いする市民はボランティア。それは最初から決めていたこと。東京からプロのスタッフを呼ぶ。一緒に撮影。その間に、その社長は「一緒にがんばる仲間」と思い始め、連帯感を持つ。撮影が終わり、スタッフ側がギャラを要求すると、「何でお前たちだけが!俺たちも一所懸命やったんだ!」という裏切られた気持ちになったのもある。

それはおかしな話で、スタッフは映画作りの技術を持っている。その社長はお手伝い。物を運んだり、車を誘導したり、そのことで製作部スタッフの数を減らし、人件費を少しでも浮かす。製作費を節減できる。それが理由。要は市民は町をPRする活動。スタッフは仕事。その両者が一緒に撮影した。

なのに、地元の社長が「俺たちも一生懸命やったのに」「ギャラがもらえない」「だから、お前らもノーギャラだ」というのはおかしな話。でも、映画撮影という特殊な状況の中で彼は、いろんな思い違いをしてしまったのだ。映画の世界は一般からは分かり辛く、誤解されることがよくある。

「映画監督は金持ち」というのも都市伝説みたいなもの。それはハリウッド監督の話。日本では映画だけで食える監督は5人くらいだ。「撮影が終われば映画は完成!」という誤解もよくある。その後に編集作業が3ヶ月ほど。ようやく完成したら、地元の人に言われた。

「監督。撮影が終わってから何していたんですか? 旅行でも行っていたんですか? さっさと上映してくれればいいのに〜」

遊んでいると思われ、その人は皆にこう言っていたらしい。

「あの監督はいい加減だ。あんなに撮影のとき、応援したのに、音沙汰なし。映画もさっさと上映してほしい」

近所の人も、映画に詳しくない。「そういえばそうだよね。撮影終わってもう2ヶ月。やっぱ、あの監督いい加減だね〜」と事実ではないこと。映画作りを知らないだけなのに「遊んでいる」ということにされ、ーボロボロになって編集しているのにー地元で批判されていたこともある。

「監督は女優を連れて飲み歩いている」

というのも、ときどき言われるが、監督はたいてい貧しい。女優は昔と違い、金のない監督を相手ににはしない。こんなのもある。

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけなんだよな。俺たちを利用して...」

そもそも「撮りたい映画を撮っているだけ」というのが変。撮りたくない映画を撮る方が大事なのか? もちろん、会社から依頼されて、撮りたくない映画を撮る監督もいる。しかし、巨匠・黒澤明監督もいう。

「監督が撮りたい映画を撮るから、いいものが出来る!」

そこが大事。それを「撮りたい映画を撮っているだけ」という批判は成立しない。実はその批判する人の価値観はこうなのだ。

「仕事は辛いもの。楽しいのは遊び」「嫌なことでも我慢してするのが仕事」「だから、撮りたい映画を撮るのは遊び。自己満足だ」

そして「俺たちを利用して」というのは、地方映画のときに言う人が必ず出て来る。例えば「町興し映画」なのに、その監督は町のアピールには繋がらないSF映画を作った。これはダメだ。町を利用して、自身が作りたい映画を作ったのだ。

しかし、SFでも、ミステリーでも、アクションでも、その町が舞台で、魅力が伝わる作品であれば、利用したのではなく、町のために映画を作ったということ。にも関わらず、当て外れな指摘をするのは、先の価値観。好きなことをするのは遊び。嫌なことを我慢してするのは仕事。つまり、その監督が暖めていた企画でその町を舞台に映画にした。自身が作りたいものを作った。だから、俺たちは利用された。というのだ。

暖めていた企画だろうが、その場で考えた物語だろうが、要は町のアピールになることが大事。それを「あいつは自分が作りたいものを作っている」という批判をするのは理解できない。黒澤も言う通り、監督は自分が作りたい映画を作ったときに、素晴らしいものができる。素晴らしい映画は観客が支持する。町のアピールに繫がる。だが、その人の価値観だと嫌なものを我慢してやるのが仕事。だから、やりたいことをやる監督はダメということだろう。

通常の仕事。会社員等の多くは仕事を好きでやっていない人が多いだろう。やりたい仕事はなかなかできないもの。だから、仕事=やりたくないもの。やりたいこと=趣味。と考えがち。その論理で映画の世界を批判しても当て外れなものになってしまう。同じように自分たちの業界、会社、一般の発想で、映画作りやスタッフを批判する人がいる。

先日からの戦場ジャーナリスト批判を見ていて、同じような愚かな意見が多く呆れた。ビートたけしという人はいつも分かりやすく、おもしろく、的を得た意見を言うと思っていたが、今回のジャーナリストを登山家に例えて「失敗だった」と批判するのも的外れだ。

ジャーナリストは登山家ではない。映画監督を証券マンに例えて論じられないのと同じ。先に上げた映画の仕事を自分たちの仕事の尺度で批判するのと同様の構図だ。給与や名誉以外の大切なものもある。映画人もギャラに見合うだけの仕事をしていたら、絶対に素晴らしい作品はできない。戦場ジャーナリストもきっと、僕らが想像しない何かを大切に仕事をしているはず。命を失うかもしれない。それでも危険地帯に赴き、情報発信をしようとする人たちだ。言われるまでもなく自分の責任で行動している。その仕事内容も詳しく知らない人たちが無神経にあれこれ批判する風潮。とても悲しい。




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読解力が低下した日本人。それはダマされやすくなるということ? [my opinion]

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読解力が低下した日本人。それはダマされやすくなるということ?

Facebook友達のお一人からコメントを頂いた。いつも鋭い意見をくれる方だ。

「長文読解ができない人がSNS時代になって増えた」

とのこと。確かにその通りだろう。思い出すことが多々ある。以前、Facebook記事である人の意見を紹介。その意見を批判する文章を書いた。なのに、それが僕の意見であると勘違いした男性がいて

「酷い!  監督の意見とは思えない!」

とコメントして来た。まさに、僕の意見じゃないのに「監督酷い」と怒っているのだ。記事内でどこが人の意見を紹介する部分で、どこが僕の意見か? 読み取ることができなかったのだ。読解力がない。あるいは記事の一部しか読んでいないために起こった誤解だ。

その「友達」は以前に会ったことがあり、とてもお世話になっていた。誤解を解くために詳しく解説を書きメッセージした。が、返事なし。怒っているのか? 読んでないのか? 反応ゼロ。その後、知らない内に「友達」から削除された。共通の友人に聞くと、

「彼はとても思い込みが強くて、よくトラブルを起こすんですよ。距離を置いて付き合った方がいいです」

読解力がないだけでなく、思い込みが強いとのことだった。もっと酷いケースもある。記事のタイトルを「原発問題に関心のないある女性のこと」にした。あるOL女性が全く原発問題のことに関心なく、反対デモをする人をバカにしている話を書いたのだが、こんなコメントが来た

「男性にも原発に関心のない人はいます!」

はあ? 記事を読めば、あるOL女性の話であることは分かる。「女性が関心ない」ではなく「ある女性」の話だ。女性が原発に関心なく、男性は関心あるという記事ではない。これは読解力以前。その人は記事を読まず、タイトルだけ見て「ある女性」と書いてあるのに「女性が原発に関心ない」という記事だと思い込み。「酷い! 許せない。抗議しよう。男性にも原発問題に関心の無い人はいる!」と思いコメントしたのだ。

以上の2人。思想が偏っているとか、ネット右翼という訳ではない。先の男性は思いのある人だったし、そのあとの方もたぶん「原発問題」に関心を持っていると思う。普通に話せば共感し合える部分はたくさんあるだろう。それが記事内容を誤解。批判して来た。意見が違うのならいいが、彼らは僕の書いた記事と違わない意見の持ち主だと思える。

にも関わらず、わざわざ時間を取り、抗議のコメントをしてくる。2番目の人にも詳しく解説したメッセージを送ったが反応はなかった。

「ダメだな。ちゃんと読まないと!」

と思う人。多いだろう。けど、そんな人は以外に多い。Twitterは短い文章。詳しいことは書けない。

「***(有名人)さん***差別発言****。これは許せない」

とかいうツイートが流れて来たとする。それを読んだ人「えー酷いなあ。許せない」とリツイート。或はその有名人のアカウントを探し、批判する。しかし、流れて来たツイートは本当に事実なのだろうか? 単なるデマ。その人を陥れるためのものかもしれない。

が、多くの人は確認を取ることなく、「酷い!許せない!」と一緒になって批判を始める。これも先の「読解力」がない人たちと同様だと思える。

「でも、真偽を確かめることはできないですよね?」

そう思うかもしれないが、できることがある。例えば、そのツイートをしたアカウントを確認する。日頃、どんなことをツイートしているか? フォロワー数を見る。フォローしている人を見る。

それだけでも、いろんなことが分かる。差別発言や特定の団体を攻撃するツイートを連発しているかもしれない。その人がフォローしている人も、偏った思想を持つ有名人であることが多い。その人をフォローしているのも同様。ある女性政治家。その手の人をよくフォローしている。彼女のアイコンが出たら、「なるほど!これはヤバい人」と思う。そんなツイートはリツートできない。特殊な人たちでなくても

「酷い!」「許せない」

とか人を誹謗中傷炎上を煽るようなものをツイートする人はいる。乗せられないように、注意した方がいい。読解力だけでなく、リテラシーも大事なのだ。様々な角度から確認。その情報は本当かどうか? 精査することが大事。僕の記事に文句をつけてくるくらいなら大きな問題ではないが、デマを信じて罪のない人を批判したり、ありもしないことを信じたりするのは悲しい。

どこかの国は「平和をより進めるための新しい法案」と言って「戦争が出来る国」になるための法案を採決した。が、その国の人たち、多くがそれに気付かず、

「総理よくやっているよな〜」「我が国は平和憲法があるから大丈夫だよ」

と呑気だと聞く。

「本当に平和のためか? 戦争のためじゃないのか?」

それを国民が考えれば、そんな法案を通した議員たちは次の選挙で落選するはず。でも、気付かない。情報を疑うこと。あらゆる角度から精査すること。いろんな情報をキャッチすること。今の時代は大切だと思える。

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物事を見抜く力+新しい情報。今の時代を生き抜くのに必要なのはこの2つ?! [my opinion]

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物事を見抜く力+新しい情報。今の時代を生き抜くのに必要なのはこの2つ?!

先日、あるバラエティ番組を見て????と感じて、久々にテレビを付けたまま仕事をしてみた。放送される内容は本当にどうでもいいことばかり。タレントが街を歩いて一般の人と交流する。タレントの若き日の話を聞く。若い女性たちが異性の嫌いな部分をスタジオで討論。人気のお店紹介。日本はこんなに素晴らしいと海外の人に賞賛させる。

恋、旅行、スポーツ。食べ物。ま、健康バラエティは多少、役に立つとは思うけど、これからの人生を生きて行く上で必要なものはなく、どこからもクレームが来ないネタで、題材をスタジオで安易に話し合うというスタイルが多い。

退屈しのぎに見る分にはいいし、テレビはタダ(本当は違うが)なので、嫌なら見なければいい。ただ、怖いのは以前からも言われている通り、

「長時間テレビを見ていると、考える力が失われて行く」

確かに…….と改めて感じた。テレビで放送されることで、全てを知った気になる。ニュース番組を見たことで日本の情勢が分かった気になる。でも、全てのニュースが報道される訳ではなく、局が選択したものを、ごく一部を放送しているだけなのだ。

当然、スポンサーである企業に都合の悪いニュースは自粛。大本営的な局は政府のマイナスイメージになることは放送しない。が、テレビをずっと見ていると、全てが放送されていると思ってしまうところがある。北朝鮮のテレビは自国に都合の悪いことを放送しないことで有名だが、日本のテレビもそれの拡大版のような報道になっている。ネットが普及してよりその思いを痛感する。

確かにテレビ新聞が報じないニュースも流れている。が、それらが真実ではないことも多い。「えーそんなバカな!」と思うことでも実は現実だったりする。

その真偽を見抜くには鋭い目。物事を見抜く力が必要。しかし、最近でこそ若者のテレビ離れが言われるが、今の大人=特に50代以上(僕も含む)はテレビッ子と言われるほど、1日何時間もテレビを見ていた世代。

おまけに「考える」より「覚える」ことが中心の教育を16年も受けて来ているので、与えられた情報をすぐ鵜呑みにして、特にテレビ、マスコミの情報をすぐ信じてしまい、浮かれたり、怒ったりしてしまう。そんな世代が何でもありのネットの世界に踏み込んでは、何が正しいか? 分からないで混乱するばかりかもしれない。

僕も偉そうなことは言えない。で、ある2人の人物の話をする。1人目は誰もが嫌っていると思ったら、さにあらず。2人目も誰もが嫌っていると持ったら....実は?という話だ。自分が事実を把握できてなかったか?を痛感した経験だ。1人目の人物。身の回りにいる友人知人は全員口を揃えていう。

「今の総理はダメ」

日本人のほとんどが同じ意見だと思っていた。しかし、ネットで情報を探ると「総理がんばれ!」という人たちもいる。最初はある種の人たちか? 雇われた応援団だと思っていたが、どうも真剣に応援。経済が活性化していると信じている人たちも、数多くいることが分かって来た。それらが政権を支えている。FacebookやTwitterをしていると、同じ趣味志向の人ばかりが集る。その中にいると誰もがあの人を嫌っていると思えたのだ。

友人たちがもう1人。嫌っている人がいる。だが、僕はもう、かなり前から、その人に興味を持ち情報を集めていた(といっても本を読む程度)。本当に噂通りの人なのか? 詳しい人に話を聞く。情報通から教えてもらう。すると、その政治家は世間で言われているような人ではないことが分かって来た。

では、なぜ、嫌われるのか? 「火のないところに煙は立たない」などと無責任なことをいう人もいるが、情報通の知人によると、大企業が集まり、敵対する政治家が後押し、膨大な金額を使ったネガティブ・キャンペーンが密かに行なわれたからだという。で、多くの国民から嫌われるようになった。

ネガティブ・キャンペーン。アメリカの大統領選では毎度行なわれる手法。相手候補の悪いところを、マイナス面を攻撃。それをコマーシャルにして放送したりもする。

「この候補はこんな失態をしている!」「この人は信頼できない!」

過去を穿り返し、事実を拡大解釈してでも宣伝する。それどころか裏では根拠のないこと、ねつ造したスキャンダルまで流して、相手候補を貶めようとする。その日本の政治家は同じことを裏でされた訳だ。

なぜ、彼は攻撃されたのか? 本当に酷いことをしたから?そうではなく、政敵からとても邪魔な存在だったからだ。巨額の資金を使い、貶めようというのは、相手にとって本当に危険な存在だったから。その相手とは誰か? 敵対するグループは何をしようとしているのか? その辺を知ると答えが分かる。もうひとつ、おかしなことがある。例えば友人にその政治家のことを聞く。

「**さんをどう思う?」

「大嫌い!」

「どんなことをしたから嫌いになったの?」

「え? うーーーーーーんーーー」

誰も答えられない。つまり、イメージだけ。何か悪いことをしているような感じ。顔が怖い。そんなことで嫌っている。なぜ、そんな印象を持つ人が多いのか? それがネガティブ・キャンペーンの効果。マスコミがことあるごとに、その政治家のマイナス部分をアピール。イメージの悪いことを報道する。怒った顔や怖い顔をあえて選んで報道する。そんな積み重ねで、友人たちだけでなく、多くの国民は「怖い」「嫌い」「イメージ悪い」という印象を刷り込まれてしまったようだ。

この手法は広告業界ではよく使われる。CMで「スッキリさわやか!」というイメージで飲料水を売り出したり、「体にいい。健康のため」というキャッチコピーで、そんな映像を使ったものをバンバン放送し、それを視聴者が繰り返し見れば、簡単にそれらイメージが刷り込まれてしまう。

体によくない製品でもイメージで信じてしまう。CM業界では当たり前の手法。その逆をやれば嫌われるイメージを浸透させることができる。それ以外で多くの人が揃って「嫌い!」という反応を示すことはまずない。

では、彼は何をしようとして敵対されたのか? その先にある目的とは何か? と考えて行くと、ある種の人たちがとても困ることだと分かって来る。しかし、その背景をテレビは報じない。一部のマスコミしか伝えない。だから国民は知らないまま。その背景を知れば、大きな変革が起こるかもしれない。

もう1歩進めて考えてみよう。例えば、いろんな事実。それを国民が知らないことで、得をする人たちがいる。今後も国民は考えることをせず、与えられることだけ(つまり、自分の仕事をしっかりやる)をして、テレビを見て「食べ物」や「恋」や「スポーツ」のことだけ考えていてくれればいい!と願っているのではないか? 映画「ゼイリブ」の世界だ。こう言って笑う人もいるだろう。

「そりゃ陰謀論だよ。好きだね〜。そんなことあり得ないよ」

だが、戦中の日本人もあれこれ国が流したウソ八百を信じて「進め一億火の玉だ」となった。オウム真理教の信者は尊師麻原を支持。地下鉄でサリンを撒いてしまった。同時に「サリン事件は陰謀。オウムはやっていない!」と信じていた信者もいた。どれも同じ構図。人は簡単に信じてしまい、先導されてしまうもの。今の時代に戦時中と似たようなことは行なわれていないと言えるだろうか?

あなたはテレビの情報を鵜呑みにしていないか? 考える力を駆使しているか? 昨夜のキャスターの言葉を自分の意見のように、友人に伝えていないか? ネットで「***が酷い」と流れると「それは許せない!」と一緒になって攻撃してはいないか?その情報は本当に事実なのか? 

それをまず考えること。ネット情報ならすぐに自身に降りかかえることはない。しかし、生活、仕事、政治、経済は自身の問題になってくる。間違った情報を信じると、我が身に被害が及ぶ。情報を疑うことが大事だ。そして裏を考える。他の情報と比較する。

僕も昔はテレビ新聞を信用していた。が、「朝日のあたる家」で原発問題を取材して、電力会社の実態を知り驚愕した。今では多くの人が知っているが、原価総括方式なんてことを自由競争社会でやっているとは想像もしなかった。しかし、テレビの最大手スポンサーである会社の問題。事故が起きるまでは、どこも指摘しなかったのだ。

肝心な情報が隠され、都合のい情報だけ流されると、人はそれを信じてしまう。でも、これからの時代に大切なのは、多くの情報に触れ、それも新しい情報に触れ、そこから真実を見抜くこと。考える力が大切だと感じている。



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【40代を過ぎた頃から感性のアンテナが錆びて行くのを痛感?】 [my opinion]

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【40代を過ぎた頃から感性のアンテナが錆びて行くのを痛感?】

20代から付き合いのある友人たち。或いは学生時代からの友人から、いろいろと影響を受けた。最近、また読み直している「ワイルド7」はクラスメートが教えてくれた。ビートルズも確かクラスメート。ローリングストーンズは高校時代の友人。

泉谷しげるも、矢沢永吉も、渡辺美里も友人から教えられた。それらを僕が聴いていると、また別の友人がそれを聴き出すということがあり。そんなことが友人関係を育てて行ったように思える。カルチャーだけではない。CDプレイヤーを一番の買ったのは僕で、友人たちも負けじと購入。LDも競走だった。

映画も「ヒッチコックのリバイバルが凄い!」と誰かがいうと、友人たちはこぞって見に行った。「大林宣彦監督の映画が面白い!」となると、友人たちは知らない間にチェックしていた。そんな競走がいい刺激となり、新しいものを観よう。新しい情報を仕入れようという行動に繋がった。

が、ある後輩はこういう。「太田さんの友人たちって主体性がないんですね?」分かっていない。後輩はブームになるとすぐに追いかける日本人気質を重ねたのだろうが、友人たちはブームには関係なく、「面白い!」「凄い!」と思ったらメジャーでもマイナーでもすぐに受入れ、それを確認する。流行を先取りして自慢していた層とは違う。

むしろ、その後輩は新しいものが出て来ても、批判して、受け入れようとはせず。若いのにCDよりもテープ。新作よりも白黒映画にこだわり。同じ映画を繰り返し見ていた。若いのに「新しいものを受け入れるのは安易」と批判し、古世界に居続けることに固執。そして結局、追いかけていた夢を果たせず,会社員となった。

あとから考えると、新しいものを受け入れる能力がない人はやはりクリエイティブな仕事はできない。その意味で、僕はまわりの友人が面白いもの、新しいものをいろいろ探して来て教えてくれたので、大いに助けられた。

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だが、パソコンだけはかなり遅いスタートとなった。多くの友人がパソコンを使いこなしている時期にようやく、メールというものを知り、その威力を思い知る。生活スタイルまで変えてしまうものだった。それまで友人と連絡するときは、電話だけ。携帯が普及するまでは自宅の電話に連絡。本人を呼んでもらう。それも時間帯を気にして。

なのにメールはいつでもOK。おまけに瞬時に送れる。相手が忙しいか?どうか?心配する必要もないし。文章でやり取りするので保存が効き。待ち合わせの場所を忘れたりすることもない。おまけに、ネットでいろんな情報をゲットできる。「ぴあ」を観なくても映画上映情報も分かる。新聞を読まなくてもニュースが読める。ブログで自分の思いを多くの人に伝えられる。動画までOK。

僕より早くパソコンを始めていた友人たちは、そんな進んだ環境で生活していた訳で、自分がいかに忘れられた時代を生きていたか?を思い知った。テレビでは伝えない情報までネットは伝えてくれる。同じ、現代社会に生きていながら、ネットをやっているのと、いないのでは別世界に生きているようなものだと思える。

が、そこまでだった。90年代にパソコン生活を始めてから、友人たちから****が凄い!という情報が途絶える。年齢的なものだろう。友人たちは40代となった。新しいものをどんどん吸収した20代とは違い、未知なるものを受け入れるのを拒否するようになってきた。ツイッターが台頭しても誰もやらないFacebookも同様。もちろん、数人はやっているのだけど、多くの友人は「別のやらなくても困らない」という。

偉そうには言えない。僕もそれらを始めるのに時間がかかった。また、把握するにも月日が必要だった。自身でも感じる。脳の老化で新しいものを受け入れるのが困難になっている。でも、映画という仕事をするなら、それではいけない。話題の海外ドラマも観た。


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ふと気づくと同世代の友人たちは、その辺をほとんど見ていない。「24」「プリズンブレイク」「ヒーローズ」「ロスト」「ウォーキング・デッド」ここ10年アメリカのテレビドラマが凄いパワーで、これまでの歴史を塗り替える展開をしているが、同世代で見ている友人はほぼいない。話ができるのは若い後輩たちだけ。

でも、そこで謎が解けて来た。子供頃、大人と話をすると、古い映画やドラマの話しかせず。新しい映画のことを訊いても、「あんなものは駄目だ」「昔の***の焼き直しだ」としか言わない。映画の仕事をするようになってからも、先輩たちは新しい映画には批判的で「昔の映画はよかった....」と繰り返す。撮影でも古い方法論を振り回し。僕がハリウッド方式で撮影すると「邪道だ」「無駄が多い」と批判した。

つまり、人は歳を取ると新しいものが受け入れられなくなり、それどころか新しいものを嫌悪し、批判しがちということ。文化面だけでなく、技術でも同じ。友人で今もパソコンなんて必要ないという奴もいる。携帯もガラケーで十分という。それはそれで個人の哲学とも思えるが、時代から置き去りにされることは確実だ。

それで生きて行ける環境ならいいが、情報や文化というのは時代の反映であり、それらから遠ざかると、時代が向かう方向が分からなくなり遭難(?)するだろう。しかし、年齢の問題。僕自身、感性のアンテナは錆び付いていて、昔のような感度はない。

気をつけないと、先輩たちのように、古い方法論を振り回し、「これが王道だ。新しいものは邪道だ」と自分の感受性が鈍くなっていることに気づかず。自分を正当化するかもしれない。そのときは時代から置いて行かれ、自分の作品が通用しなくなるということ。これからは、それが最も厳しい戦いとなるのかもしれない。

これは映画関係者でなくても、会社員でも、商売でも、喫茶店でも、弁当屋でも生き延びて行くという意味では同じだと思う。感性のアンテナが錆びないような努力を続けること大事だと思う。2015年3月





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【詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している】 [my opinion]

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【詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している】

Facebookやブログをやっていると、いろんな人からコメントやメッセージが来る。前も書いたが、Facebookの場合。友達が2000人を超えたあたりから、おかしなコメントや意味不明の攻撃が出て来た。これは2000人いれば、何人かのおかしな人がいるということなのだろう。

 記事を読まずに、タイトルだけ見て、反論をしてくる人なんかもいる。以前「原発はすでに収束したというある女性」というタイトルで記事を書くと「男性だって、そう思っている人は大勢います。女性蔑視です!」というコメントが来た。

タイトルをよく読めば分かるが「ある女性」と書いてあるように、ある個人についての記事であり、女性の全体が、或いは多くの女性が「原発はすでに収束している」と思っている記事ではない。さらに記事を読めば、その女性についての詳しい記述もある。それを読まずに、タイトルの意味もしっかりと考えず、早とちり「男性でもそんな人は多い!」と批判してきたのだ。

記事を読んでも内容を把握せず、これまた勘違いして反論して来る人もいる。先日アップした記事「人の能力&思考を知る方法。映画の感想を聞いてみるとよく分かる?!」というタイトルで、映画の感想を聞けば、その人の洞察力や考え方が良く分かるという話を書いた。それによって、その人が問題を起こす人か? ものごとをちゃんと見てる人か?を判断できる。「突っ込みどころかが多い」とか「リアリティがない」というような映画評をする人は問題があるという内容だ。なのに、こんなコメントが来た。

「客が上から物言うは道理。観せてやってる訳ではない限り…興行は辛抱が要る生業…プロでも無い奴は論ずるな!は老婆心ながら尊大な印象」「自分は監督だ。文句をいうなという奢りを感じました。自重された方がいいですよ。それでは人を感動させる映画など作れませんよ!」

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はあ? 何でそうなるの? コメントをくれた人たち。あきらかに勘違いしている。記事で指摘したのは一般の映画に対する批評から、その人の洞察力を探るというものであり。映画を批判はいけないというものではない。まして、「文句をいうな」てな記述はしていないし、思ってもいない。僕が書いたことが全く伝わっていない。つまり、コメントをくれた人は「この監督は自分がプロであるので、一般の人が映画を批評することに否定的。客が上からものを言うのは当然のこと。それを批判するあなたは尊大であり、傲慢ですよ」と僕に注意を促しているのだ。

この記事です=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-11-18-11
(試しに読んでみてほしい。「プロでない者は論じなる」というのが趣旨ではないこと。すぐに分かる)

んーー全く、書いてもいない、思ってもいないことを「あなたのために、注意しておきます」てなニアンスでコメントしてきた訳だ。そもそも、僕は批評は自由だと思っている。誰が何をいおうと構わない。ただ、その映画の本当に意味やテーマを見抜けず、上っ面だけで判断している人が多い。さらには、深い部分を理解できていないのに、本質を分からないことに気づかず。当て外れな批判をして悦に浸る映画ファンというのも多い。結局、その種の人は洞察力や物事を把握する力が低いのだ。

なので、映画の感想を聞けば、その種の能力が分かるという記事。「批判するな」とか「プロでないものは論じるな」とは書いても、思ってもいない。いってもいないことをコメント主は「尊大だ。傲慢だ」と批判する。つまり、そのコメントをくれた人もまた、見た映画を勘違いな批判する洞察力のない人たちと同じで、文章を正確に把握できず、勘違いな批判コメントをしてきた訳である。

何とも分かりづらく面倒くさい説明をしたが、そんなふうに書いてもいないことを「親切心」を持って注意してくる方もいる。コメントを読むと決して悪意はない。とても真面目に僕のことを心配して「映画監督をやってる人なのに、これではいけない。注意して上げないと!」というニアンスを感じる。以前、その種の人に誤解があることを返信したことがあるのだが、いずれからも返事はなく。或いはさらなる誤解を呼び、より強い勘違いな批判が返って来た。

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それ以降は無視している。Facebookで繰り返し批判コメントしてくるようなら「友達」から削除する。が、この種の人たちは一体、どんな生活をし、どんな思考をしているのか?興味がある。あるとき、調べてみたのだが、決して頭のおかしい人たちではなく、通常の生活をしていた。決まった仕事を持ち、まじめに働いている。性格も温厚。

ただ、熱いところがあり、思い込んだらまっしぐら!な性格。言い出したら聞かない。「この監督は分かってない。俺が注意して上げないと!」とコメントをしてきたようだ。つまり、「自分は正しい」と信じ込んでいる。憎めないが厄介。関わると、時間も労力もかなり取られる。

僕が現在、勉強中の「ボーダーライン」とは違うし、病気ではない。そして、近い部分を持った人は多い。Facebook上でも人が書いた文章を読むと「何、偉そうに!」とか「そうとは限らないだろう?』と思う人も多いはずだ。が、その多くはわざわざ批判のコメントを書かない。それを書くという「労力」はいったいどこから来るのか? 正義感とかまじめさ。或いは「俺がいって上げないと!」という義務感や「思いやり」(?)だろう。

そんな人たちから頻繁にコメントやダイレクトメッセージが来るので、ときどきネットはもう止めようか?と思うこともある。当て外れの文句を言われるために記事を書くことに意味があるのか?と思う。が、実は、僕の記事を読み、感動したり、納得してくれたりする人も多いこと。あるとき知った。記事を楽しみにしてくれている人も数多くいるのだ。

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ただ、その人たちは賛同のコメントはくれない。「この意見は凄くよく分かる。賛同したい」「んーなるほどなー気付かなかった!」と思い「次回も楽しみだ!」と完結する。だから、コメントはしない。それに対して先のようなタイプの人は「一言いってやろう」「この人分かってないわ」と時間を費やし、労力をかけてコメントしてくる。

なので、僕の方は批判や中傷コメントばかりが目につく。けど、実はそうではない。サイレント・マジョリティがいて、多くの支持者がいること。以前に気づいたのだが、その話を最後にする。「もう、Facebookは止め!」と思ったとき、一通のコメントをもらった。

「いつも記事を楽しみにしています。監督の文章には気づかなかった指摘や情報があり。毎回、なるほどと思います。でも、今までコメントしたことはありません。が、Facebookをやめるかも?との記事を読み残念です。いろいろご事情もあり、心ない批判も多いことも聞いております。続けてくださいとは言えませんが、またFacebookを再開されること楽しみに、お待ちしています」

もう、何年か前になるが、そんなコメントをもらい、あーそういう人もいるのだと思った。人は見えるものに囚われ、悩んだり、傷ついたり、絶望したりするけど、実は多くの声なき声が応援、支持してくれていて、批判否定してくるのは極々一部の人たちでしかないこと。気づいた。それから「友達」はさらに1000人増えて3000人近くなる。これは僕だけの話ではないだろう。きっとあなたも同じ。多くの人があなたを見つめている。声は出さないがあなたを応援している。だから、詰まらぬ批判や中傷は受け流そう。そんなふうに思えている。


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