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日本はもはや経済大国ではなく、後進国になったことを痛感? [my opinion]

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日本はもはや経済大国ではなく、後進国になったことを痛感?

昨年の夏。映画祭でロスアンゼルスに行き、痛切に感じた。まず、食事が高い! 普通に食べても2000円くらいかかってしまう(1ドル〜130円)。もちろんピンキリで安いところもある。が、観光客相手でない店でもそれなりの値段。僕が留学した当時(1985年=1ドル250円くらい)もそんな感じだった。が、バブル時代(1980年代後半)に入り、円高が進んでからは(1ドル=100円)、東京より安価でいろんなものが買え、生活しやすい街になった。

映画も当時、日本だとロードショー料金が大人1800円。アメリカでは7〜8ドルだった。半額以下で映画が観れた。それが今回は日本より高め。映画だけでなく、あらゆるものが割高だった。が、考えてみると、僕が留学していたのはもう29年前だ。30年近くも経てば値段は上がる。逆にいうと、日本が30年前と変わらない値段ということだ。

映画は1800円のままだし(これは上げて欲しくないが)1000円もあれば十分に豪華なランチが食べられる。いや、サラリーマンの友人はランチはワンコイン(500円)という。LAだとその額ではハンバーガーも食べられない。

なのでこの数年、LAに行った時はマーケットで買い出してきてホテルで食べていた。レストランだと高いが素材で買えばそれなり値段。ビールなら日本よりずっと安い。でも、なぜ、アメリカの食事は高いのか? 考えればすぐに分かる。人件費が高いから。対して日本は人件費を抑えるから安くできる。ブラック企業と同様に、日本人は安い賃金で長時間働かされているということだ。

それは何か?というと後進国ということ。開発途上国というか? 安い労働力で安いものを売る。戦後日本がしてきたこと。それを韓国や中国が後追いしていた。その時代に日本は戻っているのだ。が、日本人の気分は今もバブル!

「日本は経済大国だ。一流国家だ!」

と僕らの世代の多くは思っている。「韓国に負ける訳がない!」という変なプライドがある友人もいる。だが、時代は変わったのだ。

LAでも昔はどこに行ってもメイド・イン・ジャパンだらけ。テレビ、ビデオ、ラジカセ、ウォークマン。でも、今回は韓国製とアップルばかり。LAエアーポートの大型テレビもSONYではなく、LGー韓国製ーだ。スマホはアップル。車だけは相変わらず日本車が多かったが...。電気製品ではすでに世界シェアは韓国に追い抜かれている。留学時代、日本のテレビはアメリアとの貿易赤字報道が多かった。

「日本から買うものが多いのに、アメリカの物は買ってもらえない!」

とアメリカが不満を爆発。デトロイトでは日本車を壊すデモまであった。が、今、アメリカが頭を抱えているのは、中国に対する貿易赤字。日本との貿易赤字はそれに比べると小さな額なのだ。そう考えていて思い出したのは、日本への観光客がこの数年、急激に増えていること。

「日本は人気あるし、世界に愛されているんだよ!」

友人はそういうが、実態は違う。物が安いからだ。昔、僕らが物価が安いからと韓国旅行をしたように、日本は安いから多くが来て爆買いしてくれる。1980年代後半にNYのティファニーに日本人観光客が団体で押しかけたのと同じ。LAのロデオ・ドライブも日本人ばかりだった。それが今ではLAへの日本人観光客が激減。リトル東京も多くの店が締めている。僕が留学時代にはあった観光客向けの店はほとんど潰れていた。

逆にリトル東京に店を出すのは韓国人オーナー。つまり、韓国からの観光客がたくさん来るということだ。沖縄取材でも思い知った。ホテルに泊まる多くが韓国、中国、台湾からの観光客。国際通りを歩いても同じ。アジアの国が経済的に余裕ができてバンバン旅行しているということだ。

いずれにしても、日本は物価の安い国というのは間違いない。安いのは庶民には嬉しいが、それは経済大国ではなく、貧乏国という証。その現実がありながら、多くの日本人。特に僕と同じ世代は今も

「アジアでナンバー1。世界の経済大国だ!」

と思い込んでいる。テレビを見れば

「日本人はこんなに凄い。世界で愛されている!」

という番組がやたらと多い。それも現実から目を背けさせるためにプロパガンダに見えてしまう。ドイツが敗戦で経済も気持ちを落ち込んでいる時に、ゲルマン民族の優位性を訴えたヒトラーが支持されたように、国はダメになると、そんなことでプライドを保とうとするのだろう。太平洋戦争末期も軍は

「気力で勝てる!」

というような方針でアメリカ軍に向かい、次々に玉砕していった。この玉砕という言葉も同じ。「全滅」と言わずに「玉砕」と呼ばせた。

海外にも行かない。テレビばかり見ている。そんな人たちは時代の推移に気づかず、すでに日本が経済大国でないことも知らず、安い賃金で、長時間労働させられているということなのか? ただ、こうしていつの時代も国は衰退し、滅びていくのだろう。

その日本をバブルに戻すではなく、戦前に戻そうとしている人たちがいる。時代錯誤甚だしい。でも、テレビや新聞しか見ない多くの人はこう思う。

「日本は経済大国だ。優秀な民族だ。総理頑張ってほしいなあ〜」

そんな風に願ってしまうのだろう。


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安易にTwitter情報を信じていはいけない。と思っていた僕がまんまと乗せられた昨年の件? [my opinion]

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安易にTwitter情報を信じていはいけない。と思っていた僕がまんまと乗せられた昨年の件?

昨年の内に書こうとして書けなかったこと。Twitterを見ていると「モーニングショー」がローラ・バッシングとも言える放送をしているとの声多数。それらによると番組のタイトルが

「ローラが政治的発言!」

そこからして酷い。辺野古の海を守りたいと、ホワイトハウスへの署名をしようというのが彼女の意図。それが「政治的発言」か? 美しい海を守りたいは自然を守ろうという発想。政治的発言とは思えない。次に紹介されていたのが、市民の声。渋谷あたりの若い女の子3人がローラのコメントに対して「怖い」と発言。(動画)さらに、スタジオのパネルには

「CM降板という怖れは?」

との文章。「芸能人が辺野古問題に反対したらバッシングされるぞ。仕事を失うぞ」という警告であり、バッシングを番組が行なっているという指摘だと、それらツイートは伝える。

同じ局で放送されるニュース番組を十数年見て来た僕だが、古舘さんが降板してから、ほとんど見ていない。完全に政権批判のない報道になっている。そんな中「モーニング」は「そもそも総研」等、政権の問題を指摘するものが多く、毎日録画して見ていた。が、少し前から「そもそも」で政治ネタが扱われなくなり、心配していたが、また、最近は片山さつき問題を取り上げる等、頑張っていた。

なのに、ローラ問題の扱いが酷い! 完全に他局と同じ政府寄りの論調に転じたのか? と怒り心頭!!!!! ん? でも、待てよ。何事も特定の情報だけで判断してはいけない。以前も「報道ステ」の「都知事選で舛添に有利。細川に辛辣」「不公平な報道」と多くがバッシングしたものがあったが、その報道を録画でみると、むしろ細川を応援している編集だった。多くの視聴者が勘違いしていたのである。

デマに乗せられて「酷い」「許せない」と一緒になって怒り、その相手を攻撃する人がいる。単純に乗せられているだけであり、どんな情報でも安易に信じていはいけない。裏を取る。別の角度の情報を下がる。何より、それ自体を確認することが大事。それを思い出し、録画した「モーニング」を見て、唖然。

結論から言うと、あの放送はローラ応援。支持である。ツイッターで言われているのと真逆だ。検証しよう。まず、タイトル。「ローラが政治的発言?」これは「芸能人は政治に口出しするな」と言う二アンスも感じるが、視聴者に目を向けさせるためのキャッチだ。「モー」は報道ではない。情報番組。その手の番組では使う手だ。次にローラ発言を「怖い」と言う女の子の3人組。でも、別の発言も。

「ローラの発言で辺野古工事に興味を持つ人も出てくるかも」

そんなインタビューもあった。バランスを取っている。そしてスタジオのパネル。「CM降板の心配」これだけみると親切のようで、間接的に脅しをしているように見えるが、そのあとの高木美保さんの意見紹介。

そして玉川さんの意見。2人共に熱烈ローラ支持。賞賛。この手の番組で、番組としての意見は司会者ではなくコメンテーターが伝える。他局で芸人のコメンテーターが総理擁護発言をよくするが、その番組の意見がそれなのだ。同じく「モー」の主張はローラ支持なのである。

が、一方的に応援するのではなく、厳しい側面も伝える。批判する市民の声も伝える。でも、最後にレギュラーの2人共に応援コメントをしたところに本当に伝えたい意図がそこにあることが分かった。その放送の一部を切り取り、ツイッターで伝える。編集された動画で紹介する。そのことでローラに対して悪意がある番組に見えてしまう。

映像を仕事をする僕はその手法をよく知っている。にも関わらず、そのツイートに乗せられ激怒していた。だが、頭に来る発言。おかしな情報。あれ?と思った時は、必ず裏を取ったり、別角度から調べる。何よりそれ自体を確認すること大切なことを改めて思い知った。録画しているのに、番組自体を見ずに怒っていた自分が情けない。報道ばかりではない。

「Aさんがあなたのこと悪く言っていたよ。言うなと言われたんだけど。あなたが可愛そうだから....」

なんて親切な振りして言ってくる人がいる。それを鵜呑みにして「Aさんって酷い!」と思っていたら、それを言いに来た人がAさんを貶めようとしての行動だった...なんてことはよくある。以前に何度も書いた境界性人格障害の患者も同じ。

「Bさんに酷いことをされた!もう、死にたい....」

と周りに言って回り同情を集める。それを聞いた人たちがBさんを攻撃。だが、それはBさんを陥れ、困らせようとしての行動。境界性人格障害はそんなことをしてしまう病気。(詳しくは「朝日のあたる家」日記にその章があります)それを意図的にするのが政治の世界。いや、ご近所付き合いでもよくあることだろう。また、そんな噂やデマをすぐに信じる人も多い。

もしかしたら、「モー」批判のツイートを出した人は本当に「酷い!」と思ったのかもしれない。が、それなら見る力が不足している。一部だけを見て「ローラ、バッシングだ」と決めつけている。しかし、誤解されそうな部分だけを繋ぎ合せて発信しているところを見ると意図的なものも感じる。いずれにしても、人の噂やツイートを安易に信じてはいけないと言うこと。改めて感じた次第だ。


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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化? [my opinion]

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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化?

深夜に仕事を終了すると、毎晩amazonプライムか、Netflix。「24」を再見した後は新しいドラマを見るべく、あれこれ見ている。どうしても歳を取ると、新しいものが受け入れられなくなり、若い頃見たものが懐かしく惹かれる。僕も懐かしいドラマを見がち。それはそれで悪いことではないが、脳が老化している証しでもあり、過去の概念やパターンが受け入れやすいので....という側面もある。

おじさん達がプロ野球を見るのもそれだろう。子供の頃に覚えたルール。好きだったチーム。その二つがあれば楽しめる。過去になかった概念を壊すルールができたりしない。言い方はよくないが脳が老化したおじさん達でも、努力なしに楽しめるのが野球である。それはそれで必要であり、僕も子供の頃に見たアニメやドラマをamazonプライムで見つけると、つい見てしまう。

ただ、映画製作というのは時代の反映が大事。過去のルールや方法論で作っていると、受け入れられない。僕が20歳前後。1980年代前半。日本映画は本当に詰まらなかった。タダでも見たくないものばかり。今考えるとそれは、当時50代を超えた監督たちが、彼らが若い頃の価値観や感覚で新作映画を作っていたからだろう。

代表的なのは「嵐を呼ぶ男」1960年代に石原裕次郎で大ヒットした映画。それを1980年代にマッチ主演でリメイクした。過去の成功をもう一度、それを若い人気のアイドルを使って繰り返す。そこまでは理解はするが、監督が裕次郎版と同じ人。若い新鋭の監督が撮るなら分かるが、何じゃそれ!と思ったものだ。

今も政府は不況というと公共工事というが、それも昭和40年代の発想。なぜ、映画会社も政府も上の人たちって時代を読めないのだろう? 過去の方法論を繰り返すだけなのか?それは先に書いた通り、歳を取ると脳が老化して、新しいものを受け入れられない。過去の習慣やルールに縛られて、新しい時代に対応できない。

でも、これまでは時代の変化はそんなに大きくなかった。古い方法論でもそこそも通用したと思う。その古い方法論にプラスαすれば通用したりもした。価値観も過去の延長上にあった。それが来るべき新時代。これからの時代はもうそれではダメだと思えている。TOYOTAとソフトバンクの提携は車社会は一変させてしまうだろう。

世界の動きを見ていても、戦後以来の大激変が間も無く訪れることを感じる。そんな中で映画屋は何を作り、何を掲げて、何を主張していくべきなのか? 娯楽映画だってそれが必要。過去のスタイルを踏襲しても、何も伝わらない。と、長々書いてしまったが、そんな訳で新しいドラマも見るようにしている。

この数日は「ストレンジャー・シングス」スピルバーグSFドラマ。最初は全く共感できず、ギブアップか?と思えたが、3話を超えてようやく面白くなってきた。現在5話。まだウイルは見つかっていない。超能力少女が興味深い。今夜も深夜に続きを見る。



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状況把握力とは何か?③ アメリカの危険なエリア、探検に行くという日本人たち。 [my opinion]

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状況把握力とは何か?③ アメリカの危険なエリア、探検に行くという日本人たち。

この能力。今の時代はとても大切だと思う。状況を把握し、問題点を見つけ、どう解決して前へ進むか?を考えるために必要な力。この能力に欠けていると、無意味なことに努力して、いつまでも問題が解決しないということになる。

しかし、日本の教育ではそれを育て育むためのものがなかった。1人1人は考える必要はない。状況把握はこちらでやる。その上で指示されたことを的確にやればいいと言う教育。その能力を選抜するのが、日本のシステムなのだ。

事実、義務教育の学科のほとんどは暗記が中心。あとは、与えられた公式に従って数式を解くような勉強。自分から問題点を探し、原因は何であるか?を探る授業はない。そのためだと思うのだが、状況把握力が著しく低い大人が多い。自分でものを考えない。誰かに言われたことしかできない。

子供に対しても「勉強しないさい」としか言えない。今の時代を把握すれば、与えられた勉強だけしていては、子供達が大人になった時に困るのは分かりそうなのだが、何をすべきか大人たちは指導できない。それは現状を把握できないから。なぜ、把握できないか? その種の教育を受けていないからだ。

学校を出て仕事を始めても、会社で上から言われたことをするだけ。自発的に何かを考えて、仕事をする機会は少ない。ただ、自営業の場合は求められる。あるいは、経営者。でも、大手はそれまでの流れに乗っていれば、今すぐ大きな問題が起きるわけではないので、能力のない2代目、3代目でも何とかなる。

しかし、大手でさえも間も無く訪れるであろう大激震を前には、その能力無くしては乗り切れないと思える。それはまた別の機会に語るが、多くの日本人は教育されていないために状況把握力が低い。例えば、海外旅行。アメリカのカフェで、椅子に荷物を置いて料理を取りに行く日本人が多い。

日本ではそれでいい。が、アメリカは犯罪が多い。荷物を置いて離れるなんてとんでもない。「だって、知らなかったんだ」というかもしれない。でも、周りを見れば、そんなことをしているアメリカ人はいない。よく見れば怪しい客だっている。貧しい人も街には多い。知らないだけでなく、そんな状況を把握する力に欠けているのだと思う。

LA留学中。後から来た若い日本人が危ないという地区にグループで探検に行くツアーを計画した。アホだ。危ない地区というのは本当に危ない。殺されるかもしれない。ナイフで脅されたり、銃で撃たれたりというのは映画の中の出来事。現実に起こると思っていない。それは勇気ではなく、サファリパークでライオンがいるエリアで、バスから降りるようなものだ。

そういう僕もアホの1人で、近くまで何度か行った。危険なエリアは近づくだけで、普通ではないものを感じる。五感を研ぎ澄ませていれば、これ以上進んじゃいけない!と感じる。が、その日本人グループはカメラを持っていき、浮浪者の撮影までしたという。動物園ではない。怒った浮浪者に追いかけられたというが、当然のことだ。

アメリカと日本は違うこと。考えれば分かるのに、同じだと考える。いや、考えないで日本スタイルで行くからトラブルになる。荷物を盗まれる。怖い目に遭う。

テレビで内閣支持率が高いと報道すれば、「へーーあんな総理でも支持されるんだね」と信じてしまう。「福島の汚染水はコントロールされている」と聞くと「それは良かった」と思う。「オリンピックで福島を励ます」と言われると「賛成だな」という。日本の状況、福島の状態を考えれば、そんなアホなということを疑わない。もちろん、マスコミが巧妙な情報操作をしていることはあるが、まんまと騙される人もいる。

それも状況把握能力の欠如が関係しているのではないか? 小さなこと。些細な声。自分が見た現実。そこから本質を想像することはできる。でないと、まやかしに踊らされて、時代に置き去りされてしまう。あるいは、ありもしない敵が攻めてくると、脅されて、まんまと利用される。今はそんな時代だ。大切なのは状況を把握する力だと思える。



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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている [my opinion]

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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている。

「子供たちに伝える大切なこと」が当初、僕の映画のテーマだった。が、その内、「子供たちが幸せになれないのは、親がバカだから」と気づき、テーマは「親子に伝える大切なこと」になった。

それからも何本か映画を撮り、「大切なこと」=「幸せ」と思えて「幸せって何だろう?」ということにも展開した。「向日葵の丘」で常盤貴子さん演じる主人公・貴子はいう。

「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」

それはお金持ちになることでも、有名になることでもなく、自分を応援してくれる友達がいる。想い出を語り合うことができる。そんな仲間がいることも幸せの一つではないか?というテーマだった。そのテーマを引き継いだのが「明日にかける橋」だ。

幸せを守るため、取り戻すためにはどうすればいいのか? そんなテーマで物語を作った。詰まらぬ噂に振り回される人がいる。金持ちに騙される人たちがいる。無神経に誹謗中傷する人がいる。世間に振り回され、人目を気にして大切なことを見失う人たちがいる。そんな中で人はどう生きるべきか? 何を信じるべきか? どう行動するべきなのか?を物語の中で伝えた。

そんな映画を作りながら思うことがある。僕だけでなく多くの映画監督は厳しい状況の中で仕事をしている。監督料は安い。映画だけで食って行けるのは日本で一桁しかいない。1本の映画が完成するまでに最低1年はかかる。

例えばギャラは100万円というと「へーー凄い!」と思う人もいるが、1年は拘束されるので1ヶ月で10万円以下になる。仕事量も多い。ブラック企業もビックリ。土日、祝日はもちろん。Xマスも、盆暮れも働く。今年は大晦日、三賀日も仕事だ。それでも大卒の初任給を稼ぐことはできない。映画の専門学校に行くと、よく聞かれる。

「監督で食って行けますか? 年収はどのくらいですか?」

正直にいうと、映画監督志望の生徒たちが皆、学校を辞めるのではないか?と思うので正直に言えない。それと、もし、金儲けをしたいなら映画監督ではなく、別の仕事をした方がいい。安定した生活をしたければ公務員になった方がいい。そういうと、生徒たちはいう。

「生活が安定しないのは嫌だなあ。でも、監督業もしたいし〜」

映画作りは戦いだ。特に監督業は世の中との戦い。時代との格闘。安定を求めること自体が理解できないが、そんな若い人は多い。ついでに言うなら、大手企業に就職しても今の時代は安定するとは限らない。倒産、リストラ。正社員になれない人も多い。現内閣のお陰で労働力は使い捨て。公務員だって近い将来、大リストラが実施されるだろう。

そんな時代の中で、安定を求める方がおかしなもの。日本はバブル崩壊で経済成長が終わり、あとは没落だけ。それが国の宿命。高く飛び上がるが、やがて落ちて行く。イギリスも、アメリカも同じ。そして2度と飛び上がることはない。生き物と同じ。大人になり、バリバリ働くが、やがて年老いて死に向かう。

もはや安定は保障されない。なら、好きでもない仕事をするよりは好きな仕事をする方がいいだろう。好きなことなら長時間働いても苦にならない。嫌な仕事をするから、長時間働くと苦になる。以前はよく言われた。

「映画なんて不安定な仕事せずに、就職したら?」

でも、今はほとんどの会社が不安定。会社員の友人たちには万が一に倒産したらどうする?と考えて、腕に技術を付けるべく会社帰りに専門スクールに通う奴もいる。そんな時代になったので、あれこれ言われなくなった。それと確かに映画業界の人件費は安い。だが、意味ある仕事がある。

原発事故の悲しみを伝えるために「朝日のあたる家」を作った。そして今回は「沖縄戦とは何だったか?」を伝えるドキュメンタリー。多くの人が共感し、賛同してくれる作品を作ることは意味を感じる。気がつくと多くの人が応援してくれている。もちろん批判し、誹謗中傷を続ける人もいるが、極少数だ。

本当に多くの人が声援をくれる。映画を作ることで喜ばれる。そんな仕事ができること。これもひとつの幸せではないだろうか? 例えブラック企業を超える労働時間で、収入が低くても、1人で7人分の仕事をしても、映画を観て感動したり、涙したり、考えたり、希望を持てたり、故郷の美しさを再発見してもらえること。大切なことだ。

映画だけではない。人に喜んでもらう仕事。正しい情報を伝えること。リラックスしてもらうこと。笑ってもらうこと。健康になってもらうこと。新しい知識を学んでもらうこと。誰かがハッピーになる仕事。それは収入を超えて、その仕事ができる人は、ひとつの幸せなのではないか?と思えている。



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状況把握能力とは何か?②=その力が低い人が問題を勃発させる [my opinion]

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会社員なのに、バイト気分で会社で仕事をすると問題が起きる。バイトなら「すみません。明日休んでいいですか?」と気軽に言えるが、会社ならよほどの理由がないと休むことはできない。バイトは単なる時間給の労働力だが、会社員は保険や年金。様々な恩恵があり、社員を優遇している。退職金もある。それをいつでも辞められるバイトと同じに考えていてはマズイ。

まあ、そんな人は極々少数だろうが、会社で働いていると言う意識を持ち、自分の立場を把握すれば、誰でも分かることだ。では、これはどうか? 映画撮影にボランティアで行った。撮影現場を見られることは映画ファンには嬉しいこと。俳優の芝居を生で観れたりもする。荷物を運んだり、駐車場の整理をしたりの仕事だが、なかなか出来ない経験ができる。しかし、後になっても文句を言う人が必ず出る。

「何日も働いたのに1円もくれなかった」「記念品ももらえなかった」「招待券ももらえなかった」「馬鹿を見た」「利用された」

そんなことをあちこちで言って回る。この人もまた状況把握能力が低いと言える。まず、ボランティア。それは時給も給与ももらえない仕事。それを分かって行っているのに「1円もくれなかった」と言うのはおかしい。その代わりに日頃会えない有名俳優等にも会えるし、撮影現場も体験できるのだ。もし、お金が欲しいならアルバイトをすべき。

次に記念品や招待券について。それらがもらえる撮影現場もある。だが、ないところもある。最初にそれは告知される。にも関わらず、前の現場でもらえたからと、今回もらえないのはおかしい!と批判するのは当て外れ。会社によって給料も待遇も違う。バイトでもそれは同じ。しかし、その手の人は相手ではなく、自分の経験を優先して考える。

「前回の映画会社は記念のタオルをくれた。その前はボールペンだ。なのに、今回はくれない。酷い!」

でも、何もないことは告知されている。にも関わらず自分の経験を軸にして考えて相手を批判する。これも状況把握能力の低さを象徴している。把握の仕方が間違っているのだ。詳しく説明するなら記念品をくれる会社はそこそもの製作費がある。でも、一般のギャラを払うほどの余裕がないか? あるいはケチって記念品にしてしまうことが多い。

ボランティアの現場は本当に予算が少なく、プロも雇うのに苦労しているところ。そんな背景がある。むしろ記念品をもら得るところは、余裕があるので、ギャラを払わずに済ませていることが多い。それを批判するなら分かるが、本当に製作費のない現場を批判するのはどうだろうか? つまり、その人が状況把握ができず。当て外れな批判をしていることにもなる。しかし、そんな事情を知らない人が聞くと

「へーギャラが出ないの? 酷わねー」

と思ってしまう。本人は把握能力がないから、当て外れな批判をしているとか、最初にボランティアと言われていることを忘れて、

「私は被害者だ」「酷い目にあった」

と我に正義あり!とばかりに言い触れ回る。そのために、悪い噂が立ち、せっかく、その街でロケした映画のイメージが悪くなる。そんな風に状況把握能力が低い人が現場にいると、不必要なトラブルが起こり、罪のない人たちまでが加害者や被害者になることがある。

逆に言うと、そんなタイプの人がトラブルを起こしがちなのだ。映画現場でなくても、会社でも、バイト先でも、サークルでも、同じ。人が集まる場で、本来の目的を理解せず。別の価値観や個人的な思いを優先して行動する人たちは結果トラブルとなる。

だから、状況把握能力。とても大事であり。それに著しく欠ける人は注意せねばと、撮影の時はいつも考えている。



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状況把握能力とは何か?①=問題解決をして前に進むための力 [my opinion]

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状況把握能力とは何か?=問題解決をして前に進むための力

記憶力、想像力、分析力、などなど、いろんな能力がある。そんな中で僕は「状況把握能力」という言葉をよく使う。心理学や精神医学で実際に使われている言葉ではなく、僕が勝手に作った言葉だが、これがかなり有効なのだ。

どんな意味か? その人が今、置かれている状況を把握する力のこと。その能力が高い人はリーダーとしても優秀であり、問題解決や物事を進行させることができる。その能力が低い人は周りを混乱させ、問題を次々に起こし、物事を止めてしまう。

そう聞くと、能力の低い人はまるで悪の手先か? 敵国の工作員だと思てるだろう。しかし、やってることは同じ。違うのは、その人は「混乱させてやれ!」と思い行動するのではなく「良かれ!」と思ってやっていることが多い。が、結果、皆を混乱させてしまう悲しい存在となる。

では、その状況把握能力とはどんな能力か説明する。言葉通りに状況を把握する力だ。例えば映画製作なら製作費はいくらか? 撮影期間はどのくらいか? スタッフは? キャストは? スポンサーは?と、自分を取り巻く状態を把握、理解する。

そして、テーマ。その映画は何のために作られるのか? も把握する。商業映画で儲けるため? 町おこしのための地方映画? 社会問題を訴えるための作品? 芸術性を追求? アイドルを売り出すための映画? いろんな目的がある。それを理解し、把握することで、目的に向かってプロジェクトを進めることができる。

アイドル映画で芸術性を追求しても意味ないし、社会問題を訴える作品なら低予算で作らないと、大手企業の賛同が得られないことが多い。状況を把握すると、おのず方法論が決まってくる。そんな中で状況を理解する能力が低い人がいると、あれこれ問題が起こってくる。

例えば「今回は社会問題を訴える作品」とする。当然、製作費は低い。人件費も低くなる。スタッフは皆、2役3役せねばならなくなる。なのに「何で俺が別のパートの仕事をしなきゃいけないんだよ〜」と不満をいう。でも、それは仕事を受けた段階で想像の付くこと。それをいつもの商業映画の感覚でいるから、不満が芽生える。その切り替えができないスタッフは状況を理解する能力が高くないということだ。

撮影が遅れている。予算にも余裕がない。見ていると美術部の仕事が遅れている。「お前らのせいで撮影が遅れてんだろ!」と怒る奴が出てくる。でも、そうだろうか? 本当に美術部の責任か? 状況把握をしっかりすると、予算が少ないことで美術部は助手の数を減らされ、経験のない新人が助手。その上、美術費が極端に少なくて、捨てられたものを拾って来て作り物をしていた。

仕事が遅いのは十分な予算をもらっていないからだ。それを「遅い」と批判しても何の解決にもならない。状況からすると、予算は増やせない。助手の数も増やせない。なら、作り物を必要最低限にして、美術部の負担を減らすしか方法はない。監督に話して、セットの飾り付けを減らす等の対応をするべきなのだ。

「ギャラが少ない!酷い」という役者。でも、考えれば、彼は新人。経験も少ない。演技も大したことない。監督が好意で呼んでくくれただけ。ノーギャラもいいくらいだ。彼を呼ぶだけで交通費、宿泊費、食費がかかる。映画撮影に参加できるのは新人にとって大きなプラス。それに気づかず、ギャラが安いと不満を言う。

状況を把握できていない。ギャラの金額だけしか見ていない。己の実力、評価を考えず、バイト感覚で8時間働いたら8000円は欲しいと言うレベル。それを把握できず、監督の好意にも気づかず、不満を言う役者を呼んでも現場の空気が悪くなるだけ。彼もまた状況把握能力が低いのである。

現場で怒鳴るベテランスタッフ。昔はよくいたが、最近は少ない。それでは許されなくなって来たからだ。納得できる理由があればまだいい。若手がダレているの活を入れるとか。それが自分の不満や個人的な理由で怒鳴っているようではダメ。それも状況把握能力が低いと言える。

「イライラする!」「何で俺がこんな仕事をしなきゃいけないんだ!」「ギャラも安い!」「監督が新人でバカだ!」

そう思ったとしても、そこで怒鳴っていいことには繋がらないし、怒鳴っても問題は解決しない。例えば、その人が技術部であれば、自分の仕事をまず頑張ること。ベテランであれば新人の監督をフォローしてあげる。自分のいる立場と経験。何をすればプラスで、何がマイナスか?を考えること。

状況を把握していれば、そんな答えが見えてくる。なのに、自分から見える光景と個人的な感情だけで怒鳴ってしまう。それは他のスタッフのやる気をなくし、彼自身の評価を下げることにしかならない。そんな風に状況を把握できない人がいると、大変な事態がより大変になってしまう。

これは会社でも、組織でも同じ。その仕事は何が目的で、どんなメンバーが集まり、どのようにして進められているか? そして自分の立場。役割を理解すること。それが状況把握である。

太平洋戦争を勉強していても、米軍は日本の状況を把握した上で攻撃している。対して日本は、自国の戦力を過大評価。アメリカの力を過小評価。古い記録を参考に算段。武器がなくても気力で勝てると指示。

対するアメリカは驚くほどの日本の状況を把握していた。言えることは上にいる人間に状況把握能力がない国は国民が苦しむと言うこと。また、上にいる人間でなくても、状況把握ができない者がいると、仕事でも、撮影でも、次々に問題が起こる。

その意味で僕はスタッフを選ぶとき、その人に状況把握能力があるか?を見る。感情的過ぎないか? 立場を理解するか? を考える。映画撮影以外でも同じ。人を見ると言うのは「状況把握能力」が高いか低いか?を見ると言うことなのかもしれない。



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コミニュケーション能力とは何なのだろう? なぜ、その人はいくら説明しても理解しないのか? [my opinion]

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コミニュケーション能力とは何なのだろう? なぜ、その人はいくら説明しても理解しないのか?

監督業をしていると、業界以外の人たちと接することが多い。映画スタッフならツーカーで理解し合えることも、他業種の方とは難しいことがある。1つには映画用語をご存じないということ。「カラコレ」と言っても分からない。それを説明するのだが、その作業自体が想像できない。でも、これは仕方ないこと。僕が税理士さんと話をする時、あれこれ税制について説明されても、日本語なのに理解できないことが多い。

政治の話をしてもそうだが、「集団的自衛権」と言っても内容が分からないと会話にならない。また、「個別的自衛権」と混同して「攻撃されたら反撃するのは当たり前だ!」と言い「俺は賛成だ!」という人もいる。そうなると議論が噛み合わない。コミニュケーションができなくなる。

用語の問題なら、それを理解してもらえれば解決するが、コミニュケーションがうまく行かない理由はもう一つある。決して「頭が悪い」とか「アホ」とかいうのではなく、コミニュケーション能力が低い人が存在する。

1人で仕事をする人。その場合は人と接することが少ないので、何かを他人に伝える経験値が極めて低くなる。人と頻繁に接していれば意思疎通ができないと

「意味が分かりません」

と何度も、いろんな人から言われるだろう。そうすれば

「俺の説明は分かり辛いのだな?」

と気づく。だが、1人だとそんな機会が少ない。そうなると相手が

「分かりません」

と言っても、自分の説明が不十分なのではなく、相手がバカで理解できないと思ってしまい。上から目線になる。相手は気分を害し、距離を置いたり、離れて行ったりする。その人はまた1人になり、コミニュケーション能力が低いままとなる。1人で作業する職人さんとか、学者、ワンマン社長がそうなってしまうことがある。

社員100人の上に立つ社長でも、ワンマンで部下の意見を聞かない。指示するだけ。誰も反論はしない。そんな環境にいると、やはりコミニュケーション能力が低くなる。社長の言う意味が分からなくても、社員は怖くて質問もできない。社長は当然、理解したと考える。

こんな経験はないだろうか? 相手は大学も出ており、それなりの仕事をしている。が、日常的な話をしているのに、いくら話しても理解してもらえない。別の角度から説明しても分からない。当て外れの返答が来てしまう。それはコミニュケーション能力が低い場合が多い。ただ、先のように1人で作業する人以外の場合。どんなケースがあるのだろう?

1人っ子で、幼い頃から1人で遊んでいた。子供時代から友達がいなかった。勉強はできたが、同級生をバカにして距離を置いていた。このような場合も成績は良くても、コミニュケーション能力が十分に育たっていないことがある。あと1つ。精神病や精神障害ということも考えられる。相手が統合失調症や双極性障害の場合は、何度説明しても理解せず、テーマからズレた発言をする。

「なんで、質問に答えないんだ?」

というと

「何度も答えているじゃないか!」

と怒り出したりする。精神病のいくつかは「情報処理能力の欠如」であり、それゆえ様々な奇行をしたり、不可解な発言をするようになるのだ。精神病でなくても、日本の教育も、コミニュケーション能力を育てることをしていない。そもそもが「考える」教育をしていないので、単純なことは理解しても、複雑な状況を把握。理解することができない子供が多い。

いや、子供だけでなく、そのまま成長し、考える力が低い大人になる。「考える力」がないと複雑なコミニュケーションはできない。簡単にいうと長文が読めないというようなことだ。Twitterのような短い文章しか理解できない。つまり、物事をパターンにはめて単純化しないと把握できないということ。その象徴がTwitterである。

興味深いのはコミニュケーション能力が低く、表現力のない人は、自分に問題があり、相手の説明が分からないとは思わず、相手の説明が悪いから理解できないと、結論づけること。だから、努力したり、能力を高めようとはせず。同じ問題を起こし続ける。これは精神病も同じ。

「おかしいのは自分ではない。お前だ」

と患者は良くいう。患者でなくても同じ。なぜ、人は問題が起きた時に、原因が自分ではなく相手にあると思うのか? これはコミニュケーション能力とは別問題なので、別の機会に考えよう。



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【平成時代が間も無く終わり、全く新しい時代が始まる】                =それは戦後以来の価値観が大転換する激動の時代だろう。 [my opinion]

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【平成時代が間も無く終わり、全く新しい時代が始まる】
               =それは戦後以来の価値観が大転換する激動の時代だろう。

今日で11月が終わる。と言うことは、あと1ヶ月で2018年が、平成時代が終わる。いやはや時代のスピードは本当に早い。

今年1年は「明日にかける橋」の再編集に始まり、東京公開の準備。宣伝。大阪、名古屋。そして地元・静岡県公開のための宣伝活動。地元・磐田市の映画館では9週間と言う大ロングロンとなった。

そのあとは沖縄戦ドキュメンタリーを再開。現在は次の取材準備に追われている。「明日」のタイトルでもある「1989年の想い出」にもあるように、その年は平成元年。その映画が全国公開されたのが、平成最後の年。元年を調べていても、時代が変わる大きな出来事がたくさんあったが、今年も一つの時代が終わることを感じること多かった。

レイモンド・チョウ、江波杏子、樹木希林、バート・レイノルズ、さくらももこ、菅井きん、アレサ・フランクリン、津川雅彦、橋本忍、浅利慶太、加藤剛、桂歌丸、森田童子、朝丘雪路、西城秀樹、木下忠司、井上堯之、ミロス・フォアマン、高畑勲、内田康夫、古賀新一、大杉漣、夏木陽介、星野仙一、真屋順子

昭和、平成を駆け抜けて来た人たちが数多く去っていった。これも一つの時代の終わりを感じさせる。先日から始めたAmazonプライムビデオもそうだが、確実にTSUTAYAだけでなく、レンタルDVDという店舗を消滅させてしまうメディア。それだけでなく、CD、DVDという存在をも無意味にしてしまう。カセットテープと同じように消えて行くことになるだろう。

そしてトランプ旋風は世界を変えている。まだまだ、日本のマスコミは批判しかしておらず、多くの人が安倍と同類だと誤解しているが、彼の登場で世界が変わリつつある。それに対して日本政府は未来に進むのでなく、戦前に戻そうとする時代錯誤。政権は完全に時代に逆行。こちらもTSUTAYA同様に消滅するしかないだろう。新しい時代の波。未来の風。それは全てが素晴らしいものではない。

ただ、言えるのは、それに賛同しようが反対しようが、どうあがいても時代は変わるということだ。次の時代はもはや昭和、平成の延長ではなく、戦後以来の大変革の時代になると思える。その中で日本人は何を考え、どう生きて行くべきなのか? 年老いて錆びてしまった感性のアンテナを磨き、時代の行方を見つめたい。


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【レッテルを貼りに騙されてはいないか?!「非国民」「アカ」=言葉の持つ怖さを考えてみる】 [my opinion]

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【レッテルを貼りに騙されてはいないか?!「非国民」「アカ」=言葉の持つ怖さを考えてみる】

その昔、共産主義者のことを「アカ」と呼び毛嫌いした時代があった。日本だけでなく、アメリカでもソビエトが掲げる共産主義を危険視し、それを支持する人たちは危険と感じ、避け、嫌い、差別した。その蔑称が「アカ」だった。

同じような言葉に「非国民」というのがある。戦時中、政府や軍に協力的でない国民をそう呼んだ。戦争映画を見ているとよくそんな場面を見かけるが、要は戦争に反対したり、理不尽なことをする軍を批判したりすると、そんなレッテルを貼り、糾弾するための言葉だ。

これらの危険なところは、その事実がなくても、その種のレッテルを貼られることで、多くの人から拒絶され、差別され、攻撃されること。「あいつはアカだ」「非国民だ」そう言われる人を見ると、意味が分からなくても、何かいけないことをしている人たちで、近寄らない方がいい。仲良くしてはいけないと思えてしまう。

実際には違っていても、そう言われることを避けるために誤解される行為をしない。進んでその種の人を批判するという風潮さえ生まれる。言葉というのは恐ろしいもの。例えば、おかしな人がいる。何をしているか分からない。理屈っぽい。過激な考え方。むずかしい本読んでいる。海外の文学に傾倒している。それだけで戦時中は「非国民だ」「アカだ」と言われてしまった。もし、そんな言葉がなかったら、

「あの人は海外の本ばかり読んでいるし、過激な発言多いし、何をしている人だろう? 変わっているね?」

で終わる。でも、「アカ」とか「非国民」という言葉が作られたことで

「きっとあいつはアカだ」「非国民だ」

とよく分からないのにレッテルを貼り批判する。物事をある種の方向に動かし、人々を先導したい人たちにとっては、とても便利な言葉。他と違うことを言う人。個性的な人たちがいると、よく分かっていないのに「アカだ」「非国民だ」と決めつけ差別する。ある種の差別用語であり、言われた人も屈辱だし、周りの人も影響を受ける。自分の目で確かめようとせず、その言葉を鵜呑みにする。

人は詳しい背景を知ろうとしたり、比較、分析したりせず。安易にその種のレッテルを貼りがち。考えることをせずに、決めつけるところがある。戦時中はそこに目をつけて「非国民」と言う言葉を作り、浸透させ、利用したのだろう。

戦時中だけではない。今でも同じだ。アニメが好きと言うだけで「あいつはオタクだ」と決めつけたり、勉強ができないと「落ちこぼれ」と呼ぶ。ネットの世界では、現政権に批判的な人を「反日」と呼び批判、攻撃する。主に「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが。

だが、意味を取り違えている。政権=日本ではない。なのに政権批判すると「反日」というのはおかしい。そもそも反日というのは海外で日本を良く思わない国を指す言葉。それを国内で使ってどうする? だが、「非国民」と同じ手法で、政権を批判させないレッテルとして利用しているのだ。

これらが俗にいう「レッテル貼り」だ。単なる言葉であるが、それが大きな効果を発揮する。身近なところで言えば「ストーカー」も同じ。例えば

「あの人。ずっと付きまとっていて困るの」

と言うと、昔なら「よっぽと君のことが好きなんだよ」と言われたかもしれない。それを「あの人。ずっと付きまとっている。ストーカーなの」と言えば「それは怖いな。警察に届けた?」となる。

大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」の武田鉄矢の真似をすると、今ではストーカー扱いされる訳だ。あの時代はそんな言葉はなかった。そんな風に「ストーカー」=「付きまとう異常者」と言う定義ができてしまい。それをレッテルとして貼られると、本当にその人が好きでも異常者扱いされてしまう。レッテル貼りがとても危険だと言うこと、分かってもらえただろう。戦時中は国がそれを利用。「非国民」レッテルを使い、戦争反対を言えない空気を作った。

今また、戦争に向かい進んでいる現政権を支持する人たちは「反日」と言う言葉で、批判を押し込めようとしている。ただ、その政権の総理がやたら

「レッテル貼りはやめてください」

と国会で言うのは、笑えないブラックジョークだ。戦争法を「安保法案」と全く逆のレッテルを貼り、強行裁決をしているのに、野党には「やめてください」と言っているのだ。レッテルに騙されてはいけない。本質を見抜かなければ、とんでもないところに連れて行かれてしまう。


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