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Facebookで議論しない理由。覆面をした他人から批判されても議論はできない?! [my opinion]

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Facebookで議論しない理由。覆面をした他人から批判されても議論はできない?!

「反論、批判コメントはいらない」といつも告知しているにも関わらず、その手のものがときどき書き込まれる。

「そうとは限らないだろう?」

「勉強不足だね?あれは*****だよ」

「何も分かってないようだな?」

という書き出しで反論が続く。が、そのほとんどが、当て外れ、あるいは記事の主旨を誤解しているもの。もし、僕がさらなる反論を書くとしたら、まず、記事の主旨解説から始めなければならない。そしてコメント主の批判が方向違いであることを理解してもらう。つまり、再反論ではなく、一度書いた記事をもう一度詳しく、別の方向から、その人に理解できるように解説することになる。

それはレクチャーと同じ。議論には至っていない。何で、理解力がない人に忙しい中、時間を割き説明せねばならないか?と思ってしまう。が、その手の人にその種の説明してもと自身が記事の主旨を理解していることを認めようとせずに、別の問題点を指摘する。

「だったら、***はどうなんだよ? あれはおかしいだろ? 言い逃れできるか?」

つまり、議論ではなく何でもいいからやり込めたい。ギャフンと言わせたいというのが目的なのだ。その種の人がとても多い。また、主旨を理解しない人に説明する際。その人の年齢、経験、仕事等が大事だ。例を上げるときにその人がよく知る分野の話にすることで理解が進むからだ。年齢も大事。年配と若い人では上げる例も変わる。

しかし、多くのFacebookの基本情報には年齢も、仕事も、住んでいる場所も、さらには顔写真もないことが多い。また、その手の批判、反論をしてくる人は特にそれら情報を掲載していない。例えるなら、僕が講演会をしているときに、覆面をした人が立ち上がり、

「あんたの意見は間違っている。****は筋が通らない!」

と言い出すようなものだ。そんな怪しい人と議論はできない。即退場してもらわないと、他のお客も不審に感じるだろう。それと同じ状態なのだ。が、その手の人は自分のことを相手(つまり僕)が知らないことに気づかず、自己紹介をすることもなく。「違うだろう!」と感情的に(あるいは上から目線で)批判している自覚がない。(その時点で客観性がなく感情的であることが分かり、議論にはならない)

さらに、思い込みが強い。カッとなりやすい性格なのか? しっかりと記事を読まず、部分的なことで何か怒りを感じて、主旨とは関係ない、自分がイメージしたことに対して批判してくることが多い。例えば「ホリエモン」という言葉があるだけで「あいつは嫌いなんだよな!」「この監督はホリエモンを支持するのか!許せない」という具合である。

そんな風に批判する人の多くは感情的、思い込み、激情的、あるいは上から目線で、自分の認知要求を満たすために批判コメントをしてくる人が多い。認知要求をもう少し説明すると、自分のFacebook「友達」は少ない。「俺の考えは正しい」なのに、多くの人が支持してくれない。「友達」数の多い監督がいる。下らない記事を書いている。

「俺が問題点を指摘してやろう。読んでいる人は俺の凄さを知るだろう」

そんな思いでコメントをしてくる。人のふんどしで相撲を取るというパターン。だが、その人の意見はどこかズレている。だから、自身のFacebookでも支持されない。そんな人の批判や反論に応える意味はあるだろうか? なので「批判、反論はいらない」と告知させてもらっている。本当に鋭い人は、僕なんかにいちいち反論せず「なるほどね。問題ある記事だが、分からなくはないよ」と微笑んで済ませてしまう。でも、それで十分だ。

何が正しくて、何が違うか? いろんな見方がある。価値観がある。それを押し付け合う必要はない。また、他人の意見にケチをつけるのは簡単なこと。それを他人のFacebookに書き込む必要はない。客観的に見ている第三者が眉をひそめるものなら、そのFacebookの管理者である僕はそれを削除せねばならない。なら、最初から「批判、反論はいらない」とお願いしておこうと考えた。意見がある人はぜひ自身のFacebookで主張してほしい。


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選挙とアパート選びの共通点?=どちらもベストは選べない! [my opinion]

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選挙とアパート選びの共通点?=どちらもベストは選べない!

毎年春になると、多くの若者が上京してくる。その時に決めるアパート。不動産屋に聞くとほとんどの人がこういうらしい。

「広くて、清潔で、駅から近い、安い部屋!」

そんなものあるわけないだろ!と思わず言いそうになる。だから、精々、皮肉で「まあ、皆さんそう言いますよねえ?」と返すらしい。
でも、その通りだ。部屋が広ければ家賃は高くなる。駅から近いと高くなる。安いと古い建物になり、清潔ではない。あるいは駅から物凄く遠いとか。世の中、都合よく聞かない。都会は特にそうだ。それでも学生生活を送るには、アパートを決めなければならない。

選挙の時も似たようなことを聞く。「あの人は**党だからダメ」「あの候補者は自民と考えが同じ」「俺は自民には入れない」「安倍は嫌いだ」「でも、***も信用できない」「彼は自民時代にしたことの反省をしていない」あれこれ文句をつけて、

「だから、投票したい人がいない。何より自民にだけは投票しない。だから、投票には行かない!」

これって自民支持と同じ。固定票のある自民、公明は投票率が低くなるほど有利なのだ。そして、その人が言っていることは、先のアパートを探す若者と同じ。東京で広くて、綺麗で、駅から近い、安いアパートなんて存在しない。政治家でクリーンで、国民目線で、ごまかしないのない人も限りなく少ない。どちらも同じ。

でも、東京で学生をするならアパートを決めなければならない。日本で生きていくなら、国民のためになる政治家を決めなければならない。ベストではなく、ベターを選ぶしかない。アパートも同じ、狭くても、汚くても、予算内でなければ借りられない。学生時代は皆、そうやって不自由な中で考えてきたはず。

それが選挙となると、ベスト・オブ・ベストを求めた挙句に、なぜ棄権するのか?  アパート選びならこう考える。「大事なのは大学に近いこと?」「家賃が安いこと?」「部屋が広いこと?」それで決めればいい。選挙も同じ。もし、自民を止めたいなら、政党や主張や過去はさて置き、勝てる野党の議員に投票すればいい。アパート選びも、選挙も同じ。ベストは選べない。なら、何が大切か?を考えれば答えは出る。


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「私は愚痴は言わない」と胸を張る人。それは「私は反省しない」と言うのと同じかも? =日本人を縛る奇妙な習慣? [my opinion]

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「私は愚痴は言わない」と胸を張る人。それは「私は反省しない」と言うのと同じかも? =日本人を縛る奇妙な習慣?

ちょうど一世代上の先輩。新人の頃にとてもお世話になった。ときどき暴走するので周りは大変だが、憎めないところがあり、男気ある愛すべき存在だ。が、一つだけ困ったことが、僕のブログを読むと小言を言ってくることだ。

「ブログに愚痴を書いてはいけない!」

一見、先輩の言っていることは正しく思える。が、そうではない。まず、「愚痴を書いていはいけない」と先輩は言うが、愚痴とは何か?国語辞典で調べるとこうだ。

「言っても仕方のないことをグダグダと言い続けること」

居酒屋で「あの部長、本当にうざいよな〜」と同僚と話す。部長の理不尽、無能ぶりを語る。そんなことが愚痴だ。それをブログで書くなと先輩は言う。

だが、僕はブログやfacebookに愚痴を書いたことはない。書いているのは経験した問題や事件。それがどんなものであり、どこに原因があったか? そのためにどのような人たちに迷惑をかけ、仕事上でどんなマイナスがあったか?それらを総括。反省して、どのように対処すべきだったか? そして何より原因は何であったか?を追求する記事にしている。

それは愚痴ではない。総括であり、反省であり、教訓。それらを読んでもらうことで、映画界とはどんなところか? どのように仕事をしているか? また、そんな問題が起こった時はどのようにして解決すべきか? さらには、背景にあるものを指摘し、今の日本の風潮や悪しき習慣を知ってもらう。そんな意図で書いている。

残念ながら先輩はそれを読みとってくれず、「愚痴だ!」と判断してしまう。先輩だけではない。以前、何かを始める時には必ず相談していた実業家の方がいた。いつも見事なアドバイスをしてくれる。が、プロジェクトが終わり報告に行くと、最後まで聞こうとしない。あとで「愚痴は聞きたくない」と言われた。

それもおかしい。相談に乗ってもらった仕事がどのように展開し、どんなプラスとマイナスがあったか?それを踏まえて同じ失敗を繰り返さないための報告だった。が、よくなかったこと。嫌な思いをしたことを伝えると「愚痴」と解釈され「前向きな話なら聞く」と言われた。

それは違う。反省せずに、問題点を把握せずに、新しいことを始めてもうまくいかない。同じ失敗を繰り返すだけだ。だが、その人も愚痴と解釈してしまう。実はそんな人は多い。失敗すると口をつぐみ、誰にも言わず、無かったことにする。反省をせず

「終わったことは忘れて、次に進もう!」

と美しい言葉を掲げて、同じ失敗を繰り返す。そうでなければ本来の愚痴。言っても意味のないことをグダグダと言い続けている。それなら「上司に直接言えよ」と思うが、言おうとしない。

その種の人と、僕は同類に見られることがある。記事をしっかりと読んでもらうと分かるが、記事で批判、あるいは問題ある人の名前は上げていない。会社や時期も特定できないように書いている。その人を批判すること。あるいは酷い目に遭ったことを同情してもらうために書いていないからだ。大事なのは書くことで僕自身が事態を把握、原因を究明、反省し、次の教訓にすること。そして先に書いたように読者の参考になる。面白がってくれるそれが目的なのだ。

それを「愚痴」と言うのは、彼らの問題というより、「辛い話をする」「失敗を伝える」「批判する」「問題を追求する」「反省する」ということを日本人は避けて通りたいと言う意識があるからではないか? 「愚痴」と言う実際とは違うラベルを貼り、嫌なことは早く忘れたいと言うのが本音ではないか?

まさにザ・日本人。どれだけ政権が悪辣でも、それを批判せず、避けて通り、選挙にも行かない。不満も言わず、戦争ができる国受け入れ、バラマキのための税金を収める。自民を政権にしてしまった国民として、何が悪かったか?どうすべきだったか?反省しない。なぜなら、こう思っているのからだろう。

「だって、私は愚痴は言いたくない....」

それが多くの日本人の思考ではないか? 愚痴と批判は違う。追求、把握、反省してこそ、前に進める。それを愚痴と考えるのは違う。思い出すのは「村ルール」以前、何度も記事にしたので覚えている方もいるだろう。

「トラブルはなかったことにする」「知らない振りをする」「関わらないようにする」

それらと同じ構図であり、だとすると、やはり日本人を縛る悪しき習慣の一つなのだ。問題の追求、批判、把握、反省は「愚痴」ではない。今の日本人に一番大事なことである。



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選挙とアパート選びの共通点?=どちらもベストは選べない! [my opinion]

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選挙とアパート選びの共通点?=どちらもベストは選べない!

毎年春になると、多くの若者が上京してくる。その時に決めるアパート。不動産屋に聞くとほとんどの人がこういうらしい。

「広くて、清潔で、駅から近い、安い部屋!」

そんなものあるわけないだろ!と思わず言いそうになる。だから、精々、皮肉で「まあ、皆さんそう言いますよねえ?」と返すらしい。
でも、その通りだ。部屋が広ければ家賃は高くなる。駅から近いと高くなる。安いと古い建物になり、清潔ではない。あるいは駅から物凄く遠いとか。世の中、都合よく聞かない。都会は特にそうだ。それでも学生生活を送るには、アパートを決めなければならない。

選挙の時も似たようなことを聞く。「あの人は**党だからダメ」「あの候補者は自民と考えが同じ」「俺は自民には入れない」「安倍は嫌いだ」「でも、***も信用できない」「彼は自民時代にしたことの反省をしていない」あれこれ文句をつけて、

「だから、投票したい人がいない。何より自民にだけは投票しない。だから、投票には行かない!」

これって自民支持と同じ。固定票のある自民、公明は投票率が低くなるほど有利なのだ。そして、その人が言っていることは、先のアパートを探す若者と同じ。東京で広くて、綺麗で、駅から近い、安いアパートなんて存在しない。政治家でクリーンで、国民目線で、ごまかしないのない人も限りなく少ない。どちらも同じ。

でも、東京で学生をするならアパートを決めなければならない。日本で生きていくなら、国民のためになる政治家を決めなければならない。ベストではなく、ベターを選ぶしかない。アパートも同じ、狭くても、汚くても、予算内でなければ借りられない。学生時代は皆、そうやって不自由な中で考えてきたはず。

それが選挙となると、ベスト・オブ・ベストを求めた挙句に、なぜ棄権するのか?  アパート選びならこう考える。「大事なのは大学に近いこと?」「家賃が安いこと?」「部屋が広いこと?」それで決めればいい。選挙も同じ。もし、自民を止めたいなら、政党や主張や過去はさて置き、勝てる野党の議員に投票すればいい。アパート選びも、選挙も同じ。ベストは選べない。なら、何が大切か?を考えれば答えは出る。


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とにかく、あの人を下ろすことが先決。なのに完全無欠のスーパーヒーローを求める友人? [my opinion]

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とにかく、あの人を下ろすことが先決。
なのに完全無欠のスーパーヒーローを求める友人?

先日見たBS番組の小沢一郎がこんなことを言っていた。

「前の選挙(2017)で小池百合子は総理になる可能性があったのに、それをみすみす自分で潰してしまったんだよ」

これ、本当にそう思うが、それを指摘する人が意外に少なかった。「ザマーミロ」とか「最初から信用してなかった」とか喜ぶ人が多く、え〜〜〜と思った。あの選挙で当初の期待は野党が政権奪還すること。もっと言えば安倍首相を引き降ろすことだったはず。そこに登場したみどりの党。みどりのタヌキと呼ばれたりしたが、多くの人が希望を感じ、応援した。

このまま行けば自民を倒せるかも? というときに「排除発言」で人気急落。排除された枝野ら立憲民主党が同情票で野党第一党になったあの選挙である。安倍政権を終わらせる大きなチャンスがやってきたのだ。が、反安倍の友人たちはみどりの党を支持しなかった。理由は

「小池もタカ派。安倍が辞めても小池では同じだ!」

その言葉に疑問を感じた。今の自民は戦後最悪。日本を戦争できる国にしてしまい、金持ちを優遇、庶民に重い負担を強いている。年金を使い込み、オスプレイを爆買い、経済効果ゼロの政策、それどころか、レイプ犯の友達は逮捕せず、親友には税金から支援金、一刻も早く止めねばならない。それを止めることができる人がやっと現れたのに「小池ではダメだ!」という。そんな余裕ないだろ? 当時から言われていたあれ

「安倍以外なら誰でもいい!!」

が正解だ。ベストでなくてもいい、ベターでなくてもいい、かなりダメでも、あの人以外ならいい!という状態だ。なのに「小池ではダメだ」という発想が分からない。彼女は決して有能な政治家ではない。むしろ世渡りが上手いだけの人。実力ある男性政治家を渡り歩き、のし上がったと言われている。
でも、

 「戦争するぞ!」

という強い願望はない。風見鶏なので国民受けすることをしたい人。国民を踏みつけてまで野望を貫くタイプではない。大きな期待はできないが、全力で日本を奈落の底に引きずり込むようなことはしない。少なくてもこれまではしていない。

とりあえず、その人を総理にすることで、あの人が下される。小池総理では大したことは出来ないが、暴走もしないだろう。時期を見て、もう少しマシな人を選ぶ。とりあえず、あの人を下ろす勢いがあるのは小池なのだ。みどりの党が政権を取ることはなくても、自民が過半数割れすれば、みどりの党と連携するだろう。小池を総理に!という提案がなされ、あの人は失墜する。いずれにしても政権を終わらせることができる。なのに

「小池じゃダメだ!」

意味が分からない。完全無欠のスーパーヒーローを求めているのか? そんな人がどこにいるのか? つまり、存在しない人を求めている。挙句に、友人は自分が嫌いな安倍ではなく、小池百合子を潰そうと毎日、批判をツイートしていた。友人以外にもそんな人はかなりいた。それが安倍を応援していることになることに気づいていない。

「安倍を下ろしても、次に出てくるのは石破だ。それでは意味がない」

それも違う。石破の方が100倍マシ。軍事オタクだが「中国と戦争したい!」と心底願ってはいないだろうし、意味不明な「新しい判断」をしたりしない。質問にはまっすぐに答える。漢字も読める。が、友人はいう。

「石破じゃ、もっとダメなんだよ〜」

やはり分かってない。石破は大きな問題あるが、あの人よりましだ。友人はそれぞれの議員を克明に理解せず、クロかシロかという大雑ぱな判断しかしていないようだ。さらにシロが誰だか具体的に上げられない。だから、次の総理になる可能性がある人が出てきても攻撃。結局、彼は反安倍ではなく、親安倍になっている。今、一番大切なのは能力とか政策とかではなく

「あの人以外なら誰でもいい!」

という状況まで日本が追い込まれているという実感がないのだろう。ただ、総理になる可能性があった小池百合子は「排除発言」で支持を失う。後で出たリストは自民が作った偽物だったが、国民からのイメージは決定的になり、奪還のチャンスは無くした。もう一つ。本来は小池、前原、小沢でみどりの党を推進していくという動きがあったのに、小沢を恐れて外し、前原と2人で進めた。それも大きなマイナスとなった。小沢を入れておけば「排除発言」で足を救われることもなかっただろう。

冷たい海を航行する豪華客船。船長は異常を来している。このまま行くと巨大な氷山にぶつかり沈没する。船長にどう説明しても理解しない。進言しても意味不明の答えしか返って来ない。寿司はよく奢ってくれるが、もう船長変えなきゃダメな事態。副船長がバカでも、間抜けな新人の船員でも、誰でもいい。船長以外なら。それが今の日本なのではないか? 副船長がやってダメならまた別の人に変えればいい。とにかく船長を止めることが大事。その認識が友人にはないということかもしれない。


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長い文章を読むのは苦手ですか? 短いと読んでみようと思いますか? [my opinion]

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長い文章を読むのは苦手ですか? 短いと読んでみようと思いますか?

このところ記事を短めに(それでも長いが)書くように心がけている。というのはこんなコメントが少し前に来たからである。

「監督の記事はためになるし、読んで方がいいよとよく言われるんだけど、仕事が忙しいし、おまけに監督の記事はすっごく長いので、後で読もうと思って結局読んでないんですよ」

多分、そんな人が多いのではないか? これには2つの側面がある。文章がズラーーーと並ぶと読む気をなくすというのはある。だから、Twitterのような短い文章が喜ばれる。でも、あの字数では細かな説明はできない。結果、誤解を生んで無意味な論争をしがち。長い説明出ないと伝えられないことも多い。

もう一つは読解力が低い人が増えていること。長文を理解し把握できない。文章が長いだけで諦めてしまう。そこでこの数ヶ月。Facebook記事に関しては、なるべくコンパクトにして、長いものは前後編、①②③とシリーズにすることにした。

この場合難しいのは第1回で前提を説明し、第2回で例を紹介、という展開になるのだが、第2回だけを読んで「前提がないので説得力がない」というコメントをしてくる人もいる。

「第2回って書いてあるんんだから、第1回を先に読め!」

と言いたくなるが、どこから読もうと個人の自由だ。そこで今は数回に分けた記事にしても、その回だけを読んでも理解できる書き方をしている。そして長くなり過ぎない。好評のようで「いいね」数は増えた。ただ、読みやすくなった分だけ、読者は増えたが、読解力が低い方もいるので、見当違いな反論をしてくれる人がいる。Twitterでのことだが、先に書いた「一流大学を出た女性議員が原発は必要悪という」記事を読み

「一流大学だからと原発賛成でとは限らないよ〜!」

と批判が来た。「反論する前にしっかり記事を読め!」という感じ。そんなことは書いていない。読解力が極めて低い人だ。そんなのに限って自分が文章を読めてないことに気づかず、書かれていないことを批判してくる。

読みやすく短めの文章にすることは痛し痒し。長い文章ならその手の人は最初から読まない。その手の批判は以前にはなかった。それでも読む人が増えたことはいいことかもしれない。Facebookでは「いいね」増えているし、コメントも多くなった。お返事をしないことは毎度申し上げているので恐縮だが、しばらくこのくらいの長さで記事を続けてみたい。



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感性のアンテナが錆びたあの芸人さん。だから笑えない。=あなたのアンテナはどうですか? [my opinion]

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感性のアンテナが錆びたあの芸人さん。だから笑えない。
=あなたのアンテナはどうですか?

40代になると感性のアンテナが錆びつく話。何度かしたが、僕はそろそろ60代、錆びるどころかアンテナが折れる年代かもしれない。同世代の芸能人を見ていてもそれを感じる。鋭い感性で独特の笑いを展開していた関西の芸人さん(業界ではもう大御所)このところ番組でかなりズレたコメントをして批判を浴びているが、体制寄りになったとかいうより、老化でアンテナが錆びついているのだ。

時代の流れを正確にキャッチできないから、ズレた意見になる。無神経なことを言ってしまう。以前はそのズレが面白いコメントに繋がったが、今は本当にズレているだけ。特にお笑いはセンスと感性。それを失った形だろう。若手の「ウーマンラッシュアワー」村本と比較するとアンテナの違いが明確になる。

一般の友人も同じ。アンテナが錆びてることに気づかない。以前は「なるほど」と思うアドバイスをくれた先輩が????ということを言ってくる。尊敬していた人が想像を絶する発言をする。カタギの友人が新しいものを拒否し続ける。昔の映画ばかり見直す映画ファンの友達。思い出すのは若い頃に、親戚の叔父さんとかに、偉そうに説教されたこと。本人は「若い奴のため」と思っていってるのだろうが、全く当たっていない。

老化でアンテナが錆びついていたのだ。新しい情報がキャッチできないと、古い価値観や方法論をいつまでもしがみ着いてしまい、それを押し付けてくる。だから労力や時間が全て無駄になる。だって、進む方向が間違っているんだから! 

それってまさに今の日本。他の国々では賃金も上がり、時代を先取りしたものが次々に作られているのに、日本は20年前から前に進んでいない。これは舵を取る人たちのアンテナが錆びているだけではなく、腐っているからだろう。また、国民のアンテナも錆びているから、それに気づかない。

「日本は世界に愛されている! 観光客が増えた。オリンピックもあるし!」

と喜んでいる。しかし、人ごとではない。僕も同様。アンテナの錆だけでなく、どちらに向けるか?も大事。令和時代を生き延びるためには過去の価値観は捨ててかからねばならない。また、考えていること書かせてもらう。


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腐った職場を抜け出し「答えを探すこと」を選んだ女性キャスターに応援を! [my opinion]

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腐った職場を抜け出し「答えを探すこと」を選んだ女性キャスターに応援を!

以前はあれこれ報道番組を録画して1日に何本も見ていたが、最近はどこも報道ではなく広報番組に成り下がって見る価値がない。忖度して問題のないことしか伝えない。そんな中で唯一、録画しているのが「NEWS23」だ。

が、この番組も決して他に比べて抜きん出ている訳ではない。もう、録画をやめようと思っているとき、小川さんがキャスターになると知り、昨夜はオンタイムで見た。この番組も先週までは、お仕事で原稿を読むだけの人たちだった。が、小川さんは違った。

物凄い緊張で顔がこわばって見えたが「伝えよう!」「答えを探そう!」という心意気を感じる。これとても大事。他の報道番組、出演者に気迫がない。特に「報道」何とかいう番組は、予定調和。言われたことを大人しく伝えているだけ。

「本当はもっと伝えたいことがあるんだよ!」

という不満も感じず。自分の役割を演じるだけで精一杯の男性キャスター。爽やかさを売り物にしているが、見ていて哀れさが溢れる。それでいて前任の女性キャスターに嫉妬していたと言われるのが本当なら、あまりにも情けない。上から言われたことに逆らう気持ちはゼロ。いかに上に評価されるか?しか考えていないようにも見える。お隣の新女性キャスターはもっと酷い。

「報道していることが全てですよ〜。裏はありませ〜ん」

という顔。悔しさとか不満がまるで感じられない。怒りとか無念さがない。(と僕が感じるだけかもしれないが)比べるのは酷だが、かつての久米宏、古舘伊知郎、岸井成格からは「怒り」や「悲しみ」が伝わって来た。「世の中」や「政府」と向き合う姿勢が見えた。古舘からは

「なぜ、本当のことを言わせてくれない...」

という無念さも感じた。が、彼らの椅子を継承した人たちから、そんな思いはまるで伝わって来ない。つまり、局側がいうことを聞く、無難な人材を配置したということ。そんな中、古舘去りしのちに、孤軍奮闘し、不満顔で報道を続けた小川彩佳がライバル番組でもある「NEWS23」キャスターに就任したのは気になった。可愛いだけで人気のある人じゃない。選んだ局の真剣さを感じる。

そんな第一回放送が昨夜。先に書いたように物凄い緊張をしながらも「伝えたい!」「答えを探したい!」という強い思いを感じた。午後10時の広報番組の出演者たちとは段違い。辞めてこちらに移ったのは大正解だ。どんな逸材も腐敗した枠の中にいると腐ってしまうもの。新しい職場での格闘。応援したい。



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平和を売り物にする団体。巧妙なすり替えに気をつけろ?! [my opinion]

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平和を売り物にする団体。巧妙なすり替えに気をつけろ?!

かなり昔だが、友人で新興宗教の信者がいて(オウムとか統一教会ではありません)誘われて、その団体の演劇を観に行った。団体の青年部の演劇発表。戦中戦後、広島に暮らす若者の青春。原爆で多くの家族や友達を失い、打ちひしがれるが、戦後を必死に生き抜こうとする主人公。

出演は皆、素人だが、頑張っている。セットも、衣装も自分たちで作ったと聞いている。まあ、大学の演劇部のような感じ。プロではないが、真剣さが伝わってくる。ところが、物語の最後で、傷ついた主人公がある宗教家と出会う。最初は拒否していたが、次第に目覚め、入信。「平和を愛する宗教」を信じ頑張って生きていこうというという結末。

は? これって団体のPR演劇? もしかしたら本当にあった話をベースに作ったかもしれないが、何だかなあと思える。物語の最後で「私たちの宗教は原爆を否定する」と宗教家に言われ主人公は感銘を受けるのだが、その展開が、

「原爆の否定」=>「宗教の肯定」

「宗教の否定」=>「原爆の肯定」

という論法になっていた。確かに原爆は否定すべき究極の兵器だ。核廃絶が叫ばれている。が、核を否定することと、宗教を肯定することは別問題。なのに、物語では宗教を否定することは、原爆を肯定することのような描かれ方。

古い話なので細かな点は思い出せないが、のちに、その団体はその種のアピールをよくすることを知る。その宗教を否定する訳ではないが、その種のトリッキーな演劇を見せられると、団体自体に疑問を感じる。

「教義」が本当に正しいと思うのなら、戦争を利用してPRするようなことをせず、ストレートに伝えればいい。戦争を背景にした舞台をするなら、団体の教えを潜り込ませるようなことをすべきではない。原爆の悲惨さを描くだけで、その団体の主張は伝わる。でないと戦争を利用していると思われ、信頼を失う。宗教団体なら一番やってはいけないこと。自らを貶めてしまう。

それから30年。友人を通してその団体を知るごとに「本当に戦争反対なのか?」と感じ、今ではそれを利用していることを強く確信。だが、最近は「平和」と言いながら実は「戦争賛成」の団体が多い。どちらも怪しい。騙されてはいけない。


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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!=教育に取り入れることはできないか? [my opinion]

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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!
=教育に取り入れることはできないか?

僕の映画のテーマは毎回「子供たちに伝える大切なこと」だ。教育で必要なもの何か考えてみたい。何よりも自分で考えること。鍛える場が必要だ。僕自身がプラスになったことを思い出してみる。尾崎豊の歌ではないが

♫「いろんな意味が分かりかけてるけど、決して学校の授業で教わったことなんかじゃない」

というのがある。B・スプリングスティーンの歌にも同じように

「クラスではなく、1枚のレコードからいろんなことを学んだ」

というのがある。実際、僕もその通りで学校帰りに隠れて行った名画座で観た映画とか、友達から借りて聞いたレコードからいろんなことを学んだ。アメリカの歴史、差別問題、戦争、原発事故、結婚離婚、親子、教育、子育て、いろんな映画がそんなテーマを扱っていた。そこからそれら社会問題を知った。

授業で習った日本史や現代国語はあとあと思い出すこともなかったのも思い出す?知識以外も大事だ。ある鋭い人に言われたことがある。

「監督はいつもユニークな考え方をしますよね。それはどこから来ているのかしら?」

考えたこともなかったが、あれこれ思い起こすと小学生時代から読んでいた推理小説ではないか?と思える。江戸川乱歩、コナン・ドイル、モーリス・ルブラン、アガサ・クリスティ。小説ではないが、「刑事コロンボ」も大好きだった。

その後は、島田荘司、綾辻行人、我孫子武丸らも読み漁った。ミステリーのいいところは論理性である。最後、犯人は悪霊だった!なんてオチはない。偶然もない。ちゃんと論理的に犯人であることが証明される。本来、そんな論理性を鍛えるのが数学の「証明」ではないか?

「これが二等辺三角形であることの証明」

とかいうアレだ。あの授業は意外に好きだったのだが、詰まらないのは公式があること。つまり、連立方程式や因数分解と同じで、決められたものに当てはめて作業するというもの。対してミステリーは提示された状況や証拠を駆使して、誰が犯人であるか?を考える。どちらが面白いか?ということ。

多分、僕があれこれ現実を疑い、追求してしまうのは、ミステリーの影響だと思える。論理の飛躍、思い込みの強さ、個人的な感情、ずさんな計算、そんなことを交えてしまうと真相を突き止めることはできない。

現実も同じで、政府が強行採決したがる法案。素晴らしい理由があるなら、強行採決する必要はない。そうするのは何かバレるとマズイことがあるからだ。これはミステリーの基本。では、どんなマズイことがあるのか? つまり、国民にとっての不利益であり、犯人(政府)にとっての利益があることのはず。それを考えれば裏側が見えてくる。

なんか、そんな風にミステリーを教育に取り入れると「考える力」が育ちはしないか? 国語の授業で森村誠一や松本清張を取り上げるとか? 社会科の勉強にもなるし! そんなことを考えたりしている。



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